Tony Levin's
'Road Diary' Archive

May 16, 1996 - Woodstock, NY

ハイ、また会えたね。

今週からキング・クリムゾンとのリハーサルのため、ボルドーに行きます。 毎週書けたらいいなと思ってるんだけど、ヨーロッパでうまく繋がるかどうかわからない。

クリムゾンのツアーはボルドーのル・クラカトアからスタートします - そこはぼくたちが練習するのに最適だから。というのは、ぼくらは古い曲 - 精神異常者を - を復活させようとしているのです。 以前にもリハーサルをやってみたけど、このときは実際に思ったほどの出来にはならなかった。 ベースパートは殺人的なので、この曲をやるにはたくさん練習を重ねないといけないのは分かっているしこれをFunk Fingersでやろうと思っている。 これはまるで監獄のようです!

ぼくはクリムゾンのツアーが東ヨーロッパから始まるのをとても喜んでます。と、いうのはこれまでそこであまりやったことがなかったし、ぼくらにはとてもいい機会だと思ったから。 ツアーの途中、2日休みがあるけどぼくはIvano Fossatiのイタリアツアーに参加する予定 - だからとても忙しい!でも、彼のアルバムのために我々がやった2、3の曲はスティックとヴォーカルだけのものなのでとても楽しみ。

Crimson Valet - ロード中にカプチーノを作る ロードケース - はまだ出来上がらない。金曜日には出来上がらないとパニックになる。 ぼくの荷物を船便で出してしまうので。ぼくはこのsiteのための写真を撮るつもり。ロードに合わせるのに気の狂うような忙しさ。例えば、Funk fingersをちゃんとした製品にするためにロゴを入れたりもっと質をよくしたり。ぼくらはFun fingerの先端をゴムで包むことに決めた。それで、ぼくが町を離れる前に準備を済ませておきたいと思っている。ぼくが見つけた素材に漬けるところにはいたくないと思っている。なにしろひどい臭いでめまいがおきそうだから。それから、ぼくのパワーブックをロード前に取り戻さなくてはならない。前のロードで壊れて何週間かコンピュータなしで暮らさなくてはならなかった。これ以上耐えられない!

ぼくはトロントのフラメンコギタリストJesse Cookとの録音を済ませたばかり。今週はPaula Coleのセカンドアルバムの仕事をしてます。

ツアー用のNS アップライトベースの調達と近くのRetrospec製のコンプレッサーを調整しおわった。 Music Man anniversary bassももうすぐできそうだけどギリギリで船積みには間に合いそうにない。
それじゃ、また。


May 28, 1996 - Bordeaux, France

ボルドーからこんにちは。

キング・クリムゾンのTHRaKaTTaKツアーがとうとう始まります。 ぼくらは先週末に到着して、ル・クラカトアでリハーサルをしてます。今夜はウォーミングアップショーをこの小さなシアターでやります。ぼくたちのホテルは幸運にもダウンタウンにあってシアターがあるような郊外じゃなかったので、大事な朝のコーヒーやヘラルド・トリビューンや写真屋さんにありつけます。でも昼から9時までずっとシアターで仕事してました。

ぼくたちは”21世紀の精神異常者”(70年代の、僕たちメンバーのほとんどがいなかったころのとても難しいナンバー)をレパートリーにつけ加えました。どういう風になるかわからないけど今夜これをやる予定。それから、Waiting Manも新しい曲と一緒に復活させて今後やる予定。

できあがったTHRaKaTTaKを見たら、ぼくの焼けた小屋の写真が使われているだけじゃなくて、中の小冊子にツアー中のコーヒーステーションのCrim Valetの青写真が載っているのを見つけた。Crim Valetについていえば、船便で着いたとき壊れていたんだけど、ぼくのベース・テクのMicheleが直してくれて今は素晴らしい働きをしてくれています。バンドはこれでヒヤヒヤした。

新しいCDが出たときの問題は、バンドが2、3百枚のCDにサインさせられること。 今回は中に入っている小さなポスターにするのだけど、楽屋は狭くてごった返していて無理。それで、ぼくたちはシアターの長いテーブルに移動してやったんだけど、全部済んでない。 彼らはツアー中これをやらすつもりじゃないだろうね!

ぼくは家から離れた生活に慣れようとしている。もっと書く時間がとれればいいけど、インターネットへの接続は難しい。(ぼくは各国仕様の電話コネクターを持ってない。) 朝はぼくの本を書く時間を作りたいし、スケッチ板も持ってきた。 明日ぼくらはマドリッドへ飛ぶ。で、はじめてのオフ。
じゃ、また。




P.S. ショーのあとで追加:ショーはとてもうまくいった。エイドリアンが21世紀の精神異常者をやるのはこの22年で初めてだ!とアナウンスした。あとで楽屋でくつろいでいる時に、誰かがエスプレッソコーヒーをいれた後始末をしなくちゃならないんだと実感した。 しかも、それがぼくだってことをね!


