Tony Levin Interview

Around the world in a disc
by Anil Prasad
Interview date: May 4, 1996
Copyright 1996 by Anil Prasad. All rights reserved.
Originally, published at http://www.innerviews.org/inner/levin.html
This translated page is publishing under permission of Anil Prasad.
Thank you very much for kindness.

-World Diariyが発売されてから約1年半が経ちました。この作品について、今どういう風に御覧になってますか。

まあ、初めっから既成のやり方で発売する気はなかったし、大体1年半ぐらいは「新作」扱いでいこう、というつもりだったんです。だから次の作品にもまだ取り掛かってません。キング・クリムゾンとかその他の事とかで忙しくしてる、っていうこともありますし。小さなレコード会社を自分の手で運営する、っていうのは僕にとって初めての体験で、いろんな事を学んだし、これからまだまだ勉強することもあります。で、新作を発表しようと思ったら相当な時間をとられるわけですが、それだけに時間をつぎ込むっていうわけにもいかないんです。僕の参加してるグループの作品を買ってくれるファンに、自分のソロ・アルバムが出てます、ってことを伝える、そのことだけでも容易な事じゃないんですよ。正直言ってインターネットで相当助けられてます。クリムゾンのファンのうちでインターネットを使ってる人たちは、ほとんど全員僕のアルバムが出てるのを知っているはずです。その他の人達は、たとえコンサートに来てくれてても、まだソロアルバムのことは知らないんじゃないかな。こんな人達にさえなかなか情報が伝わらないんです。

-私個人としては、あなたの広報活動は素晴らしかったと思っています。インターネット上での知名度に加えて、出版物でも特別なものに絞り込んでたし。Musician誌、ICE誌、Base Player誌の広告シリーズはすごく巧いやり方でしたよね。

最初から全部計画が出来てた訳じゃないんですよ。とにかく全く非商業ベースの作品にしたかったし、レコード業界のことも僕は大体わかってますから、制作に取り掛かってすぐ、自分自身の小さな会社を作ってやりたいようにやろう、ってことは決めたんです。で、そうすると通販オンリーでいく、っていうことも自然に決まってくるわけです。販売会社を通してレコード店へ、っていうのも素晴らしいことなんですけど、とても僕にはその世界へ飛び込んでいく気になれないし。販売会社に幾つかCDを扱ってもらって店頭に出すとするでしょ。販売会社の方では店がCDをどんどん売って再注文を入れるように望むだろうし、そうならなかったら、失敗作扱いですよ。レコード店のほうは、完売して再注文入れるためには、僕がラジオに出演して特集してもらうとかして、一般大衆っていうか、Bass Playerなんか読んだことないような人たちにもレコードのことを知らせるようにしろって言って来る。でも実際にこれをしようと思ったら、僕の会社に新しい部門を作って全国のラジオ局にCDを送りつけて、放送で流してくれるように頼まなきゃならないわけです。でもこのアルバムはすごく特殊なアルバムだから、どこの局でも、って訳にはいかないし、会社っていったって社員は僕一人ですからね。ラジオ局にまとわりつく係りの人もいないし、僕はとにかくそんなことには首を突っ込みたくないんです。通販、っていうやり方が、僕のミュージシャンとしての部分にしっくり来るんです。アルバムを買ってくれる人と直接の関係を持つっていうか、僕の音楽を聴きたい人に僕が音楽を送る。もし気に入らなかったら送り返してもらう。全然問題ないですよね。大会社じゃないから、あいだに入る人が必要ない。これがすごく気に入ってるんです。これが出来ないぐらいなら、レコード会社を持つなんて面倒なことはしないでしょうね。一方で売り上げはすごく小さいんだけど、それはかまわないんです。もともとすごい大ヒットアルバムを出す気は全然ないんですから。それに流通の中間業者がいない分、CDの代金15ドルは直接会社に入ってきますしね。

-あなたのように長年有名ミュージシャンと仕事をされてると、当然音楽産業のすごくいやらしい部分も分かってらっしゃると思います。そういう世界から一歩離れて、自分自身でやってやろう、っていうのが素晴らしいですね。

私と同じような経験があって、しかもまだ自分自身のアルバムを出したことが無い、っていう人なら誰でも同じ結論を出すでしょうね。もちろん好みのレコード会社を選んで、ってことも出来るわけですけど、それでも売り上げのためのプレッシャーとか、音楽自体を水増ししたりして妥協を迫られる、ということからは逃れられないと思います。ちょっと例をあげますと、例えばアルバムのパッケージに関しても、それ専門の部署が決めるんではなくて、自分の思い通りにしたいんです。正直言うと、僕は最近のクリムゾンのジャケットが気に入らないんですよ。もし自分のアルバムだったらグラフィックからパッケージングの全て自分でやってると思います。「宝石箱」{訳者注:一般的なプラスティック製のCDケースのこと?}は気に入らないっていうか、嫌いですね、ホントは。アレを使わなきゃならない理由が分からない。でも規模の大小を問わず、レコード会社がボール紙製のジャケットを使わないのは、冗談抜きでそっちの方が数セント割高になるからなんです。すべてビジネスで割り切るレコード会社にとってはその数セントが大問題なんです。でも僕にはそんなことは理解できないし、もうそれでいこうって決めてました。今回の作品で一番苦労したのは音楽とは全く関係なくて、どこの会社にジャケット制作を頼むか、ってことだったんですよ。あんなジャケットを簡単に引き受けてくれるとこはどこにもありませんからね。ボール紙とか印刷機とか、折り畳むためだけに別の会社を依頼するとか、全くゼロからやらなきゃならなかったんです。正直な話、そういう関係のことは全然やりたくなかったんだけど、まあなんとしても自分の好きなジャケットにしたかったっていうことですね。で、結果には満足してます。期待通りの音楽、っていうだけじゃなしに、期待通りのパッケージになりましたから。べつにアレは僕が発明した新タイプのパッケージ、っていう訳じゃないんで、今までにも幾つか同じようなものを見たこともあるんですけど、そういうのは会社が特別にバンドへの好意で限定盤を出してくれるときだけなんです。それからビニール包装とバーコードもやめたんですけど、輸出関係でクレームが付きまして、「ビニール包装しなきゃだめ」っていう国もあるんですが、「それはそっちでご自由に。」っていうことにしてます。

