この看板は、昭和5年に建設された旧医院の玄関上にあったしっくいのレリーフです


岩脇医院は大正15年10月15日に現院長(岩脇淳一)の祖父である岩脇吉栄が石川県羽咋市(現)に岩脇家としては初の仮診療所を開設し、昭和5年に現在地に診療所を本格的に開設したことから始まりました。

昭和36年6月30日に、吉栄の長男で前理事長の岩脇昭が金沢大学医学部文部技官を退職し、診療を引き継ぐこととなりました。この時、現院長の淳一は5歳でした。吉栄は、生まれ故郷の金沢市に移り、診療の現場から離れて健康保険の仕事(支払基金)に就き、診療の前線からは引退生活を送ることになります。診療内容は昭の時代から耳鼻咽喉科に絞り、手術も盛んに行ない、病室も増築して入院スペースも更に増やすこととなりました。

その後時代は移り、病院、診療所の連携が盛んになり、手術などが必要な患者さんは地域基幹病院や大学付属病院などの大きな病院に紹介する傾向が徐々に強くなり、次第に入院をとることが少なくなってきました。昭和50年代後期にはほとんど入院を扱わなくなりました。

平成4年10月1日に岩脇淳一がそれまで勤務していた公立松任石川中央病院を退職し、勤務することとなりました。それに伴って老朽化した医院を新しく建て直すことになり、平成5年11月に現在の診療所の建物が完成し、新たに2人体制で診療を始めました。

新診療所は、淳一が勤務医時代に一貫して研究を行なって来た内視鏡を用いた副鼻腔炎の機能的手術(Functional Endoscopic Sinus Surgery=F.E.S.S)を更に進め、かつては痛みの為に非常に嫌われた副鼻腔炎の手術を無痛的に、かつ、日帰りで行なうことを目的に近代的な手術室と最新の内視鏡手術機器を備えたものとなりました。そのため入院設備は不要になり、診察室にゆとりがあるものにすることが出来ました。

また、待合室は多くの患者さんが待っても圧迫感を感じないように、吹抜けとし、とかく暗いイメージの、医院の待合室といったイメージを極力なくすようにしました。

また、平成8年2月1日には専用線を引き、更に高度な検査設備を備えた医療機関との連携を密にするべくコンピューター回線の常時連絡網を開設しました。サーバーも設置し、ウェブを使って広く一般に情報をお知らせしたり、また全国の耳鼻咽喉科医師とのコミュニケーションを図るため、メーリングリストを設けたりしました。
近年ではブロードバンド回線などの普及も盛んになり、専用線は廃止してサーバーも(インターネット環境が、かつての長閑さを失ってしまい、ウイルスやセキュリティの問題が山積みになったこともあって)レンタルサーバーに移動しました。

平成14年からは、前院長の昭が診療の前線から退くようになり、レーザーと高周波を用いた鼻内のアレルギーに対する治療と、基本的に重要な耳鼻咽喉科的アレルギー性疾患全般の日常の管理を中心として、近年ますます増加の一途をたどるアレルギー性疾患に対応すること、および耳、鼻、のど、その他、日常によく見られる病気に対して、家庭のかかりつけ医として地域に根ざした医療活動を進めています。
平成19年10月に、岩脇医院を開設している医療法人社団・岩脇医院の理事長が岩脇明から岩脇淳一に交代しました。





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