Tony Levin's
'Road Diary' Archive Vol.1

1996年5月16日 - ウッドストック、NY

ハイ、また会えたね。

今週からキング・クリムゾンとのリハーサルのため、ボルドーに行きます。 毎週書けたらいいなと思ってるんだけど、ヨーロッパでうまく繋がるかどうかわからない。

クリムゾンのツアーはボルドーのル・クラカトアからスタートします - そこはぼくたちが練習するのに 最適だから。というのは、ぼくらは古い曲 - 精神異常者を - を復活させようとしているのです。 以前にもリハーサルをやってみたけど、このときは実際に思ったほどの出来にはならなかった。 ベースパートは殺人的なので、この曲をやるにはたくさん練習を重ねないといけないのは分かっているし これをFunk Fingersでやろうと思っている。 これはまるで監獄のようです!

ぼくはクリムゾンのツアーが東ヨーロッパから始まるのをとても喜んでます。と、いうのはこれまで そこであまりやったことがなかったし、ぼくらにはとてもいい機会だと思ったから。 ツアーの途中、2日休みがあるけどぼくはIvano Fossatiのイタリアツアーに参加する予定 - だから とても忙しい!でも、彼のアルバムのために我々がやった2、3の曲はスティックとヴォーカルだけの ものなのでとても楽しみ。

Crimson Valet - ロード中にカプチーノを作る ロードケース - はまだ出来上がらない。金曜日には出来上がらないとパニックになる。 ぼくの荷物を船便で出してしまうので。ぼくはこのsiteのための写真を撮るつもり。ロードに合わせる のに気の狂うような忙しさ。例えば、Funk fingersをちゃんとした製品にするためにロゴを入れたり もっと質をよくしたり。ぼくらはFun fingerの先端をゴムで包むことに決めた。それで、ぼくが町を 離れる前に準備を済ませておきたいと思っている。ぼくが見つけた素材に漬けるところにはいたくない と思っている。なにしろひどい臭いでめまいがおきそうだから。それから、ぼくのパワーブックを ロード前に取り戻さなくてはならない。前のロードで壊れて何週間かコンピュータなしで暮らさなくては ならなかった。これ以上耐えられない!

ぼくはトロントのフラメンコギタリストJesse Cookとの録音を済ませたばかり。今週はPaula Coleの セカンドアルバムの仕事をしてます。

ツアー用のNS アップライトベースの調達と近くのRetrospec製のコンプレッサーを調整しおわった。 Music Man anniversary bassももうすぐできそうだけどギリギリで船積みには間に合いそうにない。
それじゃ、また。


1996年5月26日 - ボルドー、フランス

ボルドーからのあいさつを添えて。

キング・クリムゾンのTHRaKaTTaKツアーがとうとう始まります。 ぼくらは先週末に到着して、ル・クラカトアでリハーサルをしてます。今夜はウォーミングアップ ショーをこの小さなシアターでやります。ぼくたちのホテルは幸運にもダウンタウンにあって シアターがあるような郊外じゃなかったので、大事な朝のコーヒーやヘラルド・トリビューンや 写真屋さんにありつけます。でも昼から9時までずっとシアターで仕事してました。

ぼくたちは”21世紀の精神異常者”(70年代の、僕たちメンバーのほとんどがいなかったころの とても難しいナンバー)をレパートリーにつけ加えました。どういう風になるかわからないけど 今夜これをやる予定。それから、Waiting Manも新しい曲と一緒に復活させて今後やる予定。

できあがったTHRaKaTTaKを見たら、ぼくの焼けた小屋 の写真が使われているだけじゃなくて、中の小冊子にツアー中のコーヒーステーションの Crim Valetの青写真が載っているのを見つけた。Crim Valetについていえば、船便で着いたとき 壊れていたんだけど、ぼくのベース・テクのMicheleが直してくれて今は素晴らしい働きをしてくれて います。バンドはこれでヒヤヒヤした。

新しいCDが出たときの問題は、バンドが2、3百枚のCDにサインさせられること。 今回は中に入っている小さなポスターにするのだけど、楽屋は狭くてごった返していて無理。 それで、ぼくたちはシアターの長いテーブルに移動してやったんだけど、全部済んでない。 彼らはツアー中これをやらすつもりじゃないだろうね!