-それでは、World Diaryの音楽的な部分について。

僕は一旦アルバムが完成しちゃうと、それを聞き直すっていうことはないですね。それで積極的にインタビューを受けたり、アルバム中の曲についてコメントしなきゃならない、って時になって初めて制作当時の事をハッキリ思い出すんです。World Diaryの制作の場合、いろんな面白い話がありますよ。だけど曲に関しては、もう長いこと聴いてないんです。まあ、いつ聴き直しても恥ずかしくないように、とは願ってますし、少なくとも手応えは良かったですよ。自分のねらっていたムードや方向性が出せた気がしました。自分自身のアルバムだし、自分の責任で作ったんですからね。で、僕の狙いは、楽器プレーヤーが本気を出せばどこまで出来るのか、っていう事だったんです。なんせ素晴らしいプレーヤーには事欠かないんだから、クールなアイデアでしょう?幸運なことに色々と世界を旅してすごい連中にも出会ってますしね。で、僕が選んだのは楽器の演奏と生き方が一つになってるようなプレーヤー達なんです。彼らに何の制約もなしで演奏してみて欲しかったんです。中にはアルメニアのダブルリード楽器doudoukの奏者、Levon Minassianみたいに言葉が通じないような人も混じってます。それから常に録音機材のセットは最小限にとどめました。テープレコーダーにマイクをつないで、それだけで始めるんです。中にはスタジオでの録音もありますけど。そして、テイクも2回以上はやりませんでした。一回きりのモノもありますよ。そういう方向でやりたかったんです。彼らにとにかくやりたいようにやらせてあげるっていう感じで。僕自身そういうやり方に合っているって思うし、だから結果として温かみがあって、生々しくて、素晴らしい音楽、すごくアナログな音楽になったと思うんです。クリック・トラックやドラムマシンっていうような最新の精密機械を使ってスタジオ用にきちっと録音したわけでもないけど、とんでもないミスも見あたらないでしょう?スタジオでちゃんとエンジニアがいて録音した曲の時なんか、僕がクリック・トラックを使わないのが信じられないようで、「そんなことして、後でどうやってテープを切り貼り出来るんだい?」ってぼやいてました。こういうのが最近の常識になってしまってるようなんだけど、僕としてはとにかく音楽のアナログな面に集中したかったんです。

-他にも何か制作時の思い出はありませんか。

冒険もありましたね。Brian Yamakoshiっていう琴のプレーヤーと出会って、もしこの20弦ぐらいの撥弦楽器とStickを引き合わせたらどうなるかっていうアイデアにひかれたんです。二人とも想像がつかなかったっていうか、何度か彼に話はしてみるんですが、二人とも笑ってしまうばっかりで、どんな音楽が生まれるか予想できなかったですね。このときは一気に録音に入るわけにはいかなくて、実際のテイクまでに何度も一緒に演奏を重ねました。結果は面白くてうまくいったと思ってます。それと、オスロへ友人のBendikに会いに行きました。彼は地元出身のサックスプレーヤーなんですが、彼にフィヨルドへ案内してもらって、そこで野外録音にするつもりだったんです。音楽的にいうと彼はとてもピュアな、一種のオープンなハーモニックス構造を操る奏者で、Stickとはばっちり合うと思ったんです。それで、二人でフィヨルドの印象を音楽にして「フリーダム」とか「ピュア」とかいうタイトルを付けよう、ってことにしてました。ところが現実は全然違うことになっちゃったんです。冬季オリンピックか何かでオスロは動物園状態。すごい人出でフィヨルドへもいけないんです。で結局スタジオとクラブへ行ったんです。いったクラブが酔っぱらいとタバコの煙が充満したジャズクラブで、結局演奏する曲は最初の想像とはとんでもなく違ったモノになったわけなんですけど、なかなか楽しんでやれたし、音楽の成り行きに任せて、自分の思いを無理に押しつけるってことはやめたんです。時と場所に相当影響されましたね。

-それぞれの曲がいろんな違った場所で録音されたっていう話ですけど、それでもアルバム全体がちゃんと統一感を持っている、っていうのが面白いですね。

いやー、どうも、どうも。まあ、演奏してるプレーヤーの片方は常に僕なわけで、統一感っていってもそんな大変な事じゃないですけどね。もっといえば、Stickをプレイしてるときは、3つのパートの内2つまでは僕がやってるわけですからね。それはともかく、あんまり技術的なことに重点を置きすぎることは避けようと思いました。技術的なことに関しては大分分かってるつもりだけど、録音関係は全然分かってないんで、操作の簡単なDATのレコーダーを使ったんですけど、音量のレベルのセットさえ分かって無くてね。なにが起こってもおかしくなかったわけで、結果を聴いてみてやれやれですよ、実際。作業中は、とにかくたとえ5分でもそんな技術的なことで時間を無駄にしたくなかったんだけど、レコーダーも確実に動いてくれて良かったですよ。もしそれが故障したら、カセットでもいいから録音してやろうと思ってました。「瞬間」を逃したくないんですよ。「瞬間」っていうのが一番大事でね。技術的なことよりずっと大切なんです。ま、技術面でうまくいってホッとしてます。

-最近、ファンクフィンガーも発売を始めましたね。ドラムのスティックを切断してベーシストの指に取り付ける、っていうものですけど、最初はどういうことから思いつかれたんですか。

アレを使ってベースを弾くようになってもう何年かになりますね。基本のアイデアはピーター・ガブリエルのソロアルバムの録音で、「Big Time」をやってたときですけど、僕が左手で弦を押さえて、ドラマーのジェリー・マロッタにスティックで弦を叩いてもらう、っていうのをやってみたんです。曲にぴったり合うような気がしたからね。こういうテクニックについては、40年代か、50年代初期のジーン・クルーパのアルバムで最初に聴いたんです。

-ファンク・フィンガーに馴れるっていうのは大変なんでしょうね。

中には初めてで簡単に弾きこなす人もいるし、全く頭抱えちゃう人もいて、色々ですよね。僕自身は相当練習する方じゃないかな。最初は、ピーターのコンサートで簡単なことだけやってみたんです。狙った弦を正確に叩くのが大変で、大分練習しました。的は小さいし、ブリッジも湾曲してないから、相当難しいって言えると思います。一番大変なのは、他の弦が鳴ってしまわないようにミュートする事ですね。だって、実際はスティックで楽器全体を叩くようなもんですからね。左手のテクニックが必要になってくるんです。ま、最高に簡単なテクニックじゃないのは確かだけど、めちゃくちゃ難しいわけでもないですよ。クリムゾンのツアーでもABWHの時のようなビルとのデュオをやりたいと思ってます。ファンク・フィンガーとベースのコンビを考えてて、ビルにもベースと、それからファンク・フィンガーでドラムをプレイしてみてもらいたいけど、やってくれるかな。2、3週間後に彼に会うんですけど、その時に訊いてみますよ。

