Tony Levin's 'Road Diary' Archive Vol.1 1996 |
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1996年5月16日 - ウッドストック、NY ハイ、また会えたね。 今週からキング・クリムゾンとのリハーサルのため、ボルドーに行きます。 毎週書けたらいいなと思ってるんだけど、ヨーロッパでうまく繋がるかどうかわからない。 クリムゾンのツアーはボルドーのル・クラカトアからスタートします - そこはぼくたちが練習するのに最適だから。というのは、ぼくらは古い曲 - 精神異常者を - を復活させようとしているのです。 以前にもリハーサルをやってみたけど、このときは実際に思ったほどの出来にはならなかった。 ベースパートは殺人的なので、この曲をやるにはたくさん練習を重ねないといけないのは分かっているしこれをFunk Fingersでやろうと思っている。 これはまるで監獄のようです! ぼくはクリムゾンのツアーが東ヨーロッパから始まるのをとても喜んでます。と、いうのはこれまでそこであまりやったことがなかったし、ぼくらにはとてもいい機会だと思ったから。 ツアーの途中、2日休みがあるけどぼくはIvano Fossatiのイタリアツアーに参加する予定 - だからとても忙しい!でも、彼のアルバムのために我々がやった2、3の曲はスティックとヴォーカルだけのものなのでとても楽しみ。 Crimson Valet - ロード中にカプチーノを作る ロードケース - はまだ出来上がらない。金曜日には出来上がらないとパニックになる。 ぼくの荷物を船便で出してしまうので。ぼくはこのsiteのための写真を撮るつもり。ロードに合わせるのに気の狂うような忙しさ。例えば、Funk fingersをちゃんとした製品にするためにロゴを入れたりもっと質をよくしたり。ぼくらはFun fingerの先端をゴムで包むことに決めた。それで、ぼくが町を離れる前に準備を済ませておきたいと思っている。ぼくが見つけた素材に漬けるところにはいたくないと思っている。なにしろひどい臭いでめまいがおきそうだから。それから、ぼくのパワーブックをロード前に取り戻さなくてはならない。前のロードで壊れて何週間かコンピュータなしで暮らさなくてはならなかった。これ以上耐えられない! ぼくはトロントのフラメンコギタリストJesse Cookとの録音を済ませたばかり。今週はPaula Coleのセカンドアルバムの仕事をしてます。
ツアー用のNS アップライトベースの調達と近くのRetrospec製のコンプレッサーを調整しおわった。
Music Man anniversary bassももうすぐできそうだけどギリギリで船積みには間に合いそうにない。
1996年5月26日 - ボルドー、フランス
キング・クリムゾンのTHRaKaTTaKツアーがとうとう始まります。 ぼくらは先週末に到着して、ル・クラカトアでリハーサルをしてます。今夜はウォーミングアップショーをこの小さなシアターでやります。ぼくたちのホテルは幸運にもダウンタウンにあってシアターがあるような郊外じゃなかったので、大事な朝のコーヒーやヘラルド・トリビューンや写真屋さんにありつけます。でも昼から9時までずっとシアターで仕事してました。 ぼくたちは”21世紀の精神異常者”(70年代の、僕たちメンバーのほとんどがいなかったころのとても難しいナンバー)をレパートリーにつけ加えました。どういう風になるかわからないけど今夜これをやる予定。それから、Waiting Manも新しい曲と一緒に復活させて今後やる予定。 できあがったTHRaKaTTaKを見たら、ぼくの焼けた小屋の写真が使われているだけじゃなくて、中の小冊子にツアー中のコーヒーステーションのCrim Valetの青写真が載っているのを見つけた。Crim Valetについていえば、船便で着いたとき壊れていたんだけど、ぼくのベース・テクのMicheleが直してくれて今は素晴らしい働きをしてくれています。バンドはこれでヒヤヒヤした。
ぼくは家から離れた生活に慣れようとしている。もっと書く時間がとれればいいけど、インターネットへの接続は難しい。(ぼくは各国仕様の電話コネクターを持ってない。)
朝はぼくの本を書く時間を作りたいし、スケッチ板も持ってきた。