Jun 6, 1996 - Warsaw, Poland

ワルシャワからハロー。このツアーは全くうまくいっている。- ドイツでもスペインでもフランスでもショーはみんな大歓迎された。リヨンではぼくたちはとても古い街の中心にあるクール・デス・ロゲスに滞在した。ここは素敵だ。ぼくたちはショーのなかで小さな不幸に出会うんだけれども、もっとも特筆すべきことはドルトムンドでのことだった。ぼくのセットリストには最後のアンコールの曲目はVrooom Vrooomだと書いてあったけど、バンドはVrooomをやっていた。この二つはまるっきり違う のでぼくは違うベースが必要だった。間違ったキーでぼくはオロオロになりベースを替える決心をするまでファンブルしてしまった。将来、ぼくらの最悪N.G.集の"Brown Album"に収められることを期待するよ。

昨夜はすごく暑いテントの中でのムシムシするショーだった。今朝目ざめたぼくはメイドにカギをかけられて部屋に閉じ込められたことに気づいた。あわててメガネをかけて鍵を探し回らなくてはならなかった。 チェックアウトのとき、ぼくは支配人に、これはぼくには大したポリシーだとは思えないね、と話した。

ぼくは誕生日にはあまりパーティを開かない方なんだけれど、ポーランドに今日飛び、ホテルの部屋で5つの電話インタビューとくれば、これはあんまりお祝いにはいい方法とは思えないね。 ホテルに着いて、Bulls対Sonicsの試合の最後5分だけ見ることができたけど、ドイツ語なのが面白かった。 バンドのみんながぼくをディナーに連れて行ってくれることになっている。願わくば、我らにいくばくかの楽しみのあらんことを。

面白いカードが部屋に。”このホテルは環境にやさしいホテルを目指してますので、多量の洗濯物が引き起こす公害から自然を守ることにご協力下さい”。ふーーーーーむ。

ディナー後の追記:インタビュアーは2人電話してこなかった。ぼくたちはワルシャワの中心で静かな夕食を食べた(おいしいボルシチだった)あと、ジャズクラブに行ったけど閉まってた。 彼らはまるで巡業に出てるロックバンドみたいにワイルドだぜと言った。このロックバンドじゃないやつのね!
じゃ、また。


Jun 19, 1996 - Budapest, Hungary

ブダペストでのびしょ濡れフェス - 今ちょうど野外のショーを終えてステージを降りたところ。 この夜は早くから雨だったので、熱狂的な聴衆はずぶ濡れで、僕たちの前座をやっているカリフォルニアギタートリオも演奏をとばされてしまった。雨は終盤には上がっていたけど、ツアーの東ヨーロッパの終わりに向けてぼくたちははしゃぎ回ったステージだった。ワルシャワは素敵だったし、プラハはなんともいえずきれいな町だった。ドイツのチェムニッツやスロバキアのプレソブは....まあ、聴衆はみな熱狂的で、楽しかった。

ぼくたちは次週のイタリア公演が近付いて、エキサイトしている。ぼくはもっと楽にオンラインできることを期待してる。それから、ちゃんとした食事をとりたい。

ハンブルグに戻ってみたらP. Gabrielから素敵な誕生日の花束が届いていた。ホテルに置いていくのはもったいないくらいだったので、ぼくはバスに持って入った。翌日気がつくと花瓶が倒れていてラウンジバスのシートを当分乾かない程ズブ濡れにしてしまった。しばらくの間そのシートに座った人はPeterの親愛の情を思い知らされることになった。その花束は厨房にあると知らされた(たぶんバスの運転手のトニーがコックにあげちゃったんだ)。彼らはまたまたどうやってそれを運ぼうか思案することだろう。まさに贈り物は人から人へ贈られ続けていくもんだよね!

じゃ、また。


Jun 28, 1996 - バンドはブリュッセルに向けてハッスルする

イタリアのショーは全部終わった。 最後のピサでのショー以外は全部野外のしかも雨のショーだった。 リグナノのショーでは特にびしょ濡れで風が強く、ショーが進むにつれて段々雨足も激しくなってきたので、最後のアンコールのRedではギターがずぶ濡れなので、互いに目くばせして一部ハショった。 (そこでのホテルの名前:ホテル”悲壮”) しかしまあ聴衆はみな熱狂的で、殆どは大体いいショーだった。

ぼくの愛娘がミラノからツアーに加わった。11歳の目を通して見るとクリムゾンのツアーは凄い眺めだろうと思う。

ミラノでは、ぼくらのかつてのお気に入りのレストラン、ラ・タンパ(今はテンチットになってる)を見つけた。今23歳のウエイターは、彼が9歳の時(1982年)に家族と一緒に食事に来てたときにちょうどわれわれもそこに居合せたことを覚えていた。