-ABWHの時のデュオはこっちで観ていてもすごく楽しかったです。静かなバージョンだけが録音されて残ってるのが残念ですけど。(イエスのアルバム-Union-の「Evensong」)

毎晩全然違うことをやってましたからね。あれが録音された頃にはまた別のアイデアに取り掛かってまして、アルバムのやつは静かなバラードになってます。毎晩激しかったわけじゃなくて、ああいうのをやった日もあったんですよ。二人には共通点がいっぱいあって、なかでも「即興」ってことになるとホントに二人とも羽目を外すんです。とにかく毎晩毎晩もう全然似てもにつかぬことをやってました。

-今の話からクリムゾンの「ThrakAttack」に入っていこうと思うんですが、あの曲の即興部分を集めたアルバム、っていうアイデアは、元々誰のアイデアだったんでしょうか。

たしか、インターネットのElephant Talkで出たんじゃなかったでしょうか。僕はあれに大分はまってますからね。トレイもだけど。っていっても毎週ETを読んでるわけでも無いんですが、みんながどういう種類の発言をしてるかは分かってるから、それをツアー中に他のメンバーに聞かせたんですよ。あんまり記憶はいい方じゃないんですけど、確かそんなことで始まったんだと思います。で、みんなで笑ってたんだけど、後からロバートが「それって、すごいアルバムになるじゃないか」って思ったんでしょうね。彼からそのアルバムが出るって聞かされたときはすごく嬉しかったですね。このクリムゾンの即興の部分っていうのは、正直言ってファンの中でも特別な人にしかアピールしないとは思うんですが、それにしてももっとCDに収められるべきだ、って思ってましたから。コンサートでももっと比重を増やそうと努力してて、これも簡単じゃないんですけど、最近のツアーでは相当な即興をやったと思うし、僕らも段々上手くなってきてて、そこから何か新しいモノが始まりそうなのが楽しみですよ。僕にとってこの即興の部分は、クリムゾンの音楽で一番大事なことだと言っても良いぐらいですね。Thrakを取り上げても、すごい数のバリエーションがあるし、初めに言っていたABWHのビルとのデュオと同じ事なんですけど、毎晩全く別の曲をやるのとかわりません。

-このThrakAtakが、今後何年も繰り返し聴いて楽しめる作品かどうかという点で、あなたの意見はどうでしょうか。

一つの作品として優れているっていう自信はありますね。僕はクラッシックの曲として聴けると思います。いつもクラッシックしか聴いてないから、僕には問題ないですね。リスナーにとっては器楽的冒険、になるんじゃないでしょうか。(笑)

-Vrooom当時と比べるとクリムゾンはどういう風に進化してきていますか。

いまでもどんどん進化してますよ。ステージ上のコンビネーションも良いし、6人いることで、いろんな選択肢もあります。どういう選択が一番適当か、という結論については何年もかかるんじゃないでしょうか。ダブル・トリオの案も聴いたことあるでしょう?6人をどういう風に組み合わせるか、っていう初めの頃の案なんですけど、結局上手くいかなかった。意識してそういう組み合わせにしてみたのもちょっとの間だけで、あとはなんとなく自然にそうなってくるのを待ってる、っていう状態ですね。今年もさらに新しい方向性で、新しい曲にチャレンジしていきます。ロバートがバンドを引っ張って、彼のビジョンに向けて進んでいくわけなんだけど、誰が何をやろうとしても、どうしてもクリムゾンの「クリムゾン性」、っていうものに自然と支配されてしまうときがよくありますね。そういう意味では長いことやってきたな、とも思うし、これからどんな方向へ進むのかは全く分からない気もします。僕とトレイのあいだでは2本のStickで、デュエットなり他のプレーヤーのための基本トラックなりをやる、っていうのがテーマだったんだけど、具体的にはまだモノになってません。デュオもライブでやることはやったけど、僕は徐々にクリムゾンではStickからエレクトリック・アップライトに移ってきたみたいなこともあるし。なぜStick2本がいいパートを生まなかったか、っていうのは僕にも分かりません。とにかくみんなが考えるような、「Stick2人、ドラム2人、すごい!」っていう風には簡単にはいかないっていう良い例ですね。パットとトレイの加入はバンドにとってすごく価値があることだと思うし、何年かするうちには2人のオリジナルな部分もどんどん前へ出てくると思いますよ。

-あなたの口振りではこのクリムゾンのラインナップは長続きしそう、っていう感じですね。

しますよ。してほしいな。ま、分かりませんよね。(笑)確実に言えることは、僕らのプランではずっと続けていくつもりだって事です。どんなロック・バンドでも同じ事言いますけどね。前回は、だいたい10年計画だったと思います。それがすぐにかわっちゃって、結局4年間でしたっけ?ロック・バンドの将来を予測するってこと自体ばかばかしいのは分かってるけど、今回のバンドは1年の内で一緒にいる時間が少ないぶんだけ長続きすると思いますよ。バントの寿命を考えると、すごい賢いやり方ですね。

-80年代のクリムゾンは、何か緊迫して制しきれない感じがしました。同じメンバーが再び一緒になった、ていうことはグループ内の力学が変わってきた、と考えても良いんでしょうか。

前のクリムゾンから引き続きの4人は今だに激しい性格の人間ばかりで、それは変わってないです。80年代の初めの頃は出来るだけ一緒にいる時間を少なくしよう、っていう雰囲気があったんです。とくに、曲作りのプロセスのような、すごく集中してピリピリしてる時はね。で、そういうプランはあったんだけど、結局それが守れなくて、ツアーはどんどん長くなるし、アルバム作成は長引くし、プレッシャーがきつくなって、それを何とか解決するすべも見つからなかった。結局プレッシャーが強くなりすぎて、バンドがバラバラになったんですね。で、今回はあの経験を生かしてやっていきたいですね。いま僕が過ごしているような時間、つまり、何カ月もリハーサルもなにもせずに、それぞれで次の音楽のプランだけ考える、っていう時間を絶対持つことになってます。こういうバンドも変わってますよね。一方で僕の中にはクリムゾンの事で一年中集中して頑張りたい、って思う部分もあったりするわけで。でもさっき言ったように、この方が長続きするんですよ。作品のペースはちょっと遅くなりますよね。何年かおき、っていう感じで。半年毎に新作、っていうのはやらんでしょうね。