明日ぼくらはマドリッドへ飛ぶ。で、はじめてのオフ。
1996年6月6日 - ワルシャワ、ポーランド
昨夜はすごく暑いテントの中でのムシムシするショーだった。今朝目ざめたぼくはメイドにカギをかけられて部屋に閉じ込められたことに気づいた。あわててメガネをかけて鍵を探し回らなくてはならなかった。 チェックアウトのとき、ぼくは支配人に、これはぼくには大したポリシーだとは思えないね、と話した。 ぼくは誕生日にはあまりパーティを開かない方なんだけれど、ポーランドに今日飛び、ホテルの部屋で5つの電話インタビューとくれば、これはあんまりお祝いにはいい方法とは思えないね。 ホテルに着いて、Bulls対Sonicsの試合の最後5分だけ見ることができたけど、ドイツ語なのが面白かった。 バンドのみんながぼくをディナーに連れて行ってくれることになっている。願わくば、我らにいくばくかの楽しみのあらんことを。 面白いカードが部屋に。”このホテルは環境にやさしいホテルを目指してますので、多量の洗濯物が引き起こす公害から自然を守ることにご協力下さい”。ふーーーーーむ。
ディナー後の追記:インタビュアーは2人電話してこなかった。ぼくたちはワルシャワの中心で静かな夕食を食べた(おいしいボルシチだった)あと、ジャズクラブに行ったけど閉まってた。
彼らはまるで巡業に出てるロックバンドみたいにワイルドだぜと言った。このロックバンドじゃないやつのね!
6月19日、ブダペスト、ハンガリー ブダペストでのびしょ濡れフェス - 今ちょうど野外のショーを終えてステージを降りたところ。 この夜は早くから雨だったので、熱狂的な聴衆はずぶ濡れで、僕たちの前座をやっているカリフォルニアギタートリオも演奏をとばされてしまった。雨は終盤には上がっていたけど、ツアーの東ヨーロッパの終わりに向けてぼくたちははしゃぎ回ったステージだった。ワルシャワは素敵だったし、プラハはなんともいえずきれいな町だった。ドイツのチェムニッツやスロバキアのプレソブは....まあ、聴衆はみな熱狂的で、楽しかった。
ハンブルグに戻ってみたらP. Gabrielから素敵な誕生日の花束が届いていた。ホテルに置いていくのはもったいないくらいだったので、ぼくはバスに持って入った。翌日気がつくと花瓶が倒れていてラウンジバスのシートを当分乾かない程ズブ濡れにしてしまった。しばらくの間そのシートに座った人はPeterの親愛の情を思い知らされることになった。その花束は厨房にあると知らされた(たぶんバスの運転手のトニーがコックにあげちゃったんだ)。彼らはまたまたどうやってそれを運ぼうか思案することだろう。まさに贈り物は人から人へ贈られ続けていくもんだよね! じゃ、また。
6月28日 - バンドはブリュッセルに向けてハッスルする イタリアのショーは全部終わった。 最後のピサでのショー以外は全部野外のしかも雨のショーだった。 リグナノのショーでは特にびしょ濡れで風が強く、ショーが進むにつれて段々雨足も激しくなってきたので、最後のアンコールのRedではギターがずぶ濡れなので、互いに目くばせして一部ハショった。 (そこでのホテルの名前:ホテル”悲壮”) しかしまあ聴衆はみな熱狂的で、殆どは大体いいショーだった。
ミラノでは、ぼくらのかつてのお気に入りのレストラン、ラ・タンパ(今はテンチットになってる)を見つけた。今23歳のウエイターは、彼が9歳の時(1982年)に家族と一緒に食事に来てたときにちょうどわれわれもそこに居合せたことを覚えていた。 ちょっと珍しい交通事情をナポリで見かけた。ぼくらが数えた73台中49台までがフェンダーがへこんでいるか、無かった。ぼくたちのバスがこの町から出て、ローマの中心部にたどり着くのはちょっとした 苦労だったよ。 ローマではカフェ・アンティコ・グレコ - ローマで一番古いカフェ - の近くのピアッツァ・ディ・スパーナに滞在。ぼくの記憶では、ここのクレイ・テニスコートでここで初めてのギグをやった。
今仲間のところに戻ってヨーロッパツアーの最後のショーをやるところ。 ぼくたちは少し旅行に疲れてきてるけど、勝負はまだまだ。 じゃ、またね
7月 14日 - ツアー中断(なんじゃこれ?) クリムゾンのヨーロッパツアー最後のロンドン公演は最高だった。Shepherd's Bush Empireは前にやったことのあるAlbert Hall よりは良い場所のように感じた。聴衆は大変熱狂的だった。 カリフォルニア・ギター・トリオは残念ながら最後のギグはなかった。ロバートがオープニングにサウンドスケープを演奏したから。
