DGM Diaries

Paul Richards's CGT Diary

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(訳注:11月27、29日分は抄訳になっています。
Tony/Terry/CGTプロジェクトの行方に関する事柄に絞って翻訳してあります。)


Friday 1st. December, 2000

CGTにとって未知の世界を覗いてしまいました。Magna Cartaのプロジェクトはおかしな状況になってきています。僕はまるで自分が良い契約と信じる物のために戦って、そして打ちのめされた様な気がしています。CGTの為に最良の契約を求めて戦ったのですが・・・。

今日、僕はMagna Cartaにメールを送り、「録音マスターの著作権を、5年後にはCGTに戻すということ」やその他の希望を告げたのです。そうしていまさっき、Magna Cartaから、僕の要求は「ばかばかしく、侮辱的だ」との返事を受け取りました。

もしかしたら、CGTゲストブックに投稿してくれた、Cedric Theysさんの「Magna Cartaとの契約が不満足なら何故DGMでやらないのか」という意見は正しかったのかもしれません。僕も今は同じ事を考えています。現時点では、今回のプロジェクトは実現しない可能性が高くなってきました。どうやら単なるサイド・プロジェクトだと考えたのが間違いだったようで、本当はもっともっと込み入ったことだったのです。

この契約案が最初に出たときには、僕らは「アルバム一枚ぐらいなら著作権を失ってもかまわない」と考えていました。TerryやTonyと共演できて、それがより多くのリスナーに届き、より大きなプロモーションを受けることになるなら、かまわないと思ったのです。しかし、こちらから変更を求め、向こうから「ばかばかしく侮辱的」と変更を拒絶されたことのひとつに、「Magna Cartaは、CGTの意志に関わらずもう一枚のアルバム作成を命ずることが出来る」という項目がありました。つまり僕らに一枚のみならず二枚ものアルバム著作権を放棄せよ、ということなのです。

こういうクールなプロジェクトが、たかが契約の進め方ぐらいのことで簡単に潰れてしまうのは本当に残念でなりません。どんな凄い音楽が生まれていたことか、想像してみて下さい。

CGTが僕らの事情で契約を拒否したのは、初めてのことではありません。5年ほど前、Phillip GlassがPolygramと始めたPoint Recordから、本格的な録音契約のオファーがあったのです。前金も巨額で(Magna Cartaのオファーの5倍)、複数のアルバムを録音する契約でした。まるで「ドリーム・カム・トゥルー」(夢が叶う!)という感じでしたが、この契約も僕らの著作権を永遠に放棄することを要求していたのです。これは業界の常識なのです。殆どのアーチストは、これが業界の決まりなら仕方がない、と諦めてしまっています。ミュージシャンは自分たちの作品を放棄して、その代わりにメジャーレーベルから発売・宣伝してもらう、という仕組みですが、DGMは違います。僕らは結局DGMに留まって、自分たちの作品の著作権を護る方が大事だろうと考えました。そして今になって、その時の決断を心から喜んでいます。

DGMには大きなレーベルのような宣伝手段を持っておらず、CGTは今後もなかなか知名度が上がらず、沢山のリスナーを得るのは難しいかもしれません。しかし少なくとも、自分たちの大切な所有物・・・自分が作って、演奏して、録音した音楽を、自分の物だと主張することができるのです。作者が著作権を放棄するのは、自分の子供を奴隷商人に売り渡すようなものとさえ言われています。別の例えで言えば、家を建てるためには銀行からお金を借りますが、その契約で借金返済後も、家は銀行の所有物になる、っていうような状況なのです。

Wednesday 29th. November, 2000

(前略)

今日の午後、ある人からメールが来て、こんな質問をされました。「なぜMagna Cartaとの契約が最良の条件でないのなら、どうしてTerryとTonyとのプロジェクトをDGMで制作しないのか」というものです。僕の回答はこうなります:

『このCDがDGMから発売されないのは、元々このプロジェクトがMagna Carta(TerryとTonyは以前にも同社でのプロジェクトを行っています)から提案されたもので、同社が費用一切を受け持つことになっているからです。実際僕らはDGMでこれが実現しないものかと考えたこともありました。しかしそれではなんだかプロジェクトを、元々の発案者であるMagna Cartaから盗むことになるような気がしたのです。』

『契約書で最も問題となる点は、アルバムの著作権を放棄しなければならない点です。つまり僕らが作るアルバムであっても、その後はMagna Cartaの所有物となり、作者であるミュージシャンには僅かな印税以外は、何の権利も残らない、ということです。一方でこの契約の長所は、Magna Cartaがスタジオ料やその他、全てのアルバム制作費を出してくれるということで、これはDGMでは考えられません。というわけで、長短両面があるわけです。』

『僕らは著作権を放棄して、単に演奏料を受け取って録音するということを了解しています。いわばスタジオミュージシャンに似た感じで、スタジオ入りして、自分のパートを演奏し、ギャラをもらって家へ帰る、という事なのです。』

Monday 27th. November, 2000

(前略)

今日の午後いっぱい、CGT/Bozzio/Levinプロジェクトに関するMagna Cartaとの契約書をこまかくチェックしました。契約をチェックしてサインする、こういうことは僕がミュージシャンとしてやらなきゃならないことの中で、一番嫌になることです・・・。こういうことを全然求めないDGMには本当に感謝してます。殆どのミュージシャンがマネージャーを雇ってこういう仕事をさせるのも無理はありません。でも僕はこの手の契約書を自分で理解できるようになって、CGTにとって最良の決断を自分で下すことができるのは良いことだと思っています。(過去の体験から言えば、僕らにとってベストな判断もマネージャーにとってはベストでないことがありますから。)CGTの友人で弁護士でもあるScot Cliffordが一緒に契約書を見てくれて、疑問のある点何カ所かを話し合いました。僕らはこのプロジェクトをサイド・プロジェクトだと考えていますが、それにもかかわらず、Magna Cartaとの間でこの一枚ないしはもう一枚のCGT/Levin/Bozzioアルバムに関する契約書を交わさなければなりません。

この契約書を読んでいると、幾つかの点でいかにDGMが素晴らしいかを思い出さされました。Magna Cartaからはこのアルバムの全ての著作権を彼等に譲渡するよう要求されています。まあ、今回のはTerryやTonyと共演のサイドプロジェクトで、何れにせよ様々な作曲家の作品を取り上げるのだから、いわば「雇われミュージシャン」って感じで、ある程度の出演料と少しの印税で我慢するか、と思っていました。実際はこのアルバムから印税が入ると言うことは考えにくいです。こちらに印税が支払われる前にまず制作費などが会社に返却されなければなりませんから。

今回のプロジェクトがうまくいって、今後CGTの知名度が高まるようにと期待してくれているDGMのDavidには心から感謝したいと思います。世界最高級のドラマーと世界最高級のベーシストとの共演ですから、きっと僕らにとっても得るところは大きいと思います。契約書の中の何かとんでも無いことを見過ごさない限りは!