-80年代と比較して、バンド内での自分の役割の違いっていうものはありますか。

実際そういう事はあんまり考えたことないですね。どんなプロジェクトでも自分の役割についてなんてあんまり考えてもみないんです。僕はただのベース弾きで、正直言ってそれについて考えたことないし、自分を定義する必要も感じませんね。音楽が鳴り出した時に、身近に僕のベースがドサッて置いてあって、その中に僕の手にぴったり馴染むやつがあればいい。僕の中のある部分が、こういうパートでいこう、って決めるわけだけど、それは僕の知性とは別の部分ですね。そういう決断をするときのロジックも理屈もホントはわかってないんだけど。役割に関してはまあその程度ですね。80年代にはクリムゾンの2人の作曲者が、なんて言うか、涸れ果てちゃったみたいな時期がありました。ロバートもエイドリアンも自分のソロアルバムで燃え尽きたみたいになってたから、その隙にStickを使ってベーシックなトラックを幾つか作ってみたんです。で、そんな悪い出来でもなかったんだけど、なんとなく全員いまいち気に入らなかったのかな。その後そういう、トニー・レビンが基本のアイデアを持ち込んで、ギタリスト達がそこにつけ加えていく、っていうやり方は実現しなかったですね。やろうと思えば出来るんだけど、ベストのやり方じゃない、ってことです。

-キング・クリムゾンは様々な経緯を経ながら30年近くも続いています。これだけ長く続いてくると、いろんな重荷や期待が山のように膨らんでのしかかってくると思うんですが、その辺はどう対処されてますか。

僕から見ると、クリムゾンって言うのはロバートのビジョンのことなんじゃないか、と思います。僕は彼を尊敬してますよ、初めて会ったときからね。最初はピーター・ガブリエルのセッションで出会って、それから彼の演奏を聴く毎に、彼の音楽観に対する尊敬が強まっていきました。僕はクリムゾンみたいなバンドは、実際誰か一人の人間のビジョンで引っ張っていかないとダメなんだと思ってます。だから僕は今はハッピーですね。僕がメンバーだから言うんじゃないけど、彼はリーダーにふさわしいと思います。すごいビジョンがあるし、素晴らしいミュージシャンですよね。もちろん僕らの方からもそれぞれ才能を出し合わなきゃ、自分達の思うようにやっていけないわけで、当然そうするわけだけど、全体的なビジョンでおおよその方向性は決まって来るんです。そういう形でうまくいってると思ってます。クリムゾンを定義するときに、ロバートの中で暖めてきた90年代の方向性、っていうものが欠かせないわけだけど、今までのところずっと彼のラディカルなアイデアに驚かされつつ、引きつけられっぱなしですね。彼に電話で「もう1人Stickプレーヤーを入れるっていうのはどうかな。」って訊かれた時は、大分長いこと電話口で黙り込んでましたけどね。(笑)今も僕にはそんな感じのとこがある・・・あんまり簡単な事じゃないですからね。だけどどうせどっかでそんな事になるんだったら、このバンドでやってやろう、って思うんですよ。トレイの事は、演奏も聴いたことなかったけど、ロバートを十分信用してましたからね。一緒に音楽やってる人間をみんなこんなには信用するわけじゃないけど、ロバートは信用できるから、良いプレーヤーを選んでくれると思ってました。だからトレイのことも、彼の演奏を聴く前から良いプレーヤーだって信じ切ってましたね。もちろん今は彼がホントに素晴らしいプレーヤーだったことを喜んでます。いろんなアイデアを持ってるし、僕とはStickの弾き方も全然違ってるしね。だから、僕らは同じ楽器は演奏してるんだけど、全く別々のプレーヤーなんですよ。彼と同じバンドでプレイしてて、Stickのプレイに関してもいろんな事を学びましたよ。

-彼とは個人的なつきあいの方でもうまくいってますか。

ええ!簡単なことですよ。トレイはすごくつき合いやすいし、僕の方もそうだと思うしね。彼とパットは両方とも人に好かれるタイプですよ。

-先ほどの話で、ビル・スミスがデザインしてる最近のクリムゾンのCDジャケットには不満があると言われました。これはどういうことでしょうか。

まあ、一つにはCDのジャケットに2000回もサインさせられた事から来てますね。この経験についてはエッセイを書いたぐらいです。とにかく、ジャケットのデザインが目に焼き付いてしまいますよ。僕はビル・スミスについては何も知らないけど、僕らの作品のデザインに関しては気に入らない。全く深みが無いって気がする。う〜ん、中にはましなのもあるけど。僕としてはクリムゾンには何年経っても通用するような音楽とグラフィックを生み出して欲しい。例えば10年後に聴き直したりジャケットを眺めてみたりして、「ま、1984年頃はこうだったんだな〜」っていうようなのは嫌なんです。「おお、今だにすごく挑戦的な音楽とデザインじゃないか!」っていうものが欲しいんですよね。80年代の僕らのジャケットは古典の域ですよ。シンプルで、別にでっかいテーマを主張してるわけじゃないんだけど、かっこいいですよね。T-シャツもそう。今でも新鮮で古さを感じさせない。最近のやつはいつか古ぼけてしまうような気がします。World Diaryのカバーをよく見てもらうと、どっか80年代クリムゾンのジャケットと似てるところに気が付くと思うんです。あの基本色を配した真ん中に絵を入れる、っていうアイデアをコピーしてますからね。

-短所としては、サインをするスペースが大きい、ってこと?

(笑)いい点突いてますね。

-CDにサインした時のエッセイは、どこに出てます?

近々Papa Bear Recordから出版予定のベースの教則本に載せると思います。この本に関して言うと、僕がベースを弾き始めた頃からずっと書き続けてきた物で、ベースをプレイしながら体験したいろんな出来事や思い出を集めた物になります。エッセイも入ってるし、出来れば三分の一ぐらいは小説も入れたいと思ってます。

-普通の教則本とは違う感じですね。

ええ、良くあるベース教則本みたいにはなりませんね。演奏技術の事はとばしてるんだけど、ベース演奏の話なんです。10年前には書き終えるつもりが結局出来なくて、まだこれからクリムゾンのツアーの最中も午前中はこのことにあてるつもりにしてます。

-あなたは最もアクティブで、最も有名なベーシストの一人です。しかも長年プレイしてきて、ベースの役割について、いろんなアイデアが浮かんでは消えるのを見てこられました。あなたから見て、ベースという楽器は最終的に「サポート楽器」という汚名を返上出来たというふうに思われますか。

80年代と90年代じゃ大きな違いは無かったですね。長い歴史のあいだにときどき革新的なプレーヤーが出てきて、ベースの役割を新しいところへ引き上げてきました。僕が子供の頃にベースを弾いてたときからそんな人を聴いてましたから、ずいぶん前からそういう人はいたんですね。で、例えばジャコ・パストリアスみたいに、単にベース演奏を別の次元に引っ張るだけじゃなしに、まともな、素晴らしい内容の音楽を生み出した人々もいるわけです。それからベースはどんどんリードパートも受け持つようになりました。これって、クールなことですよね。別に僕がその動きの一端を担ったわけでも、追っかけようってわけでもないけど。とにかくそれはベースにとって良い選択肢が増えたっていう事だと思います。そしてベースには他にもまだ手つかずの選択肢がいっぱい残ってると思います。僕は普通ベースっていうのはどういう風なイメージを持たれてるかとか、どんな役割を与えられてるかっていうことは良く分からないし、それどころか僕の参加してるグループやその周辺ではそんな話も出ないですよ。

-あなたの言われる「手つかずの選択肢」とは?