ぼくは家から離れた生活に慣れようとしている。もっと書く時間がとれればいいけど、 インターネットへの接続は難しい。(ぼくは各国仕様のコネクターを持ってない。) 朝はぼくの本を書く時間を作りたいし、スケッチ板も持ってきた。 明日ぼくらはマドリッドへ飛ぶ。で、はじめてのオフ。
じゃ、また。




P.S. ショーのあとで追加:ショーはとてもうまくいった。エイドリアンが21世紀の精神異常者を やるのはこの22年で初めてだ!とアナウンスした。あとで楽屋でくつろいでいる時に、 誰かがエスプレッソコーヒーをいれた後始末をしなくちゃならないんだと実感した。 しかも、それがぼくだってことをね!


1996年6月6日 - ワルシャワ、ポーランド

ワルシャワからハロー。このツアーは全くうまくいっている。- ドイツでもスペインでもフランスでも ショーはみんな大歓迎された。リヨンではぼくたちはとても古い街の中心にあるクール・デス・ロゲス に滞在した。ここは素敵だ。ぼくたちはショーのなかで小さな不幸に出会うんだけれども、 もっとも特筆すべきことはドルトムンドでのことだった。ぼくのセットリストには最後のアンコールの 曲目はVrooom Vrooomだと書いてあったけど、バンドはVrooomをやっていた。この二つはまるっきり違う のでぼくは違うベースが必要だった。間違ったキーでぼくはオロオロになりベースを替える決心をする までファンブルしてしまった。将来、ぼくらの最悪N.G.集の"Brown Album"に収められることを期待するよ。

昨夜はすごく暑いテントの中でのムシムシするショーだった。今朝目ざめたぼくはメイドにカギをかけられ て部屋に閉じ込められたことに気づいた。あわててメガネをかけて鍵を探し回らなくてはならなかった。 チェックアウトのとき、ぼくは支配人に、これはぼくには大したポリシーだとは思えないね、と話した。

ぼくは誕生日にはあまりパーティを開かない方なんだけれど、ポーランドに今日飛び、 ホテルの部屋で5つの電話インタビューとくれば、これはあんまりお祝いにはいい方法とは思えないね。 ホテルに着いて、Bulls対Sonicsの試合の最後5分だけ見ることができたけど、ドイツ語なのが面白かった。 バンドのみんながぼくをディナーに連れて行ってくれることになっている。願わくば、我らにいくばくかの 楽しみのあらんことを。

面白いカードが部屋に。”このホテルは環境にやさしいホテルを目指してますので、多量の洗濯物が引 き起こす公害から自然を守ることにご協力下さい”。ふーーーーーむ。

ディナー後の追記:インタビュアーは2人電話してこなかった。ぼくたちはワルシャワの中心で静かな 夕食を食べた(おいしいボルシチだった)あと、ジャズクラブに行ったけど閉まってた。 彼らは「アタマに来て、ガラ悪くなっちゃうぜ!」と言った。
じゃ、また。


6月19日、ブダペスト、ハンガリー

ブダペストでのびしょ濡れフェス - 今ちょうど野外のショーを終えてステージを降りたところ。 この夜は早くから雨だったので、熱狂的な聴衆はずぶ濡れで、カリフォルニアギタートリオも 演奏をとばされてしまった。雨は終盤には上がっていたけど、ツアーの東ヨーロッパの終わりに むけてぼくたちははしゃぎ回ったステージだった。ワルシャワは素敵だったし、プラーグは なんともいえずきれいな町だった。ドイツのチェムニッツやスロバキアのプレソブは....まあ、 聴衆はみな熱狂的で、楽しかった。

ぼくたちは次週のイタリア公演が近付いて、エキサイトしている。ぼくはもっと楽にオンラインできる ことを期待してる。それから、ちゃんとした食事をとりたい。

ハンブルグに戻ってみたらP. Gabrielから素敵な誕生日の花束が届いていた。ホテルに置いていく のはもったいないくらいだったので、ぼくはバスに持って入った。翌日気がつくと花瓶が倒れていて ラウンジバスのシートを当分乾かない程ズブ濡れにしてしまった。しばらくの間そのシート に座った人はPeterの親愛の情を思い知らされることになった。その花束は厨房にあると 知らされた(たぶんバスの運転手のトニーがコックにあげちゃったんだ)。彼らはまたまたどうやって それを運ぼうか思案することだろう。まさに贈り物は人から人へ贈られ続けていくもんだよね!