Thursday 23rd. November, 2000

CGT in Nagoya

名古屋ボトムラインのステージでのCGT。Tony Levin撮影

Utah, USA

感謝祭おめでとう!

日本からユタにこの火曜に着いて、二三日のあいだ最高のツァーの疲れと時差ボケから回復するため、日記はお休みを頂きました。すぐまた新しい話題で再開します。

Friday 17th. November, 2000

東京

一日中、インタビューと写真撮影。休み無しで、ほぼ5時間ぶっ通し。ひっきりなしに記者とカメラマンがやって来ます。撮影セッションの合間にStacyも写真を取りました。その内から何枚かを紹介します。

CGT photo shoot

Player Magazineの写真撮影。Hideyoは実際は笑っているんだということに御注意。

T-Lev/CGT interview

Strange Days誌のインタビューに応じるT-LevとCGT

CGT/T-Lev photo shoot

Strange Days誌の写真撮影

Paul and Guitar

Player Magazineのインタビュー中にギターの後ろに隠れる僕

インタビューの後、全員でヴァージン・メガストアへ向かい、店内での質問セッションと短い演奏、そしてCDサイン会を行いました。TonyとBertとHideyoと僕が座らされたのは、エアコンの吹き出し口の真下にある小さなステージで、大量の冷たい空気がまともに吹き付けてきます。まず質問セッションをやり、それから演奏にかかった頃には手がかじかんでしまっていました。何分か演奏して、やっとウオームアップができたような次第です。演奏後は写真やCDにサインをしました。

Thursday 16th. November, 2000

Japanese Hair Dryer

これはホテルのバスルームにあったドライヤーの注意書きです。「もう一方の目的」(訳註:the other purpose)って、どんな事なんでしょ?TonyはCGT/T-Lev日本ツアーの特集ページをウエブ上で公開していますが、そこには、ここ日本で見つけたへんてこな英語が沢山掲載されています。papabear.comをチェックして下さい。

午前中、僕とStacyの二人で、地下鉄に乗って新宿といわれる区域の探索に出かけました。いろんな店を見て回って、それから昼ご飯を食べるところを見つけました。食堂の多くは、店頭のガラスケースの中にプラスティックで出来た食べ物の見本が置いてあって、腹を減らした外人には非常にありがたいです。レストランの中に料理の写真が飾ってあって助かることも多々あります。

午後4時に、ホテルを出発して会場に向かいました。サウンドチェックを手早く済ませ、前夜のフィードバック問題に取り組みました。その後、TonyとBertとStacyと僕とで東急ハンズという大きな店で少しの間買い物をしました。この店は7階建ての店内一杯に、日本のがらくたや工具やその他色々が詰まっています。

CGT at Club Quattro

東京のクラブ・クアトロでのCGT。Stacy Richards撮影

クラブ・クアトロでの公演は凄いものになりました。演奏面では多分今回最高の出来だったと思います。ツアーの締め括りにふさわしいものになりました。セットリストをちょっと変更したので、全体の流れも良くなった思います。Hideyoのアレンジした「ずんどこ節・精神異常者」は今夜も大ヒットで、曲のあいだじゅう手拍子が入り、「精神異常者」の難しいパートでも止むことなく続けらていて、こっちがビックリさせられました。お客さんはとても集中し、さらにオープンに、熱意をもって聴いてくれていました。

T-Lev and CGT at Club Quattro

クラブ・クアトロでのT-Lev/CGT。Stacy Richards撮影

今夜のお客さんの中には何人もの重要人物が来ていました。彼等は今後、日本でのCGTの将来に大きな影響を与えるかもしれません。まず、日本最大の広告会社の社長が来ていて、なかなか楽しんでいたとのこと。(聞くところによると、彼は日本中のレコード会社からありとあらゆるコンサートに招待されるけれど、実際に姿を見せるのは奇跡に近いそうです。)それからアンプラグドの曲をやったときには、例の素晴らしいLove GenerationとSonyビル(僕らが最初のショーをやったところ)のオーナーが来ているのも見つけました。彼からはすでに、またあのクラブで僕らのショーをやってほしいと招待されています。僕らを日本に呼んだプロモーター会社の社長であるIchinose氏もクアトロのショーには二晩とも来ていて、非常に気に入ってくれて、今後も僕らと仕事を続けたいとのことでした。

それから、Peter GabrielのギタリストであるDavid Rhodesも聴きに来ていました。彼も来日中で、ある日本のミュージシャンとデュオで公演しています。ショーの後、彼はTonyに挨拶するために楽屋にやって来て、CGTとも少し話をして帰りました。

今回のツアーはCGTにとって、日本での大きなブレイクになりました。巨大な前進です。CGTは1993年にDavid Sylvianのツアーで来日したのを皮切りに、Robert Fripp String Quintetツアーや、King Crimsonの前座、更には何回火の小規模なプロモーション公演などで今まで何度も日本に来ていましたが、CGTとしての知名度を確立するところまでは行ってなかったのです。今回のツアーはCGTの日本での明るい将来を約束するような、出発点になったと思います。

Wednesday 15th. November, 2000

Shinkasen Bullet Train

名古屋駅のプラットフォームに入る新幹線

今日もまた弾丸列車「新幹線」に乗って、名古屋から東京まで移動。東京に到着後、TonyとBertと僕とで昼食を探してうろつくことにしましたが、幸運にも僕らの入ったラーメン屋さんには英語のメニューがありました。ネギ味噌ラーメン。美味しかったです。

T-Lev and CGT on stage in Tokyo

T-LevとCGT、東京でロックす。はっきり写ってなくてごめんなさい。

東京、クラブ・クアトロでの第一回目のショーは大成功でした。この会場は東京でもトップクラスのライブ会場の一つなんです。出だしは少々問題もあって、ステージ上のフィードバックのせいで演奏しづらく、4曲目ぐらいまでは解決しなかったんです。しかしその後は徐々に勢いがついていきました。ショーの終わる頃にはお客さんが全く別の次元にいっちゃってるのをはっきり感じました。Hideyoは曲の合間のトークを見事にこなしています。彼は、「Tonyと演奏できるのはすごく楽しいんだけど、それは単に彼が素晴らしい演奏家だからというだけではなく、ステージの両端にハゲが揃うと見た目にもクールだから」(訳註:Bertもそうとう薄いですからねえ・・・)、なんてこと言って、大爆笑を誘っていました。BertとTonyと僕も少しはトークをしますが、MCの大部分をHideyoに任せて、大成功を収めています。

ショーの後、ギターを担いで、深夜丁度から始まるラジオの生放送へ向かいました。長い一日の後で、僕は相当疲れてました。夕方到着したばかりの妻のStacyも長時間のフライトで疲れて切ってましたが、ラジオ局まで一緒についてきました。なんとか失敗もせずに何曲か演奏し、短いインタビューも受けました。ところで、真夜中にラジオを聴いている日本人って、何人ぐらいいるんでしょうねえ?