さあ、どんな選択肢かは僕もわかりませんね。僕が言いたいのは、何年かに1人、いや半年に1人ぐらいは必ずどこかに、誰も今までやったことないようなプレイを編み出すベーシストが出てきて、その内の何人かは出したレコードが評判になって、他のプレーヤーとかがそれを追いかけ始める、っていうことなんです。70年代にはチョッパーが出てきたでしょ。あの頃みんなアレを覚えなきゃならなかった。ときどきそういう影響のあるのが出て来るんです。フランジャーの流行もあったし、それからフェイザーをかけてみたり、で、あのジャコのとてつもないテクニックとハーモニックス奏法を使った、どんどん全面に押し出すみたいなプレイとかね。これじゃベースの歴史の講義だな!(笑)ジャコはハーモニックス奏法をリードプレイで使って前面に押し出したわけですけど、それ以前はそんなこと誰もやってなかったんです。しかもジャコは他のことをやってても自分のテクニックをみせつけるみたいにしてた。それがすごかったんで、みんなコピーし始めたんですよ。それから、ベースのフィンガー・タッピング奏法が出てきた。またこれで新しい世界が開けたわけなんです。こういうことはいつの時代もあったと思うんです。一般論を言えば、以前よりもベースが強く押し出されたレコードが増えてますよね、嬉しいことに。しかも同時に、グルーブを確実に刻むだけでソロなんか受け持たないような、基本のプレイに徹したようなレコードもたくさん出てる、っていうことも素晴らしいことです。僕にとっては、とにかく上手にやってくれさえすればO.K.ですね。例えたったの5秒間でも、音楽全体にそぐわないようなプレイが聞こえるともう堪えられなくて、自分が逃げ出すか、音楽を止めちゃうかしてしまいますね。まあそれはベースに限らずどんな楽器にも言えることですけど。音楽を聴くときは、僕はテクニックを聴くんじゃなくて、音楽の中身を聴くんです。後になってからプレーヤーのテクニックを意識することはありますけどね。

-あなたはカスタム・メイドの3弦ベースを持っていましたね。あれはあなたの、ベースという楽器についての一つの主張だったんでしょうか。

ええ、まあそうでしょうね。最近は6弦ベース、っていうのも良く知られてるし、僕自身5弦のやつを持ってますが、普段は4弦のを弾いてます。で、何処でだったかも何故だったかも忘れましたが、あるとき気が付いたのは、4弦全部を使うことって滅多にない、っていうことなんです。まあ、さっきクリムゾンの話をしたのに、ちょっと話が合わないみたいなんですけど、実は僕の演奏の大半はクリムゾンを離れてのものなんです。クリムゾンにいるときは、とにかく弦はあるだけ使いますよ。(笑)クリムゾンの場合、弦は何本あればいいのか分からないですよ。大体低い音のパートを弾いてますけど、決してつまらない物じゃないです。で、ピーター・ガブリエルとか、その他いろんな良い音楽の大半がそうなんですけど、そういうモノを演奏する時には実際4弦全部は要らないような気がしてきて、じゃあ何本あればいいのか、って考えてみたんです。それで、今までベースの特注はしたことが無かったんだけど、最初は2弦にしようと思ったんですが、ところがそれじゃあネックが細すぎて問題が出てくるんで、結局EとAとDの3弦に落ち着いたっていうことなんですよ。BとEとA、っていう組み合わせも考えてみたんですけど、あまり具合が良くなくてね。それでE、A、Dの組み合わせに決めて、それからMusic Manと共同で弦の間隔について色々試してみて、ファンク・フィンガーでも他の弦にあたらないようにプレイ出来るように、普通よりちょっと間隔を拡げたんです。まあ、普通の間隔でもちゃんとプレイできるだけのテクニックは身に付いてましたけどね。それから、僕はトーンコントロールもボリュームもついてないベースが欲しかったんです。特にボリュームは、全然使わないですからね。それでつまみも何も付いてないベースを作ってくれました。あれこそ「ただのベース」だったなあ。僕はいま過去形で話してるんですけど、それは僕の家が火事になって、残念ながらあのベースも焼けてしまったからなんです。3弦ベースはだからもう無いんです。

-新しく作る気は無いんですか。

Music Manからは作りなおす、って言ってきてくれてますんで、また手に入ると思います。あのベースはピーター・ガブリエルのツアーには持っていったけど、クリムゾンの時は持っていってませんし、新品が届いてもクリムゾンの時は使わないでしょうね。いろんな事をやるベースじゃないんですから。でも僕はとにかくMusic Manのベースのサウンドが好きで、だからあんまりイコライザーとかはいじりません。自分の好きなように調整できたら、後は殆どそのままで弾き続けます。だから、初めから良い音のするベース、っていうのが好きなんですね。低い音が出て、そこそこ高い音もでるけど、すごく高い音は必要ない。ま、これで十分で、それ以上は必要ない、っていうのが僕の個人的な主張でしょうね。ああいう楽器で気分良くやれるタイプのプレーヤーなんですよ。実際いろんなギグで使ったけど、必要な事が出来て、それ以上のことは出来ない楽器、っていうのは気持ちの良いもんです。

-あなたをベース全体の歴史の中に位置づけようという人も多いわけですが・・・

あちゃぁ〜

-(笑)さあて、面倒な質問ですよ〜。

3弦ベース以外も弾いててよかった。もし3弦だけだったら、誰も興味を持ってくれなかったでしょうね。

-それでは質問です。あなたはベースの歴史にどういう貢献をしてきたと思いますか。

そんなことは、全く考えてみたこともないです。いつ引退するのって訊かれる方がまだましですよ。ほんとにそういう考えには全然興味がないし、いつも自分がこれから何をしたいかとか、今現在チャレンジしてる事とかだけを考えてますから。で、今はファンク・フィンガーの練習を続けてますし、それから新しいStickが来るんです。電気的な部分がちょっと違ってるヤツです。それと、Stickの高音部の練習もしてますけど、きついですね。Stickはベースとは全然別個の楽器だけど、僕はなんでもありの演奏者だから、それぞれの曲を聴くまではどっちを使うかも決めません。だから新しいテクニックも練習してるけど、以前からのテクニックを磨くこともやってます。まあ、僕が演奏面で集中してるのはそういった事ですね。自分のキャリアとか影響とかは考えませんよ。