じゃ、また。


6月28日 - バンドはブリュッセルに向けてハッスルする

イタリアのショーは全部終わった。 最後のピサでのショー以外は全部野外のしかも雨のショーだった。 リグナノのショーでは特にびしょ濡れで風が強く、ショーが進むにつれて段々雨足も激しくなって きたので、最後のアンコールのRedではギターがずぶ濡れなので、互いに目くばせして一部ハショった。 (そこでのホテルの名前:ホテル”悲壮”) しかしまあ聴衆はみな熱狂的で、殆どは大体いいショーだった。

ぼくのすばらしい娘がミラノからツアーに加わった。11歳の目を通して見るとクリムゾンの ツアーは凄い眺めだろうと思う。

ミラノでは、ぼくらのかつてのお気に入りのレストラン、ラ・タンパ(今はテンチットになってる) を見つけた。今23歳のウエイターは、彼が9歳の時(1982年)に家族と一緒に食事に来てた ときにちょうどわれわれもそこに居合せたことを覚えていた。

ちょっと珍しい交通事情をナプルスで見かけた。ぼくらが数えた73台中49台までがフェンダーがへこんで いるか、無かった。ぼくたちのバスがこの町から出て、ローマの中心部にたどり着くのはちょっとした 苦労だったよ。

ローマではカフェ・アンティコ・グレコ - ローマで一番古いカフェ - の近くのピアッツァ・ディ・ スパーナに滞在。ぼくの記憶では、ここのクレイ・テニスコートでここで初めてのギグをやった。

ぼくにとって最高だったのは。ピサでの素晴らしい天候と眺めの中でのショーだった。 それからぼくは1日抜け出して、ミラノのはずれのボラートにあるヴィラ・アルコナッティで Ivano Fossatiとのスペシャル・ショーをやった。

今仲間のところに戻ってヨーロッパツアーの最後のショーをやるところ。 ぼくたちは少し旅行に疲れてきてるけど、勝負はまだまだ。

じゃ、またね




7月 14日 - ツアーなかび(なんじゃこれ?)

クリムゾンのヨーロッパツアー最後のロンドン公演は最高だった。Shepherd's Bush Empire は前にやったことのあるAlbert Hall よりは良い場所のように感じた。聴衆は大変熱狂的だった。 カリフォルニア・ギター・トリオは残念ながら最後のギグはなかった。ロバートがオープニング にサウンドスケープを演奏したから。


ペンブリッジホテルは私の娘のお気に入り。というのは、スペンサー(右の写真)と チャーチルという2匹の猫がここを自分の家だと思って住んでいるから。

僕たちはロンドンでインターネット・カフェを見つけて自分のページをネットスケープで チェックした。今やこれなしではキビシイみたい。

帰りの空路は最悪で、ニューアークの上空を1時間ばかり旋回したあげくJFK空港に着陸し、 2時間座って待ったあとニューアークまで30マイルの飛行にまた1時間。全部で12時間かか ってしまった。

先週アンクル・ファンクとのギグを自宅でやって、新しいスティングレイ・ベース をチェック、出来は最高。 それからイタリアへ(ニューアーク出発が雷嵐で2時間遅れ)Ivano Fossatiとの3回の ショーのため出発。彼らはすごく非クリムゾン的な音楽をやる、いいバンドだ。 Parmaでのショーは、美しい街の中央のドゥオモ広場で行い、Ferreraでも同様に街の中心 での野外のショーだった。Padovaでの3回目のショーのあと、翌日発つのが早いので 北イタリアからミラノへ国を横切らなくてはならなかった。ホテルに着いたのが 午前3時で、マイケル・スタイプ、トム・バーレインとパティ・スミス・バンドからの ミュージシャンがカフェを探しに外へ出ようと僕を誘ったけれど、パス。僕はもう歳だし、 2時間ほどは眠りたい!

帰りの空路は、驚くことにはハリケーンが近付いているというのに遅れなくニューアーク到着。 でも荷物が出てくるのに1時間15分かかった。ニューアーク空港は最近自分の家じゃぁないかと 思えてきた。(9月にはもういっかいIvanoとの為に行く予定)

Bye for now,


8月6日

メキシコからコンニチワ。休暇を終えてクリムゾンとのロードに戻れてよかった。

ぼくたちは初めてのラスベガス公演にやってきた - Hard Rock Hotelはクリムゾン向き の場所じゃないね(ロビーにはロックンロール・テーマが流れていて、スロットマシーン のレバーはギターネックになってた)。でも、ショーはまあまあだった。ホテルのぼくの部屋には ウッドストック・フェスティバルの写真が壁にかかってた。恐ろしく暑いここから涼しい霧の サンフランシスコへ。バークレイとL.A.のグリーク・シアターはいつも楽しい。いい音響で いい聴衆もいるから。