ちょっと珍しい交通事情をナポリで見かけた。ぼくらが数えた73台中49台までがフェンダーがへこんでいるか、無かった。ぼくたちのバスがこの町から出て、ローマの中心部にたどり着くのはちょっとした 苦労だったよ。

ローマではカフェ・アンティコ・グレコ - ローマで一番古いカフェ - の近くのピアッツァ・ディ・スパーナに滞在。ぼくの記憶では、ここのクレイ・テニスコートでここで初めてのギグをやった。

ぼくにとって最高だったのは。ピサでの素晴らしい天候と眺めの中でのショーだった。 それからぼくは1日抜け出して、ミラノのはずれのボラートにあるヴィラ・アルコナッティでIvano Fossatiとのスペシャル・ショーをやった。

今仲間のところに戻ってヨーロッパツアーの最後のショーをやるところ。 ぼくたちは少し旅行に疲れてきてるけど、勝負はまだまだ。

じゃ、またね


July 14, 1996 - ツアー中断(なんじゃこれ?)

クリムゾンのヨーロッパツアー最後のロンドン公演は最高だった。Shepherd's Bush Empireは前にやったことのあるAlbert Hall よりは良い場所のように感じた。聴衆は大変熱狂的だった。 カリフォルニア・ギター・トリオは残念ながら最後のギグはなかった。ロバートがオープニングにサウンドスケープを演奏したから。


ペンブリッジホテルは私の娘のお気に入り。というのは、スペンサー(右の写真)と チャーチルという2匹の猫がここを自分の家だと思って住んでいるから。

僕たちはロンドンでインターネット・カフェを見つけて自分のページをネットスケープでチェックした。今やこれなしではキビシイみたい。

帰りの空路は最悪で、ニューアークの上空を1時間ばかり旋回したあげくJFK空港に着陸し、2時間座って待ったあとニューアークまで30マイルの飛行にまた1時間。全部で12時間かかってしまった。

先週アンクル・ファンクとのギグを自宅でやって、新しいスティングレイ・ベース をチェック、出来は最高。 それからイタリアへ(ニューアーク出発が雷嵐で2時間遅れ)Ivano Fossatiとの3回のショーのため出発。彼らはすごく非クリムゾン的な音楽をやる、いいバンドだ。 Parmaでのショーは、美しい街の中央のドゥオモ広場で行い、Ferreraでも同様に街の中心での野外のショーだった。Padovaでの3回目のショーのあと、翌日発つのが早いので北イタリアからミラノへ国を横切らなくてはならなかった。ホテルに着いたのが 午前3時で、マイケル・スタイプ、トム・バーレインとパティ・スミス・バンドからの ミュージシャンがカフェを探しに外へ出ようと僕を誘ったけれど、パス。僕はもう歳だし、2時間ほどは眠りたい!

帰りの空路は、驚くことにはハリケーンが近付いているというのに遅れなくニューアーク到着。でも荷物が出てくるのに1時間15分かかった。ニューアーク空港は最近自分の家じゃぁないかと思えてきた。(9月にはもういっかいIvanoとの為に行く予定)

じゃ、また。


Aug 6, 1996 - メキシコからコンニチワ

休暇を終えてクリムゾンとのロードに戻れてよかった。

ぼくたちは初めてのラスベガス公演にやってきた - Hard Rock Hotelはクリムゾン向きの場所じゃないね(ロビーにはロックンロール・テーマが流れていて、スロットマシーンのレバーはギターネックになってた)。でも、ショーはまあまあだった。ホテルのぼくの部屋にはウッドストック・フェスティバルの写真が壁にかかってた。 恐ろしく暑いここから、涼しい霧のサンフランシスコへ。バークレイとL.A.のグリーク・シアターはいつも楽しい。いい音響でいい聴衆もいるから。

ぼくはバンドの他のメンバーより1日早くメキシコシティーへ行って、うろうろした。ピーター・ガブリエルと以前ここで公演をやってぼくは知ってたけど、ここの聴衆はとても熱狂的なんだ。 クリムゾンはこれまでメキシコに来たことがなかったので、熱烈に歓迎されてるようだった。 劇場の外ではブートレッグの露店が長い列をなしてて、ぼくたちは全部冷やかして歩いた。 面白いTシャツを見つけた。ツアーの日程が間違ってプリントされてた。(Noblesville IndianaとGuadalajara Mexico)ぼくは面白いキング・クリムゾンのキーホルダーとショットグラスとTシャツを買った。そのTシャツには"THRaKa TaCK"って書いてあった。

エイドリアンはメキシコの最初の公演で半分ほどしか音が出なかった。3回目のショーではときどき全く出なくなって、結局MIDIなしで終わるしかなかった。 これは電圧の問題だろうと思う。