-大変結構でした。それじゃ、クリムゾンでもう一人のStick兼ベースプレーヤーと共演する難しさについて話して下さい。

難しいことも無いことはないですが、思ったほどではないですよ。というのは、トレイは最近高音部へ移ってきてますからね。つねにベースの音域外というわけでもないですけど。大体コンサートの間の4分の1ぐらいは二人で同じパートをユニゾンとかオクターブでやってる、っていう感じですね。作曲するときは二人で時間をかけてベースパートを作っていきました。ときどきパートを取り替えるんだけど、ライブで見ててもレコード訊いても多分誰も気づかないんじゃないかな。8小節彼が弾いて、その後僕、っていう場合もあるんですよ。まあ、ベース奏者にとって何が一番難しいか、といえば、自分と同じ音域に別のパートがだぶっている、っていうのがもちろん一番大変ですよ。それがキーボード奏者のシンセの音であっても、やっぱり問題は残りますね。ベースの音域で鳴ってる音に敏感にならないようなベーシストなんていないでしょう?僕はすごく敏感ですよ。同じベースの音域で2人のプレーヤーが別の音を鳴らす、っていうのは、何かハッキリ目的が無い限りひどい音になってしまいます。二人が同じパートを同じフレージングでやるのでも好きじゃない。単にベースをダブルでやるにしたって、その方が良い音になるとか何とか、ちゃんとした理由がないとね。だから、まあ、同じ楽器の奏者が2人いる、っていうことは常にお互いの邪魔にならないようにして、なおかつなんとか良い音を捜して出して弾く、っていうことに尽きますね。簡単にはいかないですよ。1人がStickでもう1人がエレクトリック・アッブライトの場合は、ちょっとは楽でしょうね。僕はアップライトをよく弾くんですけど、それは弓で弾く、っていうチョイスがあるからで、これはまた全然別のサウンドになってきますからね。まあ、僕らのチャレンジっていうのはそんな感じで、お互いの邪魔をしない、ってことですね。トレイの場合、自分の好みのスタイルっていう物を打ち立てようとしてたし、僕は当然すでにクリムゾンでプレイしてて、彼にも僕のスタイルが分かってましたからね。色々と充実してたし、チャレンジだったけど良い感じでやってきたとおもいますよ。まだ僕らのアイデアで世界中のベーシストを驚かせるところまではいってないですよね。ということは、まだまだやることが残ってるってことけど、僕とトレイのやってることは恥ずかしくない仕事だと思いますね。コンサートがいい結果になってます。客席からはどっちがどの音を出してるか、聞き取れないこともあるだろうけど、お互いにある程度自由な空間を譲り合う、ていう意味で成功してると思いますね。

-あなたを見ていてすごいなと思うことの一つは、あなたが典型的な芸能人っていう型にははまることから見事に逃れてきた、っていうことなんです。他人に対してホントに普通の人として、というかまるで外交官みたいに丁寧な態度で接しているでしょう?ファンに対しても他のミュージシャンに対しても。

元々そういう人間なんですよ。別に自分のそういう態度を意識してもいませんしね。一つ言えることは、バンドというものは政治的な生き物なんです。どんなバンドにも内部政治があるっていうことをクリムゾンに来て初めて知ったんです。バンドにいて一番辛い部分ですよね。(笑)だけど無視するわけにいかないし。もし僕がみんなを刺激せずにやってきてたとしたら、それは自慢してもいいことですよね。インタビューで自分の事を学ぶ、っていうのも良い経験ですね。えっと、それから何でしたっけ。外交官みたいって?

-あなたが公共の場で他のミュージシャンや音楽業界人の悪口を言ったことは、私の知る限りないんじゃないでしょうか。自分だけをいつも批判してますね。これってホントに特殊な例だと思います。

うーん、大体言いたいことが分かってきました。僕の性格って事もあるでしょうね。だけど一方であなたの読んできたインタビューのせいでもあるんです。ここ数年インタビューに関しては特殊な態度をとってきたんですけど、最近それも変わってきたんですよ。僕はいつまでも一つの態度を変えないタイプじゃないし、自分の意見が変わったからって恥ずかしがりもしないしね。僕は実をいうと何年間もインタビューは大嫌いだったんです。ちょっと説明させてもらっても良いですか。

-どうぞどうぞ。

初めてクリムゾンに参加した頃、やっとインタビューの話がやってきて、当然誰でもそうするように僕もそれを受けたんです。インタビューって、受けてみると自分の話が出来て、気分いいんですよ。でも終わった後で何かすごく違和感が残ったんです。それでその後もインタビューを受けながらそのことを考えてみたんですけど、まず第一に大概のインタビューは、今日のインタビューは別として、インタビュアーが実際僕らの事をなんにも知らなかったり、どんな質問が良い質問か、ってことも分かってないんです。そして僕が気づいた一番嫌なことは、インタビューする方にもされる方にも、一種典型的な期待があって、特にロックミュージシャンやロックバンドを相手にするときなんかは、何かそれが一つのイベントだったり、ある種のムードがあって当然、というような変な偏見を持たれてるんですよ。僕はそういう役を演じるのは絶対嫌だし、そんな役が存在することさえ理解できなかった。で、僕が役を演じようとしなかったり、自分の役が分かってなかったりするから、僕のインタビューはいつもうまくいかず、期待した答えが返ってこないわけなんです。僕の方は失敗したと思ってるし、当然インタビュアーの方もこりゃ失敗だ、って思ってたでしょうね。それで、もう二度とやらんぞ!って決めて、その後長いこと、8年か10年かぐらいは何も受け付けなかったんです。その後、例の3弦ベースを手に入れた時に、あんまり気分が良かったもんだから、インタビュー受けてこのベースの話をしよう、っていう気になったんです。で、インタビューアーとアポをとってこっちから進んでやるからには、自分の言いたいことと言いたくないことの責任は自分で取ろう、って決めたんです。それ以来、インタビューを受ける態度が以前とは変わってきましたね。自分は自分自身に素直になるべきで、向こうの期待するイメージにこだわる必要なんかない、って事を以前より自覚してます。でも向こうが意識してそっちの方へ話を向けることもありますよ。たとえば他のプレーヤーに関する意見をしつこく訊いて、僕が何か悪口を言わないか、って待ってるんです。そういう刺のあるセリフのほうが読んでて面白いインタビューになるんでしょうね。