ぼくはバンドの他のメンバーより1日早くメキシコシティーへ行って、うろうろした。ピーター・ ガブリエルと以前ここで公演をやってぼくは知ってたけど、ここの聴衆はとても熱狂的なんだ。 クリムゾンはこれまでメキシコに来たことがなかったので、熱烈に歓迎されてるようだった。 劇場の外では密売人の露店が長い列をなしてて、ぼくたちは全部冷やかして歩いた。 面白いTシャツを見つけた。ツアーの日程が間違ってプリントされてた。(Noblesville Indiana とGuadalajara Mexico)ぼくは面白いキング・クリムゾンのキーホルダーとショットグラス とTシャツを買った。そのTシャツは"THRaKa TaCK"って言ってた。

エイドリアンはメキシコの最初の公演で半分ほどしか音が出なかった。3回目のショーでは ときどき全く出なくなって、彼のMIDIシグナルなしでフィニッシュするしかなかった。 これは電圧の問題だろうと思う。

モントレーは夜ぼくたちが着いた時にはダラス対カンサスシティのゲームで浮かれていた。 ホテルにいたフットボールファンは夜通しロビーでパーティをやってたらしい。今日ここは とても暑い - ぼくはフットボールの選手じゃなくて、ミュージシャンでよかったと思った。
(8月8日)カンサス・シティから追記:ぼくたちはHORDEツアーに参加した。 バンドにとってこれまでと全く違って1時間だけのセットになり(ぼくらはサウンドチェック だけで時々それ以上かかる)、5時に会場にはいる。聴衆はフェスティバルに来ているのであ って、ぼくたちのファンだけじゃない。今日のショーではこれまでクリムゾンみたいな音楽 を聞いたことがなくて呆然としてるような顔を沢山見かけた。それでもいくらかはお気に入 りという人もいたけどね! ステージ裏ではたくさんのクルーが何トンという機材をセッティ ングしているのを見かけるけど、ぼくたちはエスプレッソマシーンを運ぶ クリムゾンバレットだけしか持って来てないのさ。
じゃ、またね。



8月20日 - HORDEについて

ショーはうまくいっている。だけど、ここ2、3日はぼくらの開演時間が変わった。 N.Y.では朝電話で5時開演だといわれた。スケジュールでは3時半になってたけど。 ぼくは早めにランダルズ島に着いて、スケジュールがまた変わっているのが分かった。 ぼくらは3時にやるって! ロードマネージャーのスタンは、この大変な問題をぼく に何とか伝えようと四苦八苦していた。サラトガでは、5時だと思って運転していたら ぼくらのバンドバスが見えて、横に並んで走ってきて、スタンがぼくに3時50分に 変わったよ!と叫んでた。あ〜びっくりしたよ。一体ぼくは今度時間がかわるのをどこで 知ればいいんだろう?何人の人達が公式の時間にはぼくらがすんでしまってるって知るんだろ?

ぼくは、兄のサイトを楽しんでいるよ。- ザ・クラムスというぼくらの古いバンドがよみがえってくる・

ロチェスターという所で公式の催しがあって、話したと思うけど、9月にイーストマンスクールで ぼくはセミナーに参加するんだ。9月27日だけど、ぼくはすごく退屈なスピーチをやろうと 思っているんだよ!

HORDEツアーでたくさんの写真を撮ったので、そのためのページを作るつもり。
メモ:8月23日のハーシーでのショーは、3時に始まる。
メモ:ボストンのホテルでふと聞いた悪口:Horrible(身の毛もよだつ)Old(古い)Refurbished(改装された)Downtown(下町の)Environment(環境の)。
メモ:ふと聞いたひどい天気の話:Hostile(敵意をもった)Overhead(頭上の)Rainclouds(雨雲)Dampen(じっとりと湿らせる)Enthusiasm(熱狂心を)
メモ:読者からいくつかのHORDEの定義が届いてます。それで、このページに載せました。

じゃ、またね。


8月30日

'96年のCrimsonツアーは終わった。最後のいくつかのショーはとてもいい雰囲気だった。 Merriweatherでのショーは事実ぼくたちのベストだった。これから冬までの間、ぼくたち はちょっと集まって曲を書こうかと計画している。来年の夏まではツアーはないことだし。

最後の東海岸での数週間で、ぼくは2,329マイル運転した。車のコンピューターは全部で 平均時速50マイル時、総運転時間46時間だと教えてくれた!