僕たちはロンドンでインターネット・カフェを見つけて自分のページをネットスケープでチェックした。今やこれなしではキビシイみたい。 帰りの空路は最悪で、ニューアークの上空を1時間ばかり旋回したあげくJFK空港に着陸し、2時間座って待ったあとニューアークまで30マイルの飛行にまた1時間。全部で12時間かかってしまった。 先週アンクル・ファンクとのギグを自宅でやって、新しいスティングレイ・ベース をチェック、出来は最高。 それからイタリアへ(ニューアーク出発が雷嵐で2時間遅れ)Ivano Fossatiとの3回のショーのため出発。彼らはすごく非クリムゾン的な音楽をやる、いいバンドだ。 Parmaでのショーは、美しい街の中央のドゥオモ広場で行い、Ferreraでも同様に街の中心での野外のショーだった。Padovaでの3回目のショーのあと、翌日発つのが早いので北イタリアからミラノへ国を横切らなくてはならなかった。ホテルに着いたのが 午前3時で、マイケル・スタイプ、トム・バーレインとパティ・スミス・バンドからの ミュージシャンがカフェを探しに外へ出ようと僕を誘ったけれど、パス。僕はもう歳だし、2時間ほどは眠りたい! 帰りの空路は、驚くことにはハリケーンが近付いているというのに遅れなくニューアーク到着。でも荷物が出てくるのに1時間15分かかった。ニューアーク空港は最近自分の家じゃぁないかと思えてきた。(9月にはもういっかいIvanoとの為に行く予定)
じゃ、また。 8月6日 メキシコからコンニチワ。休暇を終えてクリムゾンとのロードに戻れてよかった。 ぼくたちは初めてのラスベガス公演にやってきた - Hard Rock Hotelはクリムゾン向きの場所じゃないね(ロビーにはロックンロール・テーマが流れていて、スロットマシーンのレバーはギターネックになってた)。でも、ショーはまあまあだった。ホテルのぼくの部屋にはウッドストック・フェスティバルの写真が壁にかかってた。 恐ろしく暑いここから、涼しい霧のサンフランシスコへ。バークレイとL.A.のグリーク・シアターはいつも楽しい。いい音響でいい聴衆もいるから。
エイドリアンはメキシコの最初の公演で半分ほどしか音が出なかった。3回目のショーではときどき全く出なくなって、結局MIDIなしで終わるしかなかった。 これは電圧の問題だろうと思う。
モントレーは夜ぼくたちが着いた時にはダラス対カンサスシティのゲームで浮かれていた。
ホテルにいたフットボールファンは夜通しロビーでパーティをやってたらしい。今日ここはとても暑い - ぼくはフットボールの選手じゃなくて、ミュージシャンでよかったと思った。
King Crimson公演日程 - 1996
8月20日 - HORDEについて
ぼくは、兄の サイトを楽しんでいるよ。- ザ・クラムスというぼくらの古いバンドがよみがえってくる・ ロチェスターという所で公式の催しがあって、話したと思うけど、9月にイーストマンスクールでぼくはセミナーに参加するんだ。9月27日だけど、ぼくはすごく退屈なスピーチ(!)をすることになっています。
HORDEツアーでたくさんの写真を撮ったので、そのためのページを作るつもり。
じゃ、またね。 8月30日 '96年のCrimsonツアーは終わった。最後のいくつかのショーはとてもいい雰囲気だった。 Merriweatherでのショーは事実ぼくたちのベストだった。これから冬までの間、ぼくたちはちょっと集まって曲を書こうかと計画している。来年の夏まではツアーはないことだし。
1994年のCrimson再結成以来、僕はコンピューターにツアーの記録を録ってある。 僕たちは228,300人を相手に147回公演した。57日間リハーサルし、25日間レコーディングし、少なくとも34,581マイル飛び(ぼくはちょっとこの距離を更新しなくちゃならない)9,327マイル走った。 ここにこの期間の記録と出来事を引用してみる。
