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Paul Richards's CGT Diary

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2001年1月からの、アメリカ西海岸を中心に、ゲストプレイヤーにTonyさんとドラマーのPat Mastelottoを迎えてのツァーダイアリー日本語版をお送りします。

Tuesday 6th. February, 2001

やっと帰宅!

Jon LybrookとJeff Dukeが大急ぎでツアーの写真をページに仕立てています。すでに相当の枚数がCGT Road Camに掲載されています。

Tony Levinも彼の撮った写真を自分のサイト:Papabear.comに掲載しています。

Chris Florkowskiからの連絡で知ったばかりなのですが、CGT ebay itemで面白いアイテムが出ています。この一連の写真は日本の音楽雑誌「Player」2月号の表紙になったものですが、この出版社は僕らに見本を送ってくれるのが遅くて、未だ僕の手元に届いてません。そんなわけで、実は僕もオークションに参加しました!明日終了の予定です。

さて、ここ数日の出来事をまとめてご紹介しましょう。

2月5日(月)

3時間眠っただけで、6時半に起床したら酷い頭痛。でも起きてレンタルのトラックを返却にCarsonへ行き、それからPatのドラム機材をAustinへ送り返すためにRockit Cargo社へ届けなければ。随分とMark Perryのお世話になって全て順調に片づき、その後Markは午前11時に僕とPatを空港に送ってくれました。Hideyoはそれより早く、Markの奥さんCherylの運転で空港へ。TonyとBertは後から自分たちで空港へ向かいました。12時15分に機内へ入って自分の席に座ると、出だしからの色んな問題を乗り越えて実現したこの特別なツアーを終えることが出来たすごい満足感と達成感を感じ、そしてそのまますぐに眠ってしまいました。

2月4日(日)

前夜3時頃に、ホテルの警報ベルが何度も鳴り響きました。翌朝チェックアウトの時に聞いた話では、お客の一人が自分の彼女が別の部屋で浮気をしていると思いこみ、警報を鳴らせば泊まり客が飛び出てくるので、そこを押さえようと考えたとのこと・・・。いかにもHollywood。

San Juan Capistranoでは午後2時という早い時間からサウンドチェック。会場が前座に2つもバンドを契約したためです。機材を車から降ろしたときに、BertとHideyoと僕、3人のペダルボードのバッグを夕べKey Clubに忘れてきたことが発覚。Mark Perryのとっさの判断で、彼の奥さんCherlyが今夜ショーに来ることになってるので、まずHollywoodへ寄って忘れ物を受け取ってからこっちへ来て貰うことに。ホントにPerry夫妻抜きじゃお手上げでした!幸運にもKey ClubのマネージャーであるSkipの自宅の電話も分かっていたので、彼にクラブでCherylを迎えて貰うよう依頼。全てが計画通りに進んで、数時間後、無事ペダルボードはSan Juan Capistranoへ到着。ありがとう、SkipとCheryl!

サウンドチェックの最中に、照明が原因で音響の方に入ってくるノイズのことで、照明の係と議論に。(彼等は決して照明が原因とは認めませんが、実際は殆どの場合、それが原因)サウンドチェックを済ませてホテルへ。前夜あまり寝ていなかったので、昼寝をして、その後ツアーの収支のまとめを。

音響担当のChrisは会場に残って機材を見張っていたのですが、僕に電話をしてきて、最初の前座バンドはSynapseという名の、薄くなりかけた頭からまばらな長髪を垂らした中年太りの一団で、ScorpionsやJudas PriestやUFOのカバーをやること、そしてこれほどCGTにとって最悪の組み合わせは無いことを伝えてきました。すぐにSteve Ozark(訳註:CGTのエージェント)に電話をかけてこの前座の件を話しましたが(僕らは基本的に前座は断っているのですが、今日は例外でした。)その後、前夜のロスでの大成功も伝えておきました。数分後にまたChrisがかけてきて、Synapseは照明係と酷い口論になり、その後自分達で内輪喧嘩までして、結局ショーをキャンセルし、機材を片づけているとのこと・・・。ああ、良かった!