1994年のCrimson再結成以来、僕はコンピューターにツアーの記録を録ってある。 僕たちは228,300人を相手に147回公演した。57日間リハーサルし、25日間レコーディングし、 少なくとも34,581マイル飛び(ぼくはちょっとこの距離を更新しなくちゃならない)9,327マイル 走った。

ここにこの期間の記録と出来事を引用してみる。

HORDEプロモーションの女の子達が僕たちの"Cafe Crim"でエスプレッソを楽しんだあと、 僕たちに"Badass Coffee Beans"のギフトバッグをくれた。

6/23/96の日記から:Naples.空港からのヒッデェ運転。エイドリアンのコンピュータが僕の頭に落ちてきた。 ぶっとんだタクシーでディナーへ。ロバートは可愛い子犬ちゃんではなかった。彼が2度も肉は抜いてくれ 念を押したのに、やってきたピザにはハムとソーセージが両方とも乗っていた。ロバートはレストランの 窓から、歴史的なレストランから人が放り出された事件に倣って、そのポーク版としてハムを放りなげた。

6/22/96の日記から:イタリア、Ligano。長いドライブ、酷いホテル、強い風の中のサウンドチェック、 雨のショー、終わりのRedの間ステージはずぶ濡れで楽器が濡れてしまい、短く切り上げ。

6/19/96の日記から:バスでButapestへ。ホテルで4つのインタビュー。部屋には5分間だけ。ひどい 雨嵐。ショーは殆どキャンセル状態。カリフォルニア・ギター・トリオはオミットされ、ステージ裏 の警備員はおばあちゃんで編み物をしてた。ぼくは彼女の写真を撮った。

プラハでの6/17/96の日記から:"B'boom"の間にメンバーの一部はステージを降りて楽屋で飲物を。 Tonite,AdrianはThrakがはじまる時になってもステージに戻ってこなかった。後で聞いたらエレベータ で1階のステージへのボタンを押すべきところを誰かが4階のボタンを押しちゃったんだって!

6/13/96ドイツDortmundでの日記から:大きな公園の中の会場。ビルとエイドリアンはサウンドチェック のあと車でホテルに戻る途中、道に迷う。頭がオカしくなった運転手は4回も道を尋ねた。 歩いて15分のところを結局45分もかかってしまったと。

6/4/96,Mannheim:リヨンは去り難い。キャブの運転手は空港までのあいだバンドのメンバーのために旧いCrimsonの アルバムをかけてくれた。Frankfurtまでの空路、空港で3時間。1時間の陸路のあとMannheimのホテルへ。 アンコールは"Vrooom"のはずが、僕のセットシートには"Vrooom Vrooom"となっててまったくえらい目に あった。

Madridでの評:曰く”King Crimsonは圧倒的な電気仕掛けの高熱バーナーである...”

DailyYomiuri?の評から:”King Crimsonの公演は、もともとのファンの、 「どうやってあの音を出しているのか?」という疑問に答えるいいチャンスである””エイドリアン・ブリューは 過去15年間でもっとも偉大なギター・ジプシーである...フリップは無慈悲な様子で腰掛け、... まるでおこりっぽい大学教授がじりじりしながら完璧な半熟卵ができるのを待っているように見える”

4/29/95TimeOut誌のThrak評:”7分間の不吉で誇張に満ちた無意味な演奏に始まり、結局は おおげさでしまりなく退屈な大言壮語に落ちつく...全てのこのような望みや約束は直ちにその息苦しく わびしい毒気がだらだらと続くことに飲み込まれてしまう

AustinAmerican Statesman9月28日号から:今週の6つの”わるい”こと:その4、'The Stick' この新しいベースのような楽器はフリントストーンに出てくるバンドででも演奏されそうな代物に見える。

ChicagoSun Times評:”レビンとガンをベーシストと呼ぶことは、その電気仕掛けの切株とか ゴシック仕様の棒状のものゆえに、正しくないものと判断される”

BuenosAires Herald評、10/4/94:”...彼はまた、豊かな音を奏でる10弦のStickを演奏するが、 これはまるで外宇宙からの怪物がそのペニスを出来得る限りに勃起させ、弦を張って演奏しているように 見え、ムカツク”

Montreal公演評(フランス語)”...そして、彼は微笑んだ。そう、そう、微笑んだ。フリップは決して 笑わない”

R.Frippは'One Time'に関して、”これについて僕がやったこと全てが気に入らない。しかし、やらな かったことは気に入ってる”

AdrianはRobertのソロの後の小節を始めるとき、”僕がRobertを見たとき、彼がしかめっつらして いるときは確かに彼の手はネックの上の端にあって、そこからどこへもいきそうになかった...”