モントレーは夜ぼくたちが着いた時にはダラス対カンサスシティのゲームで浮かれていた。 ホテルにいたフットボールファンは夜通しロビーでパーティをやってたらしい。今日ここはとても暑い - ぼくはフットボールの選手じゃなくて、ミュージシャンでよかったと思った。
(8月8日)カンサス・シティから追記:ぼくたちはHORDEツアーに参加した。 バンドにとってこれまでと全く違って1時間だけのセットになり(ぼくらはサウンドチェックだけで時々それ以上かかる)、5時に会場にはいる。聴衆はフェスティバルに来ているのであって、ぼくたちのファンだけじゃない。今日のショーではこれまでクリムゾンみたいな音楽を聞いたことがなくて呆然としてるような顔を沢山見かけた。それでもいくらかはお気に入りという人もいたけどね! ステージ裏ではたくさんのクルーが何トンという機材をセッティングしているのを見かけるけど、ぼくたちはエスプレッソマシーンを運ぶ クリムゾンの従僕だけしか持って来てないのさ。
じゃ、またね。


Aug 20, 1996 - HORDEについて追記

ショーはうまくいっている。だけど、ここ2、3日はぼくらの開演時間が変わった。 N.Y.では朝電話で5時開演だといわれた。スケジュールでは3時半になってたけど。 ぼくは早めにランダルズ島に着いて、スケジュールがまた変わっているのが分かった。 ぼくらは3時にやるって! ロードマネージャーのスタンは、この大変な問題をぼく に何とか伝えようと四苦八苦していた。サラトガでは、5時だと思って運転していたらぼくらのバンドバスが見えて、横に並んで走ってきて、スタンがぼくに3時50分に変わったよ!と叫んでた。あ〜びっくりしたよ。一体ぼくは今度時間がかわるのをどこで知ればいいんだろう?何人の人達が公式の時間にはぼくらの出番がすんでしまってるって知るんだろ?

ぼくは、兄の サイトを楽しんでいるよ。- ザ・クラムスというぼくらの古いバンドがよみがえってくる・

ロチェスターという所で公式の催しがあって、話したと思うけど、9月にイーストマンスクールでぼくはセミナーに参加するんだ。9月27日だけど、ぼくはすごく退屈な(!)スピーチをすることになっています。

HORDEツアーでたくさんの写真を撮ったので、そのためのページを作るつもり。
メモ:8月23日のハーシーでのショーは、3時に始まる。
メモ:ボストンのホテルでふと聞いた悪口:Horrible(身の毛もよだつ)Old(古い)Refurbished(改装された)Downtown(下町の)Environment(環境の)。
メモ:ふと聞いたひどい天気の話:Hostile(敵意をもった)Overhead(頭上の)Rainclouds(雨雲)Dampen(じっとりと湿らせる)Enthusiasm(熱狂心を)
メモ:読者からいくつかのHORDEの定義が届いてます。それで、このページに載せました。

じゃ、またね。


Aug 30, 1996 - Woodstock

'96年のCrimsonツアーは終わった。最後のいくつかのショーはとてもいい雰囲気だった。 Merriweatherでのショーは事実ぼくたちのベストだった。これから冬までの間、ぼくたちはちょっと集まって曲を書こうかと計画している。来年の夏まではツアーはないことだし。

最後の東海岸での数週間で、ぼくは2,329マイル運転した。車のコンピューターは全部で平均時速50マイル時、総運転時間46時間だと教えてくれた!

1994年のCrimson再結成以来、僕はコンピューターにツアーの記録を録ってある。 僕たちは228,300人を相手に147回公演した。57日間リハーサルし、25日間レコーディングし、少なくとも34,581マイル飛び(ぼくはちょっとこの距離を更新しなくちゃならない)9,327マイル走った。