Chrisの話では、もう一つの前座バンドMoistureは、ちょっとHootie and the Blowfish的サウンドのグループで、地元では人気があるらしく、実際この晩のショー全体として良い結果を生んでくれました。我々CGT/TL/PMは9時35分にステージへ。この日も大変良い出来でした。ステージ上の音響は酷く、僕はモニター係に頼んで自分のモニター音量を思い切り上げて貰い(もしかして上げすぎだったか)ようやくギターが聞こえるという状態。ステージの左側、Bertのすぐそばに、ショーの間中わけの分からないことを叫んでいる男がいて、僕らは無視してましたが、他のお客さんは可哀相に思ったのか、彼を面白がっていた人もいたようです。ショーの締め括りの「Heart of the Sunrise」はまたもやパワフルな出来映え。これが最後のショーだって事が残念です。ようやくこのメンバーで勢いが付いてきたという感じなのに。

僕らの友人、Swindler兄弟(MarkとLee)がこの二晩のショーを聴きにDetroitから来てくれていました。今夜のショーの後MarkもLeeも、他の友人達と共に機材の積み込みを手伝ってくれ、それが終わっと後、そのまま駐車場でMarkがみんな(運転手役以外)に一杯ついで回って、ツアー終了を祝って乾杯!その後トラックとバンに乗り込んで、Long Beachの「下宿屋Perry」へ向かったのでした。

2月3日(土)

午後4時、Hollywoodのサンセット大通りを走っていると巨大な電光掲示板にCGTの写真が写っていて、そこが会場のKey Clubだと分かりました。ここで演奏するのは初めてですが、スタッフ全員が機材搬入を手伝うために待ち受けてくれていたのにはビックリ。なんと素晴らしいクラブ!音響システムも優秀だし、経営陣もスタッフも最高です。

ロスでの公演は、どうも当たりはずれがあるようです。前回House of Blues(Key Clubからは数ブロックしか離れてません)で演ったときは、200枚弱しか切符が出ませんでした。Key ClubはHouse of Bluesより小さいのですが、それでもお客が入るかどうか、心配していました。開場は6時半の予定でしたが、クラブの、チケット情報や予約状況の入ったコンピュータに問題が起きて、結局開場が7時15分まで遅れました。その頃には歩道に1ブロックほどの列が出来ていて、8時に僕らがステージに上がったときには完全に満員になっていました。

前夜Patは、ショーが日本の琴の曲「六段」で始まる夢をみたそうです。それでこの晩Key Clubでは、その夢を実現しようじゃないか、ということになりました。5人全員でステージに上がり、PatとTonyは沈黙したままで、CGTが「六段」を循環奏法で弾き始めます。これでお客さんの注意が集中しました。それから僕がおもむろにスライドを取り出し、大音量で「Train to Lamy」を開始。この日は歴史に残るショーになりました。僕が今までにやったロス公演の中では最高ではないでしょうか。今回のツアーの中でも最高のものの一つです。音響も素晴らしいし、お客さんは最初から最後までずっと集中してくれいて、ワオ!ホントに別の次元へ飛んでいったようなショーでした。CGTのキャリアの中でも一つの記念碑になるようなショーだったと思います。

う〜む。僕はすでにCGTダイレクト・コレクターズシリーズ「Monday Night in San Francisco」に続く第二弾として、「Saturday Night in Los Angeles」はどうか、と考えたりしています。でも一度テープを聴き直してどんな感じかチェックしてみなければ。素晴らしいライブショーが常に良質な録音を意味するとは限らないですから。

ショーの後も、僕らがCDにサインしている間、会場スタッフはChrisを手伝って機材の搬出をしてくれました。そこまで急いで機材を片づける理由は、この後、このクラブがボンデージ・ケージ(訳註:ボンデージ風衣装の女性が入る檻?)まで備えたフェティッシュ・ディスコに変身するからでした。

機材が全部トラックに積み込まれてから、Patの機材の一部を明日楽器店に返さねばならないことを思い出したのですが・・・そんなときに限って荷物の山の一番下に入っているのです。CGTの友人、Richard Violaの手伝って貰いながら、トラックの荷物全部を一旦降ろし、そしてまた積み直したのでした。

Friday 2nd. February, 2001

Photo Shoot for Washburn Guitars

HollywoodでのWashburn Guitarの撮影会で

San Diego、午前0時:

昨日の朝、Hollywoodへ出向いてWashburn Guitarの広告用の撮影をしました。何時間かの間、いろんなポーズを取らされましたが、一番おかしかったのは、Bertと僕とで、まるで空から落ちてくるギターを受け止めるように両腕を差し上げている、という奴。この日撮った広告は近いうちに各ギター雑誌に掲載されるはずです。

撮影の後、僕らのお気に入りのメキシカン・レストラン「El Jarrito」で昼食。その後Long Beachへ戻って「Perryの下宿屋」で洗濯その他の所用を済ませました。このツアーで唯一のオフの日でしたから。