BillはBuenos Airesでのインタビューで:”バンドの中で、Patと僕は兵器工場の中を運転してる ようなもんだね...無免許で”

Robertは同じインタビューでレポーターに向かって:”君は二つの質問をした。2番目の設問への 返答は、noだ”

8時間の板張りバスの旅行でBillがPatに:”O.K.Pat、ぼくらはこれで柔軟体操は済んだよ、 ぼくはこれで変則3連符の演奏を体得できたね”

Robertは二人のファンから写真を撮っていいか尋ねられて:”結構ですよ、もし私が入らないのなら”

Argentinaのレストランのメニュー:”小さい脚のビネグレットソースあえ...マッシュド  ポテト”

日本の喫茶店のメニュー:”カプチーノ-シナモンの香りがコーヒーと程よく調和したイタリアン コーヒー、6,000円。ウインナコーヒー - 誇りをもって讃えられ、世界の全てのひとに愛され、 飲み終わったとき3つの味を楽しめる、8,000円。”

Slovensko,KosiceのCobraホテルのパンフレットから:”見えはりのお客様でもサマーテラスにはご満足 いただけるでしょう...Kosiceはまた冶金工業でも知られております。VSZ株式会社(East Slovak Iron Works)はSlovak最大の企業であります。”

NaplesのGrand Hotel Parkersにあった雑誌からパスタ料理の引用:”いつも中くらいの太さのスパゲッティ を使いましょう。ダブルベースの弦のようなものはむしろ木こりの胃袋にこそ合うでしょう”

Mexico CityのCrowne Plaza Hotelにあったルームサービスのメニューから:”ベジタリアンサンドイッチ - アボカド、アルファルファ、スモークドチキン、茹で卵...”

Buenos Airesで、ポスター会社の人が僕らに向かってぼくたちのポスターを手でぶらさげながら”誰が王様?”

じゃ、またね。




10月1日

さて、クリムゾンはあっと言う間にツアーが終わって、次の来年夏のヨーロッパ(たぶん)公演までの 間、作曲にかかりきりになると思う。ぼくはTrey gunnと近く合流して他のduo stuffと一緒にバンドを 触発できるような曲を作りたいと思っている。ぼくたちはたぶん皆違う変奏を考えているだろうから、 どう作り上げていくか見たいと思っている。

先週、ロチェスターのEastman音楽学校でスピーチをした。シンポジウムでは、将来の音楽教育に ついてのカリキュラムが含まれていたけれども、”含まれてない”(どう書きゃいいのか)人には 退屈なだけなので、僕が行った15ページにのぼる講演内容を読みたい 人のために載せます。全く、人前で話すということは僕にとってチャレンジだったけど、母校に ゆくことはとても興味深いことだった。同級生のBob Ludwigはたぶん今世界一のレコード・ マスタリング・エンジニアだとおもうけど、彼も講演をしていた。彼に僕が今作っている 洞窟で録音したライブのミックスが終わったら聞いてみないかと持ちかけてみたら、驚いたことに 彼も既に洞窟で録音したことがあって、ぼくらのエンジニアのTchad Blakeも、彼のステレオ録音 技術も彼の好みだということだった。

ちょっと前にぼくがスピーチの練習をしていたら、もともとある顎関節症(よくある病気)のせいで 殆ど1時間も話せないことがわかった。主治医のBuzzyは鍼(はり)治療と小さな磁石をぼくの手に付ける 治療をした。そう、ちいさな磁石を。それも手に!馬鹿ばかしいようだけど、顎はガタガタいわなくなった。 信じざるをえないね。

ここ2、3週間のうちにPeter Gabrielと録音を始める。これについては、ぼくは勿論エキサイトして るけど、彼と最近話をしていないし、どんな音楽がよいかというアイデアも持っていないし、どうなるか ちょっとわからない。でもきっと楽しいだろう。

じゃ、またね。


| TONY LEVIN CULB TOP PAGE | LIBRARY |
updated: 10/3/96 - Tony Levin Club of JAPAN - http://thrak.ient.or.jp/jtlevarc.html