ここにこの期間の記録と出来事を引用してみる。

  • HORDEプロモーションの女の子達が僕たちの"Cafe Crim"でエスプレッソを楽しんだあと、僕たちに"Badass Coffee Beans"のギフトバッグをくれた。
  • 6/23/96の日記から:Naples.空港からのヒッデェ運転。エイドリアンのコンピュータが僕の頭に落ちてきた。 ぶっとんだタクシーでディナーへ。ロバートは可愛い子犬ちゃんではなかった。彼が2度も肉は抜いてくれ念を押したのに、やってきたピザにはハムとソーセージが両方とも乗っていた。ロバートはレストランの窓から、レストランから人が放り出された歴史的な事件に倣って、そのポーク版としてハムを放りなげた。
  • 6/22/96の日記から:イタリア、Ligano。長いドライブ、酷いホテル、強い風の中のサウンドチェック、雨のショー、終わりのRedの間ステージはずぶ濡れで楽器が濡れてしまい、短く切り上げ。
  • 6/19/96の日記から:バスでButapestへ。ホテルで4つのインタビュー。部屋には5分間だけ。ひどい雨嵐。ショーは殆どキャンセル状態。カリフォルニア・ギター・トリオはオミットされ、ステージ裏の警備員はおばあちゃんで編み物をしてた。ぼくは彼女の写真を撮った。
  • プラハでの6/17/96の日記から:"B'boom"の間にメンバーの一部はステージを降りて楽屋で飲物を。 Tonite,AdrianはThrakがはじまる時になってもステージに戻ってこなかった。後で聞いたらエレベータで1階のステージへのボタンを押すべきところを誰かが4階のボタンを押しちゃったんだって!
  • 6/13/96ドイツDortmundでの日記から:大きな公園の中の会場。ビルとエイドリアンはサウンドチェックのあと車でホテルに戻る途中、道に迷う。頭がオカしくなった運転手は4回も道を尋ねた。歩いて15分のところを結局45分もかかってしまったと。
  • 6/4/96,Mannheim:リヨンは去り難い。キャブの運転手は空港までのあいだバンドのメンバーのために旧いCrimsonのアルバムをかけてくれた。Frankfurtまでの空路、空港で3時間。1時間の陸路のあとMannheimのホテルへ。 アンコールは"Vrooom"のはずが、僕のセットシートには"Vrooom Vrooom"となっててまったくえらい目にあった。
  • Madridでの評:曰く”King Crimsonは圧倒的な電気仕掛けの高熱バーナーである...”
  • DailyYomiuri?の評から:”King Crimsonの公演は、もともとのファンの、 「どうやってあの音を出しているのか?」という疑問に答えるいいチャンスである””エイドリアン・ブリューは過去15年間でもっとも偉大なギター・ジプシーである...フリップは無慈悲な様子で腰掛け、... まるでおこりっぽい大学教授がじりじりしながら完璧な半熟卵ができるのを待っているように見える”
  • 4/29/95Time Out誌のThrak評:”7分間の不吉で誇張に満ちた無意味な演奏に始まり、結局はおおげさでしまりなく退屈な大言壮語に落ちつく...全てのこのような望みや約束は直ちにその息苦しくわびしい毒気がだらだらと続くことに飲み込まれてしまう
  • AustinAmerican Statesman9月28日号から:今週の6つの”わるい”こと:その4、'The Stick'この新しいベースのような楽器はフリントストーンに出てくるバンドででも演奏されそうな代物に見える。
  • ChicagoSun Times評:”レビンとガンをベーシストと呼ぶことは、その電気仕掛けの切株とかゴシック仕様の棒状のものゆえに、正しくないものと判断される”
  • BuenosAires Herald評、10/4/94:”...彼はまた、豊かな音を奏でる10弦のStickを演奏するが、これはまるで外宇宙からの怪物がそのペニスを出来得る限りに勃起させ、弦を張って演奏しているように見え、ムカツク”
  • Montreal公演評(フランス語)”...そして、彼は微笑んだ。そう、そう、微笑んだ。フリップは決して笑わない”
  • R.Frippは'One Time'に関して、”これについて僕がやったこと全てが気に入らない。しかし、やらなかったことは気に入ってる”
  • AdrianはRobertのソロの後の小節を始めるとき、”僕がRobertを見たとき、彼がしかめっつらしているときは確かに彼の手はネックの上の端にあって、そこからどこへもいきそうになかった...”
  • BillはBuenos Airesでのインタビューで:”バンドの中で、Patと僕は兵器工場の中を運転してるようなもんだね...無免許で”
  • Robertは同じインタビューでレポーターに向かって:”君は二つの質問をした。2番目の設問への返答は、noだ”
  • 8時間の板張りバスの旅行でBillがPatに:”O.K.Pat、ぼくらはこれで柔軟体操は済んだよ、ぼくはこれで変則3連符の演奏を体得できたね”
  • Robertは二人のファンから写真を撮っていいか尋ねられて:”結構ですよ、もし私が入らないのなら”
  • アルゼンチンのレストランのメニュー:”小さい脚のビネグレットソースあえ...マッシュド ポテト”
  • 日本の喫茶店のメニュー:”カプチーノ-シナモンの香りがコーヒーと程よく調和したイタリアンコーヒー、6,000円。ウインナコーヒー - 誇りをもって讃えられ、世界の全てのひとに愛され、飲み終わったとき3つの味を楽しめる、8,000円。”
  • Slovensko,KosiceのCobraホテルのパンフレットから:”見えはりのお客様でもサマーテラスにはご満足いただけるでしょう...Kosiceはまた冶金工業でも知られております。VSZ株式会社(East Slovak Iron Works)はSlovak最大の企業であります。”
  • ナポリのGrand Hotel Parkersにあった雑誌からパスタ料理の引用:”いつも中くらいの太さのスパゲッティを使いましょう。ダブルベースの弦のようなものはむしろ木こりの胃袋にこそ合うでしょう”
  • Mexico CityのCrowne Plaza Hotelにあったルームサービスのメニューから:”ベジタリアンサンドイッチ - アボカド、アルファルファ、スモークドチキン、茹で卵...”
  • Buenos Airesで、ポスター会社の人が僕らに向かってぼくたちのポスターを手でぶらさげながら”誰が王様?”