今晩はSan DiegoのBrick by Brickで公演。今までSan Diegoでやったなかで、最高のお客さんじゃないでしょうか。ショーは最初からやけにロックしてて、始まって2曲目で会場のパワーアンプがぶっ飛んじゃったぐらい。仕方なく数分休憩。その間に達人音響係のChris Murphyが何とか解決してくれすぐに再開することが出来ました。

インプロビゼーションも好調だったし、「Dance of Maya」は凄く熱くなりました。

僕の父と一番上の兄Randyが客席に。この街に来てるってことを聞いてなかったので、聴きに来るっていわれてビックリしました。

僕らのショーの後、あるDJスタッフがダンスパーティーの準備に取り掛かって、早く僕らに機材を片づけて外へ出してしまってくれと、やけに急かされました。僕らがまだお客さんと話したりCDにサインをしている間に、大音響のダンス音楽を鳴らし始めるんです。しかしクラブのオーナーのMaxは素晴らしい人で、DJの連中に僕らがサインをし終わるまで音楽を止めるように指示してくれたし、一晩中、色々と気を使ってくれて、次もここでやらないか、と招待までしてくれたのです。

Wednesday 31st. January, 2001

CGTLPM on stage at the Great American Music Hall

Great American Music Hallでの別ショット。Chris Florkowski撮影

午後4時15分:インターステート5号線。ロサンゼルスへ向かう。

丸一日ヴァンの車内。Santa Cruzから5号線へ出る途中、San Juan Bautisitaという小さな美しい街で、遅めの朝食と・・・アイスクリームも食べてしまいました!

夕べのSanta Cruz のPalookavilleでのショーは面白かったです。いつもより随分のんびりした感じで・・・もしかしたら客席の上に渦巻いていたマリファナの煙のせいかな?(いや、あれは音響係が吸ってたのかもしれない。)僕らはこのツアーで毎晩インプロ曲を2つやってましたが、夕べはそれらが新しい方向に進んだ気がします。ステージ上の音響は酷いもので、ギターはキンキン鳴るし、ドラムはブーミーだし、Tonyのベースは何を弾いてるのか分からない。それでも合図がうまくいったことや演奏の正確さから言えば、いいショーのほうに入ると思います。

Palookavilleの元マネージャー、Dave MorrisonはTonyの大ファンで、今回も照明の手伝いをしたり、僕らが不自由していないかと世話を焼いてくれたりして、素晴らしく気を使ってくれました・・・しかも照明もばっちり。

それに比べて、この会場の音響係は、よくまあそこまで、っていうほどの感じの悪さ!最初っからすごく非協力的で、まるで自分の仕事が嫌で堪らず、こんなとこには居たくないって感じ。サウンドチェックがちょっと押せ押せ気味だったのですが、まるで僕らを急かすのが自分の仕事だとでもいうように、まだちゃんと終わってもいないのに躍起になって早く切り上げさせようとするのです。サウンドチェックはミュージシ?ンがステージ上の音響に十分満足するまでやって、初めて完璧と言えるものです。(もちろん、ステージ上の音響が完璧なんて事は滅多にないんですが。)ショーの最中も、この係はモニターの調整卓を離れて、僕らの音響担当Chris Murphyの後ろに突っ立ち、しまいにはChrisのミックスに手を出してくる始末。これは絶対やっちゃいけないことで、音響担当者の間では、別のエンジニアのミックスに手をだすな、というのは何処でも常識なのです。

ショーが終わって、僕らが最後のお辞儀をしている間に、この馬鹿は早く僕らをステージから降ろして、お客を帰らせようと、大音響でファンキーな音楽を鳴らし始めました。Chris Murphyがボリュームを下げようとしたのですが、またこの男が元の大きさに。僕らがDave Morrisonに音を下げてくれるように頼んで、ようやくこの係の男も言うことを聞いてくれましたが。

Chris Florkowskiはここ3日間、毎日会場に来てはマーチャンダイズやその他諸々の手伝いをしてくれました。僕は彼女が自分の分のチケットを買って来ていたのを今になって知ったのです。前にも彼女には「販売テーブルの手伝いをしてくれる人は、僕らのスタッフの一員なんだからチケットなんかいらない」ってきつく言ってあったのですが。