Tuesday 14th. November, 2000

午前9時8分:今朝は「弾丸列車」(訳註:新幹線の事)で大阪から名古屋まで行きます。今はメールをチェックして、昨日の日記をアップする余裕しかありません。それからすぐに準備してホテルをチェックアウトします。

Osaka Train Station

Hideyo、Bert、Ken Kobayashi(ツアー・プロモーター)、Steve Ozark(CGTマネージャー)、T-Levが大阪駅のプラットフォームで新幹線を待っているところ。写真の後方中央に写っている小さな日本人は、僕らを駅で待ちかまえていたファンで、CDのブックレットを山ほど持ってサインを求めてきました。彼は駅の中を何処までもついてきて、幾らサインをしても、また数分後には別の物を持ってきてまた僕らのサインをせがむのです。僕らがプラットフォームで列車を待っている間もすぐ側に立っていて、そして僕がこの写真を取るときにちゃっかり後ろへ割り込んだのでした。

Tony, Bert & Hideyo on the bullet train

TonyとBertとHideyo。名古屋へ向かう新幹線の車中で。いやはや、移動っていうのはこうでなきゃいけませんね。時速100マイル以上で疾走していながら、全くスムーズで快適です。

午後10時59分:今夜のBottom Line名古屋でのショーは素晴らしかったです。この会場は音響システムも良く、暖かい雰囲気の素敵なクラブで、お客さんも素晴らしかったし、CGT/T-Levも凄く良い演奏が出来ました。お客さん全員が、演奏される一音一音に耳を澄まして聴いてくれた瞬間も何度もありました。特に日本の箏曲を原曲にした「Rokudan」の時など。彼等にとって、日本人一人と外人二人のグループがこの有名な難曲を、奇妙な「循環」アレンジで演奏するのを聴くのは、特別な楽しみなのだろうと思います。お客さんの何人かは実際僕らがこの曲中で、短2度の不協和音を弾く部分で、声をだして笑っていました。(多分、喜んでくれているんでしょうが。)

この日は僕らがいままで日本で体験した中でも最高に熱狂的なお客さんだったと思います。以前クリムゾンの日本ツアーに同行して、大きな劇場ばかりで演奏したときは、いつもこんなに静かでおとなしいお客さんなんだろうと思いこんでしまったのですが、今夜はアメリカのお客さんが最高に盛り上がったときと匹敵するような熱狂ぶりでした・・・さすがに「Bohemian Rhapsody」を一緒に歌うのはまだまだ照れくさいようでしたが。でも前列にいたある女性だけは、喉も張り裂けんばかりに歌ってました。

ショーの後、ファンの一団が山のようなCDカバーを持って、僕らのサインを待ち受けていました。Tonyはとてつもなく沢山のアルバムで演奏しているので、ファンも彼のサインを求めて巨大な束を用意しているのです。今夜は彼がPaul SimonやArt Garfunkl、そしてTonyが参加した様々な日本人アーティストのアルバム、それから勿論山のようなクリムゾンのアルバムにサインしているのを見ました。

今朝は6時半まで眠れたので、時差ボケも取れてきたと思うのですが、今日もちょっとボヤッとした感じが残っています。今夜のショーの素敵なエネルギーで、随分気分は良くなりましたが。

Monday 13th. November, 2000

午前10時7分:夕べも4時半に一度目が覚めましたが、すぐにまた寝ることができました。どうやら少し日本時間に慣れてきたようです。今日は飛行機で大阪まで移動する予定で、あと30分後に空港へ向けて出発します。

Mount Fuji

東京から大阪へ向かう機内から見た富士山

日本っていうのは凄いところですね!コンサートのプロモーターや会場の段取りの良さには目を見張るものがあります。日本人のステージマネージャーであるSteveは、僕らのあらゆる面倒を見てくれています。夜の間に東京から大阪まで僕らの機材と荷物を車で運ぶだけじゃなくて、スーツケースを各自の部屋まで持って上がって、僕らが着いたときにはちゃんと荷物が部屋にあるという状態にしてくれているし、僕らがやるのとまったく同じように、ステージのセットアップを全部やってくれるのです。彼は最初の公演の晩に、僕らがどういう風にステージをセットするかをメモしておいたので、次の晩からは僕らが会場に到着したときには、もう完全に準備が出来ているといった調子です。こんな事は今まで絶対考えられませんでした。いつでも自分らで機材のセットをしてきたんですから。

Osaka

大阪のホテルからみた景色

ここ大阪で、日本での2回目の公演を終え、夕食(なんか日本のパンケーキみたいなもののレストランで)を済ませてホテルへ戻ったところです。良いショーだったんだけど、昨日のショーほどはエネルギーが高まらなかったようです。2日目のショーだからでしょうか。それとも時差ボケのせいかも。会場の設定のせいでエネルギーが逃げてしまったということもあるかもしれません。相当大きな会場で、ほとんどのテーブルも席も人で埋まっていたのですが、どういうわけか一種の空虚な感じが残る場所でした。それからステージの高さもやけに高く、お客さんからすごく引き離されている感じがしました。Bert曰く、どうしても音が気に入らなかったそうで、ショーの間中、サウンド係が必要以上に音の設定をいじり続けていたような気がしたそうです。こういう全ての事、そしてそれ以外の事も重なり合って、ショーのエネルギーの高まらなかった原因になったのでしょう。ショーのハイライトは、最後に僕らが客席に降りていって、「アンプラグド」で演奏したときでした。4人ともそれぞれ思い切って離れた場所へ散らばったので、殆どのお客さんがその真ん中に挟まれる格好になりました・・・凄く面白かったです。