Oct 1, 1996 - Woodstock

さて、クリムゾンはあっと言う間にツアーが終わって、次の来年夏のヨーロッパ(たぶん)公演までの間、作曲にかかりきりになると思う。ぼくはTrey Gunnと近く合流して他のduo stuffと一緒にバンドを触発できるような曲を作りたいと思っている。ぼくたちはたぶん皆違う変奏を考えているだろうから、どう作り上げていくか見たいと思っている。

先週、ロチェスターのEastman音楽学校でスピーチをした。シンポジウムでは、将来の音楽教育についてのカリキュラムが含まれていたけれども、”含まれてない”(どう書きゃいいのか)人には退屈なだけなので、僕が行った15ページにのぼる講演内容を読みたい 人のために載せます。全く、人前で話すということは僕にとってチャレンジだったけど、母校に行くことはとても興味深いことだった。同級生のBob Ludwigはたぶん今世界一のレコード・マスタリング・エンジニアだとおもうけど、彼も講演をしていた。彼に僕が今作っている洞窟で録音したライブのミックスが終わったら聞いてみないかと持ちかけてみたら、驚いたことに彼も既に洞窟で録音したことがあって、ぼくらのエンジニアのTchad Blakeも、彼のステレオ録音技術も彼の好みだということだった。

ちょっと前にぼくがスピーチの練習をしていたら、もともとある顎関節症(よくある病気)のせいで殆ど1時間も話せないことがわかった。主治医のBuzzyは鍼(はり)治療と小さな磁石をぼくの手に付ける治療をした。そう、ちいさな磁石を。それも手に!馬鹿ばかしいようだけど、顎はガタガタいわなくなった。 信じざるをえないね。

ここ2、3週間のうちにPeter Gabrielと録音を始める。これについては、ぼくは勿論エキサイトしてるけど、彼と最近話をしていないし、どんな音楽がよいかというアイディアも持っていないし、どうなるかちょっとわからない。でもきっと楽しいだろう。


Oct 23, 1996

studio.jpg RealWorld Studiosからこんにちは。僕たちはPeter Gabrielの新しいアルバムの レコーディングに入って2週目になります。ここで最もエキサイトなものはレコーディングについてではありません(とてもうまくいってます)。エスプレッソについてでもない。 勿論これもすごくいいんだよ。(なぜかって言うと僕は自分のマシンを持ってきてます。 というのは、ここ数年RealWorldにあるじょぼじょぼオシッコするみたいなKruppsの替わりを買ってもらいたいと言ってきたんだけど・・・。今回僕が自分のSaecoを持ってきて彼らをびっくりさせようとと思ってたのです。この策略はうまくいったんでしょう。以来我々のセッションはたびたびこいつの回りに集まってます。他のスタジオの皆さんもまた訪れてきています。)

じゃあ、なにがエキサイティングなのかって?そう!一番エキサイティングなのはピンポンにまつわる話題だ! PeterとギタリストのDavid Rhodesはデモの録音中かなりピンポンをやっていて、二人ともすごくいいフォームになってる。それで最初彼らが僕とドラマーのManu Katcheに、終わりのないトーナメント戦に挑んできたとき僕らは全敗してしまった。でも、最近ではちょっとずつレベルアップしてきて今では互角になってるので、レコーディングのちょっとの休憩でも彼らに5点先取のゲームに引っ張り出されてる。 一番面白いのは夕食後で、僕たちはお互いに試合相手にしつこくワインのお代わりを勧めて相手の動きが鈍くなるようにしている。今日の出来事:今朝バスの町にこっそり行って新しいラケットを買った! 僕らのチーム(リズムセクション)は相手チーム(ミッドレンジセクション)に今夜のゲームを勝ったので彼らは今使っている古い擦り切れたラケットに絶望して町まで急いで買いに行くんじゃないかと睨んでいる。油断大敵。

(Update:概して夕食後の試合ではManuと僕は勝っているが、夜遅くの試合ではPeterとDavidが全勝している。ひいき目なしに見て、チャンピオンチームを決めるのは難しい。Woody Harrelsonが2、3日滞在して、凄いレシーブの才能を見せた)

コーヒではぼくらはとても恵まれている。:僕の優秀なテクのMicheleは、彼が住んでいるパレルモから3種類のエスプレッソブレンドを持ってきた。(僕はそのブランド名が気に入っている。:Tonaca di Monaco。これには豆の色からとったMonk's Tunicというのがある)僕はお気に入りのWoodstockの有機栽培の豆を数ポンド貰ったし、D.Rhodesは彼で好みの豆をバスにおいている。 本当にバラエティーがある中でMicheleが持ってきたシシリアの"Aromatica"が抜きん出て素晴らしいと思う。