Tuesday 30th. January, 2001

午後7時30分:Santa CruzのPalookabilleにて

今夜のショーのサウンドチェックを、いま済ませたところです。今朝はCupatinoにあ るアップルコンピュータ本社へ立ち寄りました。Tonyの友人が昼食に招待してくれて、 その後少し社内を案内して貰い、そしてApple Storeで何人かの社員を前に短いアコー スティック公演をやりました。僕は新しいチタンのG4ノート(今週発売されたばかり) に注目。こいつでCGTプロジェクトをハードディスク録音したらどうだろう、と思っ てます。

CGTLPM on stage at the Great American Music Hall

Great American Music Hallのステージで

夕べはGreat American Music Hallへ輝かしい凱旋。とにかく素晴らしい会場です。 バンドの紹介はPatricia Frippがやってくれ、ショーの後もステージ上でマーチャン ダイズのセールストークまで。彼女はホントにいつも楽しい人で、前向きなエネルギー とアイデアに満ちあふれてるって感じ。友達になれて本当に幸運だったと思ってます。

Monday 29th. January, 2001

Tony and the equipment truck

Cotati付近のMotel 6で。機材トラックとTony

crossing the Golden Gate bridge

ゴールデンゲートブリッジを渡る

午前11時19分:高速101号線からゴールデンゲートブリッジを渡りサンフランシスコ へ。

今朝はStephen Tilsonと一緒に朝食を食べる予定でしたが、落ち合う事になってたレ ストランが休業。仕方がないから向かいのガソリンスタンドで朝食代わりの軽食を買 い込んでサンフランシスコへ。

夕べのCotatiもなかなか良いショーでした。会場は街道沿いの小さな酒場で、長い歴 史を背負ってます・・・Bob Dylanが演奏したこともあるんです。ショーが始まる頃 にはお客さんで一杯だったんですが、スーパーボール・サンデー(訳註:全米プロフッ トボールのチャンピオンを決める試合)だったのに、これは凄い結果です。でも音響 システムが悩みの種。安物のモノラル装置で、アース回線のノイズが断続的にはいる んです。でもたとえ音が完璧じゃなくても、ま、ロックンロールだぜ、ってとこかな。 ベートーベンの第九番のすごく静かな部分でまたノイズが入ってきたんだけど、無視 して続けたらそのうち消えてくれました。

夕べはスライド奏法が異様に楽に感じられました。まるで何も弾いてない感じ。ギター を弾くって事の何割かは、ただ「解き放つ」ということなんだ、と再確認出来ました。

販売テーブルの手伝いにPatricia Frippが来て下さって、お客さんに向かって素晴ら しいCDの紹介をしたり、Park Perryと一緒に販売の手伝いもして下さいました。

Sunday 28th. January, 2001

Sound check in San Jose

San Joseの「The Usual」でサウンドチェック中のCGT - Mastelotto - Levin)

カリフォルニア州、Cotati

午後6時20分:日本食レストラン「Nagomi」にて。

昨日の朝は、9時半にVenturaを発ち、インターステート5号線を北上して、午後4時半にSan Joseに到着しました。ホテルでチェックインだけを済ませ、すぐにサウンドチェックのため会場の「The Usual」へ。CGTにドラマーがいなかった頃は、機材のセットとサウンドチェックを合わせても30分から1時間で済んだし、15分で済ませたっていう有名な話もあるんですが、ドラマーが入った今では、2時間から3時間もかかるんです。

Patのドラムキットはエレクトリックとアコースティックを割とシンプルに組み合わせたものですが、それでも全部セッティングして、それから全てのコードやマイクをチェックするっていうのは楽な仕事じゃありません。実際、今こうして僕が日本食レストランでヌードル(訳註:蕎麦か、うどんか、それともラーメンでしょうか?)を待っている間も、Patは彼の機材のセッティング中なのです。

「The Usual」の看板には『California Guitar Trio, Tony Levin, Paul Mastelotto』と出てました。また別の看板には、『CA Guiter Trio』。

「The Usual 」の経営者は前座を用意していて、彼等が9時から演奏を始めました。その間僕は殆ど最後までホテルにいたのですが、9時半にクラブに着いたときに、彼等に熱狂的なファンが付いてるのが声援で分かりました。CGT クインテットは10時ちょっと過ぎに演奏開始。会場は4分の3ぐらいの入りでした。最初は合図や展開を忘れたりしてちょっとまずい感じでしたが、お客さんは凄く真剣に聴いていてくれて、お陰で段々演奏に熱が入ってきました。今夜は何人か踊ってる人まで・・・やっぱりドラマーの効用の一つでしょうか。

今夜はChris FlorkowskiとMichael Fisherが販売テーブルでMark Perry を補佐してくれました。ChrisはHideyoの誕生日のお祝いにアップルパイを焼いてきてくれたのですが、う〜ん、これが食べるときでもまだオーブンの熱が残っていて、最高!