-音楽雑誌のさもしい状況を少しでも見れば、あなたの意見が良く分かりますよ。

たとえホントに嫌いなプレーヤーのことを訊ねられたって(笑)、そんなこと僕の意見するような事じゃないですからね。別に誰が嫌いって事も思いつかないし。もちろん長年音楽やってる間に、面白くないことも色々ありましたけど、インタビューでそんな話はしたくないですね。だって、僕がインタビューをするのは、インタビュアーが編集長に自慢できるような、おいしい問題発言をあげるためじゃないですからね。クリムゾンの話をするか、ベースの話をするのが僕の目的なんです。インタビューの前には議事案を作ってます。その中には「ヘイ!俺はただの成り上がりロッカーだぜ!」っていうような話は絶対出てきません。ビデオ撮りでカメラが回ってるときなんか、必ずそういうのが期待されますけどね。まあ、そういうのもクリムゾンは平気ですよ。なんでもありのバンドですからね。(笑)インタビュアーの方もクリムゾンのメンバーを前にする時は、ただの成り上がりだなんて期待はしませんしね。

-フリップがインタビューで「成り上がり者ロッカー」を演じるところは想像も出来ませんね。

まあねぇ。大体インタビュアーは彼が出てくることさえ期待してませんからね。(笑)来てくれただけで大喜びですよ。インタビューに関する話だったら僕は一日中でも喋ってられますよ。何が気に入らなかったのかが分かっただけでも気分はずっと良くなったんです。で、一旦なにが間違ってたか分かった後は、色々考えてそれが気にならなくなる方法を見つけだしたんです。インタビュアーとかインタビューの性質が問題だったと言うよりは、僕の側の、先入観とか視点の欠如に問題があったわけで、今はインタビューが失敗でも成功でも、たとえ聞き手にとって価値のないインタビューでも、それで悩まされるってことはなくなりました。

-あなたほどインタビューの技術について考察されたミュージシャンは初めてですよ。

(笑)技術ってほどのもんじゃないですよ。80年代、僕がまだインタビューを拒否してた頃から、エイドリアンやロバートがインタビューを受けてるそばで、彼らの会話を聴くとはなしに聴きながら、よく我慢できるなぁ、とか、何んのつもりなんだろ、とか思ってました。あの2人のインタビューの受け方は全く対照的でしたね。その2人のインタビューを聴いて、いろいろ学んだんでしょうね。2人ほどではないけど、ビルのインタビューからもね。それにしてもエイドリアンとロバートはホントに沢山インタビューを受けさせられてたね。ロバートは大概何について話すか議案を完璧に準備してましたね。エイドリアンは気の向くまま、話の流れのままにいろんな話題に飛ぶんです。ビルは僕と似た感じ。彼とはラジオのゲストとしてよく一緒にインタビューを受けたりしました。だれかラジオにでてくれないかって時、OKなのは彼と僕だけなんですよ。(笑)そういうときビルはすごくユーモアのセンスがあって、それは意識してやってるのかどうかは訊いてみなきゃ分からないけど、多分彼はクリムゾンのヘビーな部分をそれでバランス取りたいんでしょうね。だから僕らのステージは大体そんなに笑えるようなもんじゃないけど、インタビューに関してはビルは笑いを取る線で進める、っていうのが面白いでしょ。THRaKaTTakの中にだって笑える部分がありますよ(笑)

-あなたの名前は知られてなくても、ルックスは有名、っていうところがあるでしょう?私の知り合いの中にも、あなたのことを「あのでっかくてハゲてて髭はやしてる人」って覚えてるのが何人かいますよ。

(笑)そうそう。夕べすごく面白いWebサイトを見つけたんですよ。Tony Levin websiteっていう名前で、そこに僕みたいに足をがばって拡げて僕みたいにStickを構えた奴が写ってて、僕が80年代にピーター・ガブリエルのツアーで着てたのと同じ、イギリスのメカニックの服まで着てるんだけど、髪の毛は生えてるんですよ。で、キャプションに「トニーには似てないけど」って書いてあるんです。笑いましたよ。自分の「ルックス」がある、っていうのは面白いですよ。僕は娘と一緒にくらしてるから、11才の素敵な娘なんだけど、いつもそういう事で冗談言い合ってるから、この事に関しては鍛えられてるんです。その人がどんな人であっても、ロックバンドと一緒にツアーして、マスコミやなんかから注目されるっていうのと、他の主婦とか親に混じって子供を学校まで送っていくっていうのとではすごい落差がありますよ。僕は後の方のことで忙しくしてます。だから、僕のルックスのことを気にしてる人のことを考えると、何かおかしくなってきますね。僕の住んでるウッドストックでは「トニールック」なんて別に大したことじゃないし、それはそうあるべきだと思ってますね。

-あなたの町では別段特別扱いされずに生活できる、っていうことですか。

ホント、そうなんですよ。有名でも何でもないし。自分がどのくらい有名か調べようもないぐらい。べつに何処へ行っても有名で困る、ってこともないですけどね。僕が一番知られてるのは、イタリアじゃないかな。他のところじゃ誰も気づかないですよ。僕が住んでるウッドストックは小さな町で、僕は只の人、っていうか、あの近辺に住んでる40人ぐらいの有名ミュージシャンにかろうじて入るぐらいでしょう。

-いずれにせよ、あなたが例えばサタデーナイトライブとかそういう番組でロビー・ロバートソンと共演したりするときには、すごく目立ってるでしょう?よかったら今のルックスに決定した「運命の日」の話をしてもらえませんか?