RealWorldの中では、興味深いミュージシャンがいつもたむろしていて、ダイニングルーム(ピンポンルームでもある)を共有している。ある日の昼食時に、Soriba BouateがCora(彼のセネガルのハープのような楽器)にのせてセレナーデを僕たちに唄ってくれた。僕は彼にここでしていることについて尋ねなかったけれど、彼の演奏はすごくよかった! 僕はRealWorldのとても印象的なマルチメディアビルディングを探検した。彼らのWebサイトはとても素晴らしい内容で、(僕はここからリンクを張りました)2つの素敵なCD-ROMも作っている。そのうちP.Gabrielの新しいのが近く発売予定。

イギリスのクリムゾンのメンバーに連絡を取ろうとしたけれどFrippはオフでアルゼンチンへ、来週Bill Brufordに電話するつもり。

11月4日アップデート:ここでの仕事はとてもうまくいっていて、少なくとも20曲以上は終わった!(アレンジの為にうまくいったテイクを編集する仕事は残っているけど)ただひとつの災いは、コーヒーのいい豆を飲んでしまった!バスの街で良い豆をみつけたけれど、すぐそれも売り切れてしまったので渋々あまり良くない豆で我慢している。
昨夜のピンポンの’トロフィー’マッチで僕とManuは総合優勝して、巨大な400グラムのキャドバリー・チョコレートバーを獲得した(二人とも食べれない代物だけど)

ヴァーチャル・ワールドでは、パパベアページの為にワールド・ダイアリからの曲のサンプルと、ファンク・フィンガーのサンプルをファンク・フィンガー・ページの為に作っている。近々コーヒーに関する全ての道具のページを別に作るために工事中。



Nov 25, 1996 - Woodstock

ヒュ〜、また家に帰ってきた。P.Gabrielの音楽はすごくエキサイティングで、それが一杯!でも今僕は他のプロジェクトに焦点を絞っていて、彼が僕たちのリズムトラックをレコーディングしていた時の煮え立つペースを続けていてくれることを願ってる(もちろんピンポン休憩はない)(昼食とディナー休憩も)(そしてもちろんコーヒーブレークも)進捗状況には注意して、情報があれば書くつもり。

RealWorldスタジオを去ってから、ピンポンの禁断症状に苦しんでいる。 とはいえ、マイクケーブルの用事があって近所にある会社(ニューヨーク州SaugertiesにあるMarkertek)に立ち寄ったら、そこの彼ら全員がピンポンの名人であることを発見。昼食後の休憩や仕事後に試合をしているとか。試合をしないかと言ってくれたけど、賢明にも辞退したよ。

エンジニア/プロデューサーのTchad Blakeが来ていて、僕のCaveプロジェクトのテープの編集と一枚に纏める作業をやっている。この音響は素晴らしく 、ものすごく変わっている。今週にも作業は終わり、PapaBearレコードでCDを出す作業に取りかかることになる!アートワークももうすぐ仕上がる、というのも、ミキシングの最中に写真に手作業でペイントを加えているから。この方法は、うまくいけば、音楽がアートに影響を与えてくれると思う。このCDは春の後半に出したいと思ってる。(僕がなにかを定刻にリリースする時のトラックレコードは、すごく宜しくないけど!)このプロジェクトのレコーディングメンバーは、Jerry Marotta、Steve Gornそして僕で、今度の1月にアナハイムのNAMMショーでも1、2回コンサートで演奏することになってる(洞窟じゃないけど)

同じ1月には、Andy Summersとのレコーディングがありそう。これはSummersとドラマーのStuart Copelandとのトリオでツァーに出る準備となる。面白いことに、僕は本当にジャズは演奏しないんだけど、現在の計画ではユーロ・ジャズ・フェスティバルに出るということになってる。クリムゾンが5月に一緒に作曲をして、それから多分10月/11月にライブということになるだろうから、Summersのサマーツァーというのは僕にとって都合が良い。(ご他聞に漏れずこの計画は、ツァーやアルバムが本当に確かなものというわけじゃないので、あくまでもこの計画は見込みだということをお伝えしておく)

僕たちは、最近このページに登場することが増えてきているエスプレッソとそれに関連したことについてのコーヒー・コーナー・ページを追加しました。それに、World Diaryからリアルオーディオのサンプル:"Espresso & the Bed of Nails" もあります(もちろん)豆に関心のある方はどうぞ(あるいは、旅行に持っていくエスプレッソのロードケースのデザインのヒントが欲しいひとも!)