![]() 10月1日 さて、クリムゾンはあっと言う間にツアーが終わって、次の来年夏のヨーロッパ(たぶん)公演までの間、作曲にかかりきりになると思う。ぼくはTrey Gunnと近く合流して他のduo stuffと一緒にバンドを触発できるような曲を作りたいと思っている。ぼくたちはたぶん皆違う変奏を考えているだろうから、どう作り上げていくか見たいと思っている。 先週、ロチェスターのEastman音楽学校でスピーチをした。シンポジウムでは、将来の音楽教育についてのカリキュラムが含まれていたけれども、”含まれてない”(どう書きゃいいのか)人には退屈なだけなので、僕が行った15ページにのぼる講演内容を読みたい 人のために載せます。全く、人前で話すということは僕にとってチャレンジだったけど、母校に行くことはとても興味深いことだった。同級生のBob Ludwigはたぶん今世界一のレコード・マスタリング・エンジニアだとおもうけど、彼も講演をしていた。彼に僕が今作っている洞窟で録音したライブのミックスが終わったら聞いてみないかと持ちかけてみたら、驚いたことに彼も既に洞窟で録音したことがあって、ぼくらのエンジニアのTchad Blakeも、彼のステレオ録音技術も彼の好みだということだった。 ちょっと前にぼくがスピーチの練習をしていたら、もともとある顎関節症(よくある病気)のせいで殆ど1時間も話せないことがわかった。主治医のBuzzyは鍼(はり)治療と小さな磁石をぼくの手に付ける治療をした。そう、ちいさな磁石を。それも手に!馬鹿ばかしいようだけど、顎はガタガタいわなくなった。 信じざるをえないね。 ここ2、3週間のうちにPeter Gabrielと録音を始める。これについては、ぼくは勿論エキサイトしてるけど、彼と最近話をしていないし、どんな音楽がよいかというアイディアも持っていないし、どうなるかちょっとわからない。でもきっと楽しいだろう。
じゃ、またね。 10月23日水曜日
じゃあ、なにがエキサイティングなのかって?そう!一番エキサイティングなのはピンポンにまつわる話題だ! PeterとギタリストのDavid Rhodesはデモの録音中かなりピンポンをやっていて、二人ともすごくいいフォームになってる。それで最初彼らが僕とドラマーのManu Katcheに、終わりのないトーナメント戦に挑んできたとき僕らは全敗してしまった。でも、最近ではちょっとずつレベルアップしてきて今では互角になってるので、レコーディングのちょっとの休憩でも彼らに5点先取のゲームに引っ張り出されてる。 一番面白いのは夕食後で、僕たちはお互いに試合相手にしつこくワインのお代わりを勧めて相手の動きが鈍くなるようにしている。今日の出来事:今朝バスの町にこっそり行って新しいラケットを買った! 僕らのチーム(リズムセクション)は相手チーム(ミッドレンジセクション)に今夜のゲームを勝ったので彼らは今使っている古い擦り切れたラケットに絶望して町まで急いで買いに行くんじゃないかと睨んでいる。油断大敵。 (Update:概して夕食後の試合ではManuと僕は勝っているが、夜遅くの試合ではPeterとDavidが全勝している。ひいき目なしに見て、チャンピオンチームを決めるのは難しい。Woody Harrelsonが2、3日滞在して、凄いレシーブの才能を見せた) コーヒではぼくらはとても恵まれている。:僕の優秀なテクのMicheleは、彼が住んでいるパレルモから3種類のエスプレッソブレンドを持ってきた。(僕はそのブランド名が気に入っている。:Tonaca di Monaco。これには豆の色からとったMonk's Tunicというのがある)僕はお気に入りのWoodstockの有機栽培の豆を数ポンド貰ったし、D.Rhodesは彼で好みの豆をバスにおいている。 本当にバラエティーがある中でMicheleが持ってきたシシリアの"Aromatica"が抜きん出て素晴らしいと思う。 RealWorldの中では、興味深いミュージシャンがいつもたむろしていて、ダイニングルーム(ピンポンルームでもある)を共有している。ある日の昼食時に、Soriba BouateがCora(彼のセネガルのハープのような楽器)にのせてセレナーデを僕たちに唄ってくれた。僕は彼にここでしていることについて尋ねなかったけれど、彼の演奏はすごくよかった! 僕はRealWorldのとても印象的なマルチメディアビルディングを探検した。彼らのWebサイトはとても素晴らしい内容で、(僕はここからリンクを張りました)2つの素敵なCD-ROMも作っている。そのうちP.Gabrielの新しいのが近く発売予定。 イギリスのクリムゾンのメンバーに連絡を取ろうとしたけれどFrippはオフでアルゼンチンへ、来週Bill Brufordに電話するつもり。