Sunday 12th. November, 2000

T-Lev & CGT

T-LevとCGT。日本での撮影セッションにて

午前9時38分:夕べは午前2時半に目が覚めてしまい、ギターを弾いて頭に浮かんだ幾つかのアイデアを試してみたりしました。その後4時半にベッドへ戻り、7時まで眠ったのですが、まだまだ時差ボケが酷いので、今夜のショーが早い時間に始まるのがありがたいです。

午前10時40分:ホテル周辺をちょっと散歩。通りを上がってすぐのところに神道の神社があって、近くには有名なコンサート会場でもある武道館がありました。武道館の外では二組の男性コーラスが、それぞれになにか日本の民謡のようなものを歌っていたのですが、その声がお互いに重なり合ってアンビエントな効果を生んでいました。それから道路を渡ったところでは女性の一団が扇を持って日本舞踊の練習もしていました。

午後1時1分:Hideyoの部屋でTonyも交えて一時間ほどリハーサル。それから通りの渡ったところのカレーハウスで昼食をとりました。1時半にサウンドチェックに出発します。

Tokyo Bay

Love Generation近くから見る東京湾

午後10時半:日本での最初のCGT/T-Lev公演から戻ったところです。今夜の会場はTribute to the Love Generationという名の、最近出来たばかりの凄く素敵なディナークラブで、東京湾を見下ろすところに新しく建てられた、Sony所有のハイテク・モールの中にあります。一回目の公演としては凄く良いショーになりました。お客さんも素晴らしく、熱い声援を感じました。「ずんどこ節」という、Hideyoのアレンジした日本の曲で、ちょこちょことKing Crimsonの曲のかけらも織り交ぜたものを演奏したら、大受けでした。ベートーベンの第九の途中、フーガの部分で(きっと時差ボケのせいでしょうが)僕が止まってしまうということがありましたが、BertとHideyoが演奏を続けてくれたので、タイミングを見計らって合流することが出来ました。

普通、僕らのうちの誰かの地元で演奏する場合(東京はHideyoの出身地です)、その当人が普段より多くのストレスやプレッシャーを感じてしまうようです。夕べはHideyoも相当神経質になっていたようですが、演奏の方は大丈夫でした。

ショーが始まる前にポニーキャニオンの写真撮影がありました。その内の何枚かを掲載します。

ショーの後、食事が用意されていたのは、先月King Crimsonがここで公演したときに衣装室として使ったのと同じ奇麗な部屋でした。この部屋のトイレこそ、Robertが日記で紹介していた例の超音波ビデとお尻乾燥機の付いたTOTO・ウオッシュレットのあるトイレだったのです。調整パネルの写真を見てみてください。

夕食の時に、この会場とSonyモールのオーナーの一人である方と話をしたのですが、僕らの演奏をとても気に入ってくれたようで、「出来ればこのクラブを、日本でのCGTの根拠地にしてくれないか」と申し出てくれました。もしそうなれば素晴らしいと思います。日本でCGTが演奏するのに全くぴったりの会場だと感じたから・・・。

Saturday 11th. November, 2000

東京

午前10時15分:今朝は3時に目が覚めて、それから6時まで眠れませんでした。その後また8時に目が覚めたけどすごくボーっとしています。時差ボケのピーク。さあ、これからギターの練習を少しして、11時からはBertとHideyoとのリハーサルです。

午後2時51分;今朝は良いリハーサルが出来ました。内容はほとんどセットリストの復習で、それぞれのパートを思い出したり、難しい部分を幾つか演奏してみたり。リハーサルの後は近所のとても小さいレストランで食事。その時にBert とHideyoに先日のロスでのDGMとの会議の話を伝えました。

午後9時49分:午後から更にリハーサル。5時半頃にTonyがホテルに到着し、その後6時半から全員で、ツアーのスケジュールや詳細をプロモーターやレコード会社の人も入れて確認のミーティング。その後はBertとHideyoとTakakoとTonyと僕とで夕食へ。Hideyoがホテルのそばの裏通りでとても小さな寿司屋を見つけたんだけど、ここの寿司が今まで食べた中で一番美味しかった。値段も手頃だったし。

またもや時差ボケだ。もう寝てしまおう。

Friday 10th. November, 2000

東京

東京のホテルではポニーキャニオン(DGMレコードの日本での販売元)の社長さんが花とフルーツが差し入れてくれてました。ホテルは東京の中心部にあって、ホントに素敵な、静かな部屋です。ただ空気を入れ換えようと思っても窓が開けられないようになってるんだけど、多分開けたら騒音も入ってくるだろうし・・・外の空気もたいして新鮮じゃないかもね。

BertとHideyoとTakakoと一緒に、ラーメン大盛りと餃子を食べて戻ってきたところです。日本時間では午後8時38分ですが、僕の体はまだ午前4時38分だと思ってるようなんで、もう少しだけ起きていて、できるだけ早く時差ボケを無くしたいと思っています。日記を付けて、ギターの弦を換えてから就寝します。

今朝(というか日付変更線を越えて、一日分損したので、もう昨日のことですが)ユタを出るときには雪が降ってました。この天候の影響で、地上作業員が飛行機の羽根の上につもった雪を除けたり、機体全体に凍結防止剤をスプレーしたりして、出発が遅れました。これは東京行き便へ接続が間に合わないだろう、と思ったのですが、ぎりぎり数分前に到着。ロス空港では到着ゲートまでBertが探しに来てくれていました。彼の姿を見て、まだ東京行きが出ていないんだ、とホッとしたのでした。

日本行きのこの便はもう6回以上使っていますが、一向に楽になるということがありません。映画もつまらないし、食事も最低。頭が凍ってしまうので読書も進みません。エコノミークラスのぎゅうぎゅう詰めの席で、殆ど眠れないんですが、今回は新しくノイズキャンセリング機能のついたヘッドフォーンを持っていったので、音楽は以前よりずっと楽しむことが出来ました。気に入って聴いてたのはJerry Douglasのソロ・アルバムです。