ショーの後で、Tobin ButtramtとMichael Fisherを誘ってホテルの部屋で一杯。Tobinは League of Crafty Guitaristsのツアーの時に僕やHideyoと同室だった人物で、みんなからは「Tobohead」とか「EL Tobias」、そして「Gustav」などの愛称で呼ばれています。MichaelのほうはCalifornia Guitar Trioの結成当時からのファンの一人です。彼は1991年にロサンゼルスで「The Buzz」という喫茶店を開いていて、僕らが結成して1年目、まだロスに住んでいた頃にそこで演奏したのでした。

Thursday 26th. January, 2001

今朝は10時45分にロサンゼルスを出発。マリナデルレイへChris Murphyを迎えに行き、空港でレンタカーを返却。PatとTonyが運送トラックで僕らを先導して、午後1時頃にベントゥーラに到着。

2時からVentura Teaterに機材を搬入し、サウンドチェックの準備。これが初めてのショーなので、設定に少々時間が掛かりました。その後のサウンドチェックでは、最後の試し弾きのつもりで、殆どの曲を演ってみて、午後6時半頃サウンドチェックを完了。無人の大きな会場で演奏すると、極端にベースが強く、跳ね返りエコーが多くて非常に聴きづらい音。Chrisはこれをなんとか補正しようと頑張って、サウンドチェックの終わり頃にはほぼ満足行く音になってました。

CGT/Mastelotto/Levinショーは午後9時開演。会場はとても満員とは呼べない状態で、900人のキャパのあるところに200人ぐらいしか入ってませんでした。でもベントゥーラでは初公演ということを考えればこんなもんでしょう。ロサンゼルス・タイムスのベントゥーラ群版に非常に好意的な紹介記事が出ていたので、その影響もあるのでしょう。少ないお客さんでしたが、とても熱心に聞いてくれたし、暖かい声援を送ってくれました。

ショー自体は実にに素晴らしい出来でした。もちろん完璧とはいきませんが、 ツアーの初公演としては非常に良い感じです。Patも殆どキューを暗記していて、全体としては素晴らしい演奏でした。Tonyは凄くロックしていて、お陰でショー全体の迫力が数段階アップ。最高のスタートが切れました。

明日はサンノゼまで長い移動が待ってるので、そろそろ休みます。

Thursday 25th. January, 2001


バースデーケーキを持つHideyo

今朝、Markにトラックのレンタル会社まで乗せて貰い、ツアー用に小型の運送トラックを受け取ってきました。それに乗ってスタジオ向かい、正午に他のメンバーと合流。一時間ちょっと新しい曲を練習し、少し休んだ後、ショーの全曲目を通しで2回演奏してみました。2種類のセットを試してみたのですが、明日の第一回目のショーはこれで行く、と納得できるセットは決められませんでした。音楽自体はまとまってきています。TonyとPatが一緒になると、CGTの密度とエネルギーが数段階跳ね上がる気がします。

午後7時頃、リハーサル完了。その後全機材を運送トラックに積み込みました。

今日はHideyoの誕生日です。5人のメンバーとMarkとCherylとで、お祝いに「Wasabi」という名の日本食レストランへ。ここはいわゆる、お客の前のグリルで熟練シェフがリズミカルに料理パフォーマンスを見せてくれるタイプの店で、シェフは海老を跳ね上げて僕らに口で受け止める、という遊びを演ってくれました。(TonyとCherylは遠慮してましたが。)僕は鼻にあてたり、おでこにあたったりした後で、ようやく口でキャッチしました。店は物凄く騒がしくて・・・音楽も喧しいし、お客も騒がしいし、ウエイターの一人は僕らに怒鳴りつけてる感じがしたし・・・有り難いことに食事の方はすごく美味かったですが。Markの家に戻ってから、Hideyoの為にハッピーバースデーを歌って、願い事の叶うローソク付きのチーズケーキをプレゼントしたのでした。

Wednesday 24th. January, 2001

今朝、リハーサルスタジオへの道中、710号フリーウエイで停滞。分離帯でトラックが転覆して、両方向の車線を塞いでいました。たった4マイルほど行くのに45分掛かる始末。結局スタジオへは2時頃に着いて、すぐにリハを始めました。