11月4日アップデート:ここでの仕事はとてもうまくいっていて、少なくとも20曲以上は終わった!(アレンジの為にうまくいったテイクを編集する仕事は残っているけど)ただひとつの災いは、コーヒーのいい豆を飲んでしまった!バスの街で良い豆をみつけたけれど、すぐそれも売り切れてしまったので渋々あまり良くない豆で我慢している。 ヴァーチャル・ワールドでは、パパベアページの為にワールド・ダイアリーからの曲のサンプルと、ファンク・フィンガーのサンプルをファンク・フィンガー・ページの為に作っている。近々コーヒーに関する全ての道具のページを別に作るために工事中。
じゃ、またね。 Nov 25, 1996 - Woodstock ヒュ〜、また家に帰ってきた。P.Gabrielの音楽はすごくエキサイティングで、それが一杯!でも今僕は他のプロジェクトに焦点を絞っていて、彼が僕たちのリズムトラックをレコーディングしていた時の煮え立つペースを続けていてくれることを願ってる(もちろんピンポン休憩はない)(昼食とディナー休憩も)(そしてもちろんコーヒーブレークも)進捗状況には注意して、情報があれば書くつもり。 RealWorldスタジオを去ってから、ピンポンの禁断症状に苦しんでいる。 とはいえ、マイクケーブルの用事があって近所にある会社(ニューヨーク州SaugertiesにあるMarkertek)に立ち寄ったら、そこの彼ら全員がピンポンの名人であることを発見。昼食後の休憩や仕事後に試合をしているとか。試合をしないかと言ってくれたけど、賢明にも辞退したよ。 エンジニア/プロデューサーのTchad Blakeが来ていて、僕のCaveプロジェクトのテープの編集と一枚に纏める作業をやっている。この音響は素晴らしく 、ものすごく変わっている。今週にも作業は終わり、PapaBearレコードでCDを出す作業に取りかかることになる!アートワークももうすぐ仕上がる、というのも、ミキシングの最中に写真に手作業でペイントを加えているから。この方法は、うまくいけば、音楽がアートに影響を与えてくれると思う。このCDは春の後半に出したいと思ってる。(僕がなにかを定刻にリリースする時のトラックレコードは、すごく宜しくないけど!)このプロジェクトのレコーディングメンバーは、Jerry Marotta、Steve Gornそして僕で、今度の1月にアナハイムのNAMMショーでも1、2回コンサートで演奏することになってる(洞窟じゃないけど) 同じ1月には、Andy Summersとのレコーディングがありそう。これはSummersとドラマーのStuart Copelandとのトリオでツァーに出る準備となる。面白いことに、僕は本当にジャズは演奏しないんだけど、現在の計画ではユーロ・ジャズ・フェスティバルに出るということになってる。クリムゾンが5月に一緒に作曲をして、それから多分10月/11月にライブということになるだろうから、Summersのサマーツァーというのは僕にとって都合が良い。(ご他聞に漏れずこの計画は、ツァーやアルバムが本当に確かなものというわけじゃないので、あくまでもこの計画は見込みだということをお伝えしておく) 僕たちは、最近このページに登場することが増えてきているエスプレッソとそれに関連したことについてのコーヒー・コーナー・ページを追加しました。それに、World Diaryからリアルオーディオのサンプル:"Espresso & the Bed of Nails" もあります(もちろん)豆に関心のある方はどうぞ(あるいは、旅行に持っていくエスプレッソのロードケースのデザインのヒントが欲しいひとも!) 例年より早く、ホリデーシーズンがやってきたように思えます。僕のページのウェブデザイナーのDanと、PapaBearレコードの、たった一人の計り知れないほど貴重な従業員であるLaurieと、日本のミラーサイトをやってくれているJunichi とKeiko、それからこのページの読者のあなたに幸福と健康なシーズンが訪れますように。このサイトを訪れて下さることは、僕にとってこれまでも、そしてこれからもずっと喜びであり、名誉なことだと思います。それじゃ、また。
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