Saturday 23th. September, 2000

Tin Angel - Philadelphia

土曜の夜は、PhiladelphiaのTin Angelで2回公演でした。またTony Levinが参加してくれて、CGTがクインテットになりました。一回目の公演は完全に満席。Preston Reedという素晴らしいソロ・ギター奏者が前座をやってくれて、良い演奏を聴かせてくれました。僕らは午後8時20分頃ステージに上がったのですが、ハプニング一杯のワイルドなショーになりました。Tonyがまた合流してくれたことは最高だったのですが、少しばかりの問題もクリアしなければなりませんでした。まず、最初の4分の1ぐらいのあいだは、Tonyのモニターも会場用のPAも音量が低すぎて、彼は自分の音が聞き取れなくて、他のパートとタイミングを合わせるのに苦労していました。それからTonyがリハーサル抜きで合流したことも一つの問題になりました。全員それぞれがあちこちで小さなミスをやらかしてしまいましたが、大失敗には至りませんでした。お客さんは非常に熱心で、すごくショーにのってきてくれました。アンコールの「Elephant Talk」の時、Tonyが歌詞を間違えてしまって・・・僕の記憶によれば、彼は「C」の付く言葉の部分を2回やってしまい、「つぎはDの付く言葉だ」って部分をとばしちゃったのです。僕が「D」の付く言葉の後でAdrianのソロを弾くことになっているので、「もしかして早く始めすぎたか・・・」と迷ってしまいましたが、でもなんとなくこのタイミングで間違ってない、と思って弾いたのでした。ま、なんとか最後までメチャクチャにはならずに弾き終えましたが。
一回目の公演の後、お客さんが入れ替えをさせられている横でCDのサインをしました。二回目の公演は一回目ほどの満席ではありませんが、良く入っていました。Preston Reedは相変わらず素晴らしい演奏で前座を務めてくれましたが、この時には演奏中に騒がしく話しているお客さんが相当数いました。我々がステージに上がった午後11時半頃には、一回目のお客さんより相当酩酊している人が何人か見受けられました。とくに「Bohemian Rhapsody」を演るとこれがよくわかるのです。僕の仮説によれば、合唱の声の大きさは、アルコールの消費量に正比例するのですが、この二回目の公演ではこの仮説に、補足として、ある臨界点を超えるとアルコール消費量は歌唱力と反比例しだす、ということも分かりました・・・もしかして、単に音痴の人が多かったのかもしれませんが。いずれにせよ、僕らの演奏は二回目の方がタイトで、なんとなく僕はこれで一回目のミスの償いができたような気になってしまいました。CGTクインテットはホントに素晴らしいバンドで、出来るだけ近いうちにまた再結成したいと思いました。

Steve Redmondと、僕のワイフのStacyがCDの販売を担当してくれました。Stacyの話によると、この日記を読んでいる方が何人か話しかけてきて、日記を読んで彼女がこの会場に来てるのを知っていた、と言ってたとのこと。Stacyはまだ僕のオンライン日記にどう対処して良いか、態度を決めかねているようで、時々全く見ず知らずの人から、僕らの愛犬Ashaの具合はどうか、なんて訊かれて面食らうようです。

Monday 11th. September, 2000

Kansas州内、国道35号線。TexasのDallasからKansasのLawrenceまで560マイルの移動中。

ここKansasの平原では気温が華氏102度まで上がっています。だんだんと北上すればこの熱波から逃げられるかと思ってましたが、ここはTexasより暑いぐらいです。

昨日は忙しくて、土曜の夜のAustinでのショーの様子をレポートする時間がとれませんでした。そこでここで夕べのDallasでのショーの様子と併せてお伝えしたいと思います。

土曜の夜のショーは両方とも完売状態でした。当日券を買うつもりで来た方の多くが 入場できなかったようです。Austinではショーの回数を増やすか、もっと大きな会場 で演る必要があるようです!一回目のショーの冒頭、Tonyのケーブルが不調になり、 音が途切れてしまいました。そこでBertがお客さんに話しかけている間に、TonyとJC (音響係)と僕とでケーブルを色々と交換してどれが悪いのか調べてみたのですが、 そのうちBertも喋ることが無くなってしまい、僕らはなかなか不良ケーブルを見つけ られずに悪戦苦闘したのですが、お客さん達はTonyのベースが元通り鳴り出すまで、 辛抱強く待ってくれていました。

Audience at the Cactus

またもやCactus Cafe 一杯の笑顔。Austinで。

2回目のショーでは時間の制約が無いので、アドリブ部分を少し延長して演りました。TonyとJarrodがヘヴィーなグルーブを繰り出し、その上でCGTがへんてこなメロディーやリズムを奏でるのです。 「Bohemian Rhapsody」では今までで最高級の合唱が起きました。特に声が大きかった訳ではありませんが、一番正確に歌っていたのではないでしょうか。一回目のショーではお客さんが自発的に歌ってくれるだろうと期待して、特に誘いを掛けることをしなかったのですが、結果としてあまり歌って貰えませんでした。どうやら、「Bohemian」の歌声の大きさは、会場で消費されているアルコールの量に正比例しているようですね

夕べのDallasのPoor David'sでのショーもほぼ完売状態でした。この会場は他より古く、ライブ会場としての歴史があって、スタッフもとてもフレンドリーです。この夜は、騒々しいお客さんになるんじゃないか、と恐れていたのですが、結果は嬉しい驚きとなりました。幾つかの曲の静かな部分では、全くの静寂を感じることも出来ました。「Pathways」のブレイクでは、この静寂は永遠に続くのではとさえ思えました。僕はいつもより長めに間をとって、しばし静寂を楽しみ、それから後半部を続けたのでした。

今夜のアドリブはさらに長いものになりました。後からテープを聴いて、何か発売できそうなものを探すのが楽しみです。

Saturday 9th. September, 2000

Austin, Texas

CGT, T-Lev and Terry Bozzio

CGT, T-Lev and Terry Bozzio

CGTとT-LevとJarrodとTerry Bozzioとで昼食を食べに行きました。食事はとても美味しく(El Sol y La Luna)、話し合いもうまくいきました。Magna Cartaで一緒にやるかもしれないプロジェクトについて、いろんな案を話したのですが、エキサイティングなアイデアがいくつも飛び出してきました。またTerryは僕らのショーをとても楽しんでくれたそうで、僕らとの共演を楽しみしていると言ってくれました。僕にとっても彼との共演はすごく楽しみです。