今日は素晴らしいリハ。新しいレパートリーが大きく前進。昨日の時点で諦めかけていたある新曲が、突然ちゃんと音楽らしく鳴り始める。Patのドラムループを元に幾つかのアイデアを発展させたりも。今までのCGTの音とは全く違った感じの物。非常に面白かった。

スタジオからの帰り、またもや710号で大渋滞。7時間前の事故の片づけをまだやっていた。

Markが「下宿屋Perry」で(訳註:現在彼等が滞在しているMark Perry氏の自宅のこと)みんなのために凄く美味しい夕食を用意してくれた。

明日は大変だ。リハーサルの最終日だし、それを終えてからレンタルのトラックを受け取って、機材を積み込む仕事が待ってます。さあ、そろそろ休もう。

Tuesday 23th. January, 2001

PatとTonyを交えての最初のリハーサル。Mark Perryの運転でPatは早めにリハーサルスタジオ入りしてドラムキットをセットする。BertとTonyとHideyoと僕は午後になってから到着。2時半ごろからリハーサルを始めた。ウワオ!CGTとTonyとPatのサウンドはばっちりだ!駆け足で今までのCGTスタンダード曲を試し、それからMahavishnu のDance of Mayaとかの最近のレパートリーをやったのですが・・・よっしゃっ!この曲はドラムが入って、当然のように素晴らしい出来になりました。

何時間かのリハの後、ちょっと休憩ということでみんなで車に乗り込んで、コーヒーショップを探しに出たんですが、このリハーサルスタジオは倉庫街のまっただ中にあるので、何マイルも走ってようやく「Norms」レストランを見つけることが出来ました。

その後リハーサルスタジオに戻ってみると、他の何組かのバンドがやって来ており、大音響を出しています。僕らの片側はパンクバンド、反対側はヘビメタバンドで挟まれてしまいました。そこそこ防音対策の出来たスタジオなのですが、あの連中の演奏の音と来たら!こっちのスタジオに漏れてくる音で、僕ら自身の演奏が聞こえないぐらいなんです。外の廊下の音はもう圧倒的。大音響を題してるバンドが少なくとも5 組みか6組はいるのが分かります。そういう状態で2時間ほどリハを続けましたが、ますます喧しくて絶えられなくなったので、今夜はこのぐらいにして、 また明日ということにしました。

Taco Beachで夕食。ここで食べるのは、先週から数えてもう4回目ですが、まったく飽きが来ません。

Monday 22th. January, 2001


Washburn社のブースで。Don Huckleberry 撮影

今朝ようやく、ツアーに関する日程変更だのホテルの予約だのといった、細々したことがほぼ片づきました。明日からリハーサルということを考えると、非常に有り難いことです。現在cgtrio.comに出ている公演日は全て確認済みで、約束できますが、サクラメントだけは例外。Jon Lybrook(訳註:cgtrio.comのウェブマスター)に言って、削除して貰わねばなりません。

ロサンゼルスへやってくるのに、Patの便はテキサス州ダラスで一旦足止めをくいました。Patの話では離陸直後、機内に何かの燃える臭いがすると思ったら、機体が大きく傾いて、そのままダラスへ後戻り。緊急脱出に関する説明まで聴かされ、着陸時には消防車や消防隊員が出動して待ちかまえていたようですが、幸運にも大事には至らず、Patは次の便でロスに到着できました。

Patの奥さんから彼が遅れるという連絡が入ったので、飛行機会社に確認したところ、多分この便で到着するのでは、という程度の事しか分かりません。僕はMarkと空港へ向かったのですが、途中楽器店で細かな備品を買い込んでそれからRock it CargoでPatのドラム機材を積み込んいたら、Patのほうは僕らの予想より早い便に乗れてしまい、結局ロス空港で一時間以上を僕らを待つはめに。

夕食時にはPatとBertとHideyoとTonyとMarkと僕とで、ギリシャ・レストランで素敵な食事を。ツアーの開始を祝して乾杯も。新バンドのメンバー5人がやっと一部屋に揃って、気分も最高。今回のツアーに向けて気分が盛り上がってきました。

一時間ほど前からWashburnのNVギターを調節して準備しています。Trioは今回のツアーでNVギターを使うことになりそうです。さあ、もう寝る時間。

この翻訳は、CGTのPaul Richardsさんの許可を得て掲載しています。
快く掲載を認めて下さったPaulさん、 どうもありがとう!
この翻訳は、クラブメンバーの深谷源洋さんによるものです。深谷さん、どうもありがとう!

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