70年代始めの頃、すごく暑い時があったんです。8月に猛暑のさなかニューヨークに住んでましたからね、暑苦しいモノは全部とっぱらっちまえ、ってことで頭を剃ったんですよ。日焼けとか大変だったけど、夏の終わり頃には段々気に入ってきてね。その後何年かは9月10月の肌寒い時期が始まると髪と髭を伸ばし始めて、また3月にあったかくなると全部剃っちゃうっていうことやってました。2年ぐらいはそんな風にしてたんだけど、そのうちこの方が髭を伸ばして長髪でいるよりずっとかっこいいし、若く見えるな、って思ったんで、見栄を張ってずっと剃ってることにしたんです。その後髭はいつ頃から伸ばし始めたかなぁ。とにかく計画的に自分のルックスを決めたんじゃないんですけど、初めの頃子供らに「おお!」って言われたのは覚えてますよ。ユル・ブリンナーみたいだ、ってわけですよ。

-(笑)

いやぁ、古い話ですね。(笑)それから「お、コジャックだ」って言われるようになって、(笑)とくにヨーロッパでね。最初頭を剃ったときはユル・ブリンナーが流行ってて、その後コジャックになって、それから段々ロックのバンドで剃ってる奴が沢山出てきたんです。ま、当然でね。どんなルックスも巡り巡っていつか流行するんですよ。

-ソロ活動や写真の活動の予定はどうなってますか。

いまは自分のホームページの整備とPapa Bear Recordsの事に没頭してます。家にいる間にこういう事がちゃんと機能するようにしとかないと、安心してツアーに出れませんからね。僕の小さな会社に関して一番大事な点は、それを通して何でも僕の好きなモノを出せる、っていことだから、条件は出来てるんだけど、いろいろと細かなめんどくさい仕上げが残ってて、なかなか出したいモノ自体に集中できないんですよ。それでも今年は先ずベース教則本を仕上げて、出版します。それから、80年代クリムゾンやガブリエルの写真をまとめたRoad Photosって写真集を再版するつもりです。すこしずつ次の写真集の準備もしてるんですよ。でも一冊の本にしようと思ったら何年分もの写真が要るんです。で、クリムゾンも再結成したし、意識してバンドのドキュメントを撮ってますから、いつか新しい写真集になると思います。それから、1年半後ぐらいには、イタリアで写真展も開く予定です。9月にクリムゾンがツアーを終えたらすぐに始めるから、それまでに写真をやっつけないとね。次のソロアルバムもいつかは出るでしょう。アイデアは幾つかたまってるんだけどね。

-例えばどんなアイデアでしょう。

一番やりたいのは、Stickを背負ってハーレーに乗って、アメリカを横断しながら各地のミュージシャン達とデュエットやアンサンブルでやる、っていうことです。それぞれの地元でね。World Diaryの続編みたいなもんです。World Diaryは大概ヨーロッパのホテルとかで録音してて、ワールドミュージックのミュージシャンが多いんだけど、アメリカ人は入ってないんですよ。これは、意識してやったことで、後からアメリカ版でもっとタイプの違う、アメリカっぽい音楽をやろうと思ってましたからね。ハーレーも大事な一部分ですよね。音楽面だけじゃなくて、全体として冒険的なモノにしたいんです。でも1月にはちょっと無理ですよね。

-天候がきついでしょうね、確かに。

ええ。だからやるとしたら夏なんだけど、毎年夏にはクリムゾンのツアーがあるから、どうしようか悩んでるんです。そういう実施面の問題があるから、ここ数年は別のアルバムを作って、いつかその後でいつかこの計画に取り掛かろうかとも思ってます。それからもう完成してるアルバムもあるんです。もうそれこそ何カ月も前、クリムゾンが休みの間に構想を練り終わってたんですけど、僕の家の近くに洞窟が一つ合って、中が湖みたいになってるんですよ。そこで録音したい、って思ったんで、ドラムのジェリー・マロッタとインディアン・フルートのスティーブ・ゴーンっていう2人の名手を呼びまして、洞窟の中で録音して、素敵なアルバムがほぼ完成してるんですが、僕の会社からそれを発売するための時間が全然とれないんです。あんまり忙しすぎるんですよ。何としても発表したいのに、それに向けての準備、例えば別のレコード会社とコンタクトすることさえもまだ出来ないでいる。しかも僕のことだから、ジャケットとか何かが気になって、結局は自分のレーベルから出すことになるのかもしれません。これは来年か再来年までに何とかしようと思います。こう言うのを普通、お蔵入りアルバム、っていうんでしょうけど、内容はすごく変わってますよ。なんせ残響が10秒もあるようなところでライブ録音なんですから。ものすごいリバーブですよ。

-噂では、あなたはインターネットのベテランだそうですが。

電子メールはずいぶん前から使ってますね。何年だったかは忘れましたが、80年代にクリムゾンとガブリエルの両方でツアーしてた時期があったんです。で、両方のマネージャーになんとか電子メールを使って貰えるようになって、ツアー中もいつもう一方のツアーが始まるかとか、そういう情報交換が上手く行くようになったんです。もちろん今みたいな事はあの頃は全然出来なかったんですけどね。たしかバルコムとか何とかいうシステムで、僕が39人目のユーザーとかだったと思います。それから1年ほどして、たまったメールの料金がどんどん上がるし、僕の思ってたのとは違う方向に展開してきたから、一旦しばらくの間遠ざかってました。僕は僕の周りの人間で一番最初にファックスをいれたんですが、それが紙文化への後退だと分かっていても、これで問題がかたずくぞ、って思っちゃって、飛びついちゃったんですよね。

-あなたのように有名ミュージシャンでありながら自分のメールアドレスを公開してるっていう人は珍しいですよね。

いや、実はね、最初加入したときは、これはいつもそうなんですけど、説明書をよく読まなくて、本名を使うべきじゃない、っていうことが分かってなかったんですよ。で、本名のままでアドレスを決めちゃったんですけど、別にそれでも問題は起きてないですよ。僕はスーパースターってわけじゃないから、そんなまとわりつかれる事も無いし。メールの返事で休む暇もないときもあるし、暇が無くて全然返事の書けないときもあります。ときどき知らない人からのメールが舞い込むけど、別に問題ないですよ。ネットをつかうって、こんな簡単なことか、って驚いてるぐらいです。

-私の記憶では、あなたが初めてニュースグループに書き込みを始めた頃、みんな本当に本物のあなたかどうか、って疑ってましたよね。

そうそう、それってよくあるんですよ。90年代になるまでそんなこと考えても見なかったけど、こんな質問もありましたよ。「どうやってあなたがあなたであることを立証できますか。あなたが本物のトニー・レビンである事を。」こんなの世界の誰が聴いたって、頭こんがらがっちゃいますよ。で、僕はこう答えることにしてるんです。「え〜、立証は出来ません。だから我慢して下さい。僕の方としてはあなたが信じようと信じまいとどうでも良いことです。だって、あなたが本当にあなただってこともわからないんですから。」(笑)







翻訳:深谷源洋(Tony Levin Club of JAPAN, Sourh America division)
このページの著作権はTony Levin Club of JAPAN, 並びに原版のAnil Prasadさんが保持しています。
深谷さんの多大なるご協力に感謝すると共に、快く翻訳と掲載を許して下さったAnil Prasadさんに感謝します。
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