Friday 8th. September, 2000

Austin, Texas

凄く忙しい日でした。7時半に起床し(夕べ寝たのは午前2時でしたが)Austinへ向け出発。正午にKUTでラジオ番組に出演することになっています。3時間の移動の間、僕は車内でずっと会場販売関係の表計算にかかりっきりでした。ぎりぎりの時間にKUTに到着。辛うじて機材を搬入し、番組に間に合いました。CGTは以前にも同じ番組に出演したことがあるのですが、今までからサウンドチェックをさせて貰えた試しがありません。ギターを接続して、即放送開始、という感じです。ギター3本だけで演っていた頃はそれでも良かったのですが、ドラムとベースが加わった今は、そんな簡単にはいきません。ところが今回もサウンドチェック無しです。まず「Melrose Avenue」から始めたのですが、音が完全に歪んでしまっていました。それで演奏しながらミキサーのレベルつまみを動かして調節に四苦八苦です。やっと音量が調節できたと思ったら、今度はとんでもないノイズが鳴っています。そこで生放送中で、インタビュー中にも関わらずノイズを無くそうといろいろな手をうったのです。ホストのJohn Aeilliとの会話はBertに任せてしまって、僕とHideyoの二人で回路に幾つかのトランスを接続たんですが、これが上手くいて、なんとか最後に演奏した2曲は殆どノイズも歪みもなく演奏できたのです。

ラジオ出演の後、Motel Austinへ直行してチェックイン。それから隣にあるEl Sol yLa Lunaという素敵なメキシカンレストランで遅い昼食を取って、しばし休憩の後、シャワーを浴びて、会場のCactus Cafeでのサウンドチェックに出発です。

CGT, T-Lev and Jarrod at sound check

Cactus Cafeでサウンドチェック中のCGTとT-LevとJarrod

今夜の一回目のショーは完売でした。Terry Bozzio(彼はAustin近郊に住んでいます)が客席の、ステージからすぐ側の席に座っていました。後でJarrodが話していましたが、さすがにすぐ正面にTerryに座られると緊張してしまった、とのことでした。Terryは世界でもトップのドラマーの一人に数えられていて、ドラマーの世界では大変な評価を得ているのです。それでもJarrodは素晴らしい演奏を聴かせてくれました。実に楽しいアドリブが出来たと思います。

Cactus Cafe

Cactus Cafe一杯の笑顔

二回目のショーも完売でした。今回はアドリブを増やしてみたのですが、JarrodとTonyは凄くファンキーなグルーブにバチッとはまって、それをバックにCGTが好き勝手に演奏することが出来たのですが、こういうのは僕らにとって新境地と言えます・・・もしかしたら素晴らしい物が生まれてくるかもしれません。また「Dance of Maya」での僕のスライドギター・ソロも今夜は特に上手くいきました。ショーの後半になると、みんな今日一日の疲れが出てきているのが伝わってきましたが、集中して聴いてくれているお客さんの熱気に乗っかることで、最後まできちっと演奏することが出来ました。

Thursday 7th. September, 2000

Houston, Texas

午前中、TonyとJarrodと一緒にもう一度全曲通しで演ってみました。この2時間ほどのリハーサルの後、遅い昼食をとり、シャワー、そして会場へ出発です。

Mucky Duckでのショーは最高でした!Jarrodにとっては僕らとの最初のショーでしたが、素晴らしい仕事をしてくれました。Bertと僕とでひっきりなしに彼に合図を送って演奏したのですが、すごく上手く合わせてくれました。客席は完売で、後ろに立ち見の人も大勢入っていました。CGTがHoustonに来るのは一年半ぶりで、前回は2カ所のBorders書店でプロモーションのショーをやっただけ、それも盛況とは言えなかったのです。そんなわけで今回会場が満員になったのは予期しない喜びでした。このMucky Duckという会場はHoustonのアコースティック系の会場では最高のところで、お客さんも実によくのってくれていて、お陰でTonyやJarrodとの共演はこれが一回目であるにも関わらず良い演奏が出来たと思います。

実は僕らがMucky Duckで演奏するのはこれが初めてではありません。以前にBorders書店のショーで来ていたときに、僕らを聴きに来てくれた人のなかで一人、(たしかMichaelって名前だったと思いますが)この書店でのショーが済んだら、一度Mucky Duckへ来てOpen Micでやってみないか、と誘ってくれたのです。僕らがどうしようか、と話している間に、彼はもう契約をすませてしまっていて、僕らとしても断るわけにもいかなくなったのです。それでOpen Micで演奏して、良い感じに演ることができました。僕はきっとこのときのOpen Micでの演奏のお陰で今回正規のショーの契約が出来たのだと思います。ということで、お膳立てしてくれたMichael、ありがとう!

ギタークラフト時代の友人、EricがMucky Duckでのショーに来てくれていて、ショーの後、思い出させてくれたのですが、僕らがTexasでのギタークラフト講習をやったときにBrad Bennにぶつけたのは、実際はアーモンドだったとのこと。お詫びして訂正いたします。

Wednesday 6th. September, 2000

Houston, Texas

今日は昨日より少しは涼しいかもしれません。110度までいかずに、100度ぐらいじゃ なかったかと。(訳註:華氏110度は摂氏43度、100度は摂氏38度ぐらいです)

夕べはBertとHideyoと一緒にDallasの近くのEnnisというところで一泊しました。そして今朝Houstonまでの残りの200マイルを走って、夕べのうちにSeattleから到着していたTonyとJarrodに合流しました。彼等は二人ともSeattleのBumbeershootフェスティバルに出演していたのです。Tonyは自分のバンド、JarrodもHanumanという彼のバンドと一緒でした。

夕方、彼等と一緒のリハーサルは最高でした。5時間ばかり休憩も取らずに集中して練習したのですが、Jarrodは素晴らしい耳をもっていて、なにもかもすぐに飲み込んでくれました。今後の公演が本当に楽しみです。

リハーサルの後、みんなで深夜営業のピザ屋へ(Houston流の美味しいピザでした)、そしてこれから休むところです。

Monday 10th. July, 2000

高度3万フィート:ケベックからトロント・デンバー経由でユタへ。

昨日はショーやその他諸々で午前3時までの、長〜い一日でした。まず午後に旧市街や城壁の近くに位置するMetroの中規模なステージで演奏。会場は約200人強の聴衆で一杯になっていました。僕らがステージに上がる頃に小雨が降り出したのですが、誰一人帰る人もなく、雨もすぐにやんでくれました。ベートーベンの「第9」の後はスタンディングオベーションになり、アンコールも大変上出来でした。聴衆の中には同じ会場で演奏したMark RibotのバンドやDaryl AngerとMike Marshallのバンドのメンバーも来ていました。ショーの後、販売テーブルに長い列が出来ていたのが嬉しく、全てのCDにサインするのも苦になりませんでした。CGTのT−シャツも好評でした。

ホテルではエレベーターの中でStacyと僕はMarc Ribotと一緒になり、彼にWest 54th StのSessionsでの演奏を楽しませて貰ったことを話ました。その後、ケベックフェスティバルの前責任者のお宅で夕食にご招待。素晴らしいケベック風家庭料理で、ほとんど全てにごく少しだけメイプルシロップが使われています。AlanとJohanne、そして他の招待客と共に美味しいご馳走と、素晴らしい会話を楽しみました。午後9時にホテルへ戻り、11時からのPub St. Alexanderでのショーの準備です。ホテルへの道中、僕らは今晩がオフで、他の出演者達の演奏が聴きに行けたらいいのに、と思わないでもありませんでした。今夜のこのショーは一回余分だったかもしれない・・・それでもまた満員のパブでのショーへと向かったのでした。

ショーの始まる30分程前、突然CNNのWorld Beatという音楽番組のプロデューサーであるChristopher Hinesと撮影スタッフ達の訪問を受けました。それで楽屋で短いインタビューを受け、彼等用にアコースティック版の「Melrose Avenue」も演奏しました。その後彼等はクラブ内に陣取り、僕らの一回目のセットの前半部を録画していました。CNN World Beatではケベック・フェスティバルの特集を予定しており、2週間程後に放送されるとのことでした。CGTの部分も放送されるのを期待しています。ショーの方は素晴らしい出来でした。このフェスティバル期間の最高の演奏もありました。どうも大きなステージでは僕らの演奏の微妙な部分が伝わらない気がします。もちろん大きなショーでも演奏は良く出来たとは思いますが、今夜のような小さなパブが僕にとっては何より最適なのです。演奏を始めて、音楽が流れ出した途端、僕は今夜をオフにしなくて良かったと思い直しました。実際、こんなショーなら一晩中演奏しても良いような気分になれるのです。始まる前には4人とも連日の仕事と今日一日の忙しさで、ばててしまっているのでは、と心配しないでもなかったのですが、始まってみればみんな絶好調で、素晴らしい演奏が出来たのです。こういうショーがあるお陰で、これからも続けていく力が出てくるのです。

Sunday 9th. July, 2000

Paul speaking to the huge crowds

Plains of Abraham公園で巨大な聴衆に話しかける僕。撮影はTony Levin。

昨晩、ケベックのPlains of AbrahamでのショーはCGTにとって今までの最大のショーでした。フェスティバルの企画者であるJean Beauchesne氏の話ではおよそ1万5千か ら2万人の観客が入ったそうです。Plains of Abrahamはケベック市のほぼ中心にある美しい大公園。こういう野外フェスティバルは、小さなクラブで演るショーとはもう全然かけ離れた体験なのですが、今後も沢山のクラブ公演が待っているでしょうから、あんまりこんな大ステージでの演奏に慣れ過ぎないように気をつけねば・・・。

CGTとT-Levのショーは午後8時に始まりました。フェスティバルの、大騒ぎの大観衆の前で、あの大ステージに出ていく、ということで僕はとんでも無く興奮してしまいました。まるでロックスターにならずして、そういうスターの気分だけ味わせてもらった感じです。お客さんは凄く熱心に聞いてくれていたと思います。あれだけの大人数と言うことを考えると、余計にそう思います。「Blockhead」の終盤、15拍子で手拍子を合わせてくれたのには感心しました。それから、「Bohemian Rhapsody」(Tonyの撮影したmpegクリップはこちらをクリック)で1万5千人のコーラスが聴けただけじゃなく、ベートーベンの「第9」のコーラス部分にも参加してくれたし、両手を挙げたまま飛び跳ねてくれたりしたんです。

「Elephant Talk」ではちょっとヤバイ瞬間がありました。ソロのセクションの一部 で、Hideyoが数小節だけ止まっちゃったんです。でも何とか弾ききることが出来ました。僕らはこの日のメイン出演者じゃなかったので、アンコールがかかるなんて思ってなかったのですが、お客さんが大騒ぎしてくれたので、ステージに戻ってTonyと一緒に「Melrose Avenue」のホット・バージョンを演りました。Hideyoの速弾きソロの終わりではもの凄い叫び声が轟いてました。

ショーの後、会場に出て何枚かCDにサインをしたのですが、余りにもお客さんが多 く、公式な販売ブースの無い状況では、割とセールスが伸びないものだと知りました。ステージの横で機材を片づけていると有名なカナダのロックバンド「Tea Party」の演奏が始まりました。Sound Garden風のパワー・トリオで、ステージの袖からバンドを聴き、観客の声援を聴くのもなかなか面白い体験でした。それにしてもCGTがこういうヘビーロックのバンドの前座に出て、あんなに受けたというのはビックリしますが、考えてみれば1年半の間、Crimsonの前座をやったわけで、ヘビーと言えばあれほどヘビーな音楽もないですからね。

Tea Partyを何曲か聴いた後、みんなで夕食へ。モントリオール在住の親友Claude Gilletと彼の娘さんMaude Morinも一緒でした。Claudeは98年にCGTとTony Geballeがモントリオールで演奏したときに前座をやってくれた素晴らしいリュート奏者です。 食事の最中、隣のテーブルの誰かが誕生日だったらしく、レストランの従業員が総出でフランス系カナダ人のバースデイソングを歌っていましたが、Claudeは、この特別なバースデイソングはとてもポピュラーで、すごく有名なフランス系カナダ人の詩人が作った、ということを説明して、それから顔を上げて言いました。「でね、その詩人がまさにそこのテーブルに座っているんだよ!」

Saturday 8th. July, 2000

T-Lev and CGT on stage in Quebec

ケベックにて

夕べは結局3時半まで眠れませんでした。Pub St. Alexandreでのショーは完全な満員 状態。実際、満員過ぎてステージに上がったり降りたりするのもやっとの事でした。 そのぐらいぎゅうぎゅう詰めだったんです。もしこれで火事になったりしたらどうなっ てただろう!店の窓の外側にまで人が押し寄せていて、中の音楽を聴こうとしてるの が見えました。さて、野外のメインステージで出演するときは演奏時間が55分に限ら れているのですが、夕べは2回のセットがあったのでいろんな物をやってみる余裕が ありました。インプロも普段より多く、さらにTonyがスティックを弾きながらイタリ ア語で歌う曲や、その他CGTの以前からのレパートリーも演りました。「Bohemian」 の合唱もすごく盛り上がりました。フランス系カナダ人の多くは英語が喋れないって 言うけれど、この歌の歌詞は殆どみんな覚えているようです。

午後6時27分:今夜のショーへ出発する支度中です。聞くところによると、今回のフェ スティバルを通して最大のショーになるらしく、公園内に約12000人、そして周辺に さらに12000人ぐらい集まるようです。また後でレポートします。

Friday 7th. July, 2000

Parc de la FrancophonieでのCGT/T-Lev公演で。Hiedyo撮影

わぉ!今夜のショーはすごかった!フェスティバル初日、Colin Jamesの直前に僕らの出番がありました。公演は4000人以上のお客さんで完全に一杯です。入場者はみんな、赤いランプが光る特製コンサート・バッジを付けていて、日が沈むとステージから見た客席はまるで赤いランプの海のような素晴らしい眺めでした。そして、4000人が合唱する「Bohemian Rhapsody」、想像できますか?もの凄いんです!ところどころ歌詞は欠けていたけど、知っている部分はほんとに大声で歌ってくれました。特に「ママ〜、ウ〜ウウウ〜」のところは!

今夜は旧市街のメインストリートにある小さなクラブで演奏します。始まるのが午後11時になってからで、しかも2セットやるので・・・今日は遅くなるなあ!

Thursday 6th. July, 2000

午前11時50分:今朝はすこしリハーサルの続きをしました。今から写真撮影とカナダの音楽フェスティバルに関するドキュメンタリーの撮影です。

Photo shoot in Quebec

ホテルのプールサイドで撮影セッション

ホテルのプールサイドでT-LevとCGTの簡単な写真撮影があり、それからカナダの音楽フェスティバルに関するドキュメンタリーを作っている若者達からインタビューを受けました。Tonyはカメラを向けられて、自分の名前を言っただけでしたが、別にそれ以外には何も質問もされませんでした。インタビューの後、今日ビデオ撮影した映像と発言を使用することを許可する書類にサインさせられたのですが、Tonyは「自分の言ったことは全て正しいからもちろんサインするよ」なんて言ってました。

びっくりするような偶然:今朝のリハーサルの時、Tonyは僕たちにイタリアのとても有名な歌手とレコーディングしたときの曲を教えてくれていました。Tonyが教えてくれたメロディーは元々イタリア人のアコーディオン奏者が弾いたものだったんです。リハーサルの後、僕たちはフェスティバルの事務局にインタビューを受けに行ったんですが、その事務局にはそのイタリアのアコーディオン奏者が彼のバンドとチェックインしているところだったんです。

Wednesday 5th. July, 2000

カナダ、ケベック

午後4時40分:今日はちょっと肌寒いです。今回5回のショーの内3回は野外ステージ なので、もうちょっと暖かくなってくれるのを期待してます。今日はフェスティバルの事務局を訪ねました。事務局は僕らが入っているこの素敵なホテルの中にあって便利です。そこで今後5日間のイベント日程を貰いました。明日は、夕方の大きなショーの他に、ラジオのライブインタビューが2つと、カナダのドキュメンタリー番組用にインタビューと写真撮影があるんです。ああ、忙しい!

今日の午後、フェスティバル事務局から電話がありました。Tonyがカナダ国境(彼はニューヨークのウッドストックから車を運転して来るのです)から連絡してきて、どうやら就業許可のことでちょっとトラブルがあったようだが、今はこちらへ向かっていて、6時頃にはケベックに着くだろうとのことでした。

僕らの荷物は夜中の内にホテルに届いていました。といっても、全部ではありません。ギターと2つのスーツケースはホテルに到着したのですが、CGTの機材ラックがまだ見あたらないのです。飛行機会社の荷物係に電話をするのですが、まだ所在を確定できないでいます。なんとか明日の午後5時からのサウンドチェックに間に合ってくれればいいのですが。

午後11時55分:StacyとTonyとMaggieと一緒にケベックの素敵なレストランへ夕食に行って戻ったところです。Tonyは7時頃このホテルに到着。それから良いリハーサルが出来ました。彼は今回アップライト・エレクトリック・ベースを持ってきたのですが、素晴らしい音でした。それから夕食へ出発する直前、機材ラックが到着しました! 僕はこれがカナダの向こう端のどこかで迷子になっていたり、ぐしゃぐしゃに壊れてしまっているというような想像をしていましたが、これからはいらない想像をしないようにせねば。それが現実になったら嫌ですからね。

4th. July, 2000

ケベック・シティのホテルの部屋から

カナダ、ケベック・シティ

移動にまる一日かかって、Stacyと僕は夕方7時半にケベック・シティに到着しました。
旧市街地区のクレープ屋で簡単な夕食をとり、川沿いを散歩してからホテルに戻ったところです。部屋の窓からは旧市街の眺めが素晴らしいです。城壁、Chateau Frontenac(巨大な古城で、いまは豪華なホテルになっています)、そしてセントローレンス川。今、対岸の遙か彼方に、もの凄い雷と雨が見えます。

今朝、ソルトレークからシカゴまでの飛行機が1時間遅れたので、モントリオールへの乗り継ぎが出来なくなり、オタワ回りのルートに変更させられたのですが、ケベックに着いてみると荷物がまだモントリオールに残っていて、今夜の真夜中に到着とのこと。そんなわけで僕らの着替えも、僕のギターもCGTのステージ用機材も、モントリオールの貨物事務所に無事保管されていることを祈るばかりです。

フェスティバルの開催者側でちょっと混乱があったのか、Hideyoを空港に迎えるはずの車が現れず、しかも彼は間違ったホテルに入れられてしまい、結局今夜はそこで我慢して、明日僕らと同じホテルへ移動することに。Tony Levinは明日到着して、夕方には一緒にリハーサルの予定です。

Monday 3rd. July, 2000


明日のケベック行きに向けてさらに準備をする。洗濯、請求書の精算、植木の水遣り、スーツケースの荷造り・・・それからギターの練習。

僕はCGTとTony Levinとでまた公演出来るのが嬉しくてうきうきしています。ケベックのInternational Festivalへの出演はこれで3年目になりますが、過去2年とも好評でした。Tonyは彼のエレクトリック・アップライトを持ってきて何曲かで使ってみたいと言っていました。僕の頭の中ではもうその音がCGTとぴったりマッチして聞こえています。

この翻訳は、CGTのPaul Richardsさんの許可を得て掲載しています。
快く掲載を認めて下さったPaulさん、 どうもありがとう!
この翻訳は、クラブメンバーの深谷源洋さんによるものです。深谷さん、どうもありがとう!

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