例年より早く、ホリデーシーズンがやってきたように思えます。僕のページのウェブデザイナーのDanと、PapaBearレコードの、たった一人の計り知れないほど貴重な従業員であるLaurieと、日本のミラーサイトをやってくれているJunichi とKeiko、それからこのページの読者のあなたに幸福と健康なシーズンが訪れますように。このサイトを訪れて下さることは、僕にとってこれまでも、そしてこれからもずっと喜びであり、名誉なことだと思います。それじゃ、また。



Jan 7, 1997 - Woodstock

こんにちは、そして明けましておめでとう。更新が遅くなりました。 家で作曲するのに忙しく、短いバケーションにも出ていました。 今週はAndy Summersのアルバムと、Terry Bozzioのアルバムと、そしてあの恐ろしいNAMMショーのため、L.A.に発ちます!

NAMMショーを知らない人のために書いておくと、NAMMは非常に大きな音楽産業の見本市で、すべての楽器とアンプメーカーが出展しており、主に小売店のバイヤーたちや、多くのミュージシャン達も訪れます。 立ち寄ることができる人のために、これはすばらしく、でも心底くたびれるものです。でも何人かのミュージシャン、たとえば僕も、ブースに常駐して(僕のケースではTrace Elliot)お客さんに挨拶したり、そして…ともかくそこにいるんです。 まぁ動物園のちっちゃい猿みたいに! 週末ともなれば、そこいらじゅうが動物園みたい。混雑で動けない! Traceのあたりをうろついたり、Music Manの友人を訪ねたり、Stickのブースに行く以外は沢山見たいとは思わない。いずれにせよ、Jerry Marottaとフルート奏者のSteve Gornとで、Taos Drumsの友人たちのために何回かショーをやります。 このショーは楽しみだし、L.A.でのアルバムについてもすごく楽しみで、良い作品になればと思ってます。

このサイトのアクセス統計にアクセスして、ぼくの変わったページへの控えめなリンクを眺めてみたら…まったく見られていなかった。多分控えめすぎたんだろう。ともかく、時間があるひとはこのページとファンクフィンガーページにあるアンダーラインされているところをクリックしてみてほしい。(興味深い例は、 "Equipment"のところの下の、'Trace Elliot Amps'のあとのピリオドをクリックすると以前に僕がデザインしたアンプの青写真が見られます。何故他のものと同じに行に入れなかったかは見れば分かると思うけど、でもまぁ見て和んでもらえればいいなとはまだ思ってます!) NAMMでは写真を撮って、ここに載せたいです。


Feb 3, 1997 - Woodstock

このところ本当に良い音楽を演奏している。2、3週前に、Andy Summersのジャズアルバムをやった。まったくうまくいったように思えた。今ミキシング中。それからロサンゼルスの別のスタジオへ移動して、Terry BozzioとSteve Stevensとのレコーディング。全くジャズとは別物。Steveのアンプの前に僕のデシベルメーターを置いてみたら…針が振り切れた! ここでは何曲かエキサイティングな音楽をやり、何曲かは驚いたことにアコースティク作品も。うまくいけば、春にリリースされる。

予定されていたAndy SummersとStuart Copelandとのツァーはキャンセルされた(これがロックンロールだぜ!)クリムゾンは4月/5月にかけて作曲をすることになっているが、多分10月/11月までツァーはなし。それも最小限のものになりそう。ヘイ、つまりようやく庭いじりの時間ができたってことだ。

Funk Fingersを使うベース奏者が出てきたのを見て、とても喜んでいる。アルバムの中で聞けるのが待ちきれない。ロサンゼルスのギターセンターを訪れて、そこでFunk Fingersを売ろうかとも考えたのだけど、規模を小さいままに保って、僕とFunk Fingersを使いたい人とが直接つながっている状態にしたいと思った。それで、通信販売のままにすることにした。

家に帰って、仕事の遅れを取り戻し(古い話)、"Cave" アルバムのパッケージのまとめをする。Bill Bruffordが町にやってきていて、Ralph Townerとレコーディングをしている。彼が仕事を終えたらずっと前から彼とやりたかったプロジェクトを始めるつもり。

CaveアルバムのエンジニアのTchad Blakeが、彼のバイノーラル録音についての 自分のサイトを立ち上げた。チェックしてみてください。

Paula Coleのアルバムがラジオからよく流れてくるようになった。知り合いが有名になっていくのは素敵なことだ!


Feb 12, 1997 - Woodstock - Update

僕の家族が増えた:元気でかわいらしいWestieの子犬。 月曜日に、HackensackのはずれにあるスタジオでPeter Mulveyの一曲で演奏したときSherlockを連れて行った。幸運にもPeterと彼のバンドは気にしなかった(写真を参照!)さらに幸運なことに、Sherlockは家にいるときよりもずっとオシッコを我慢してくれた。スタジオ犬になるために生まれてきたようだ!


Mar 31, 1997 - Woodstock

この一週間はBostonで、ここを中心に活動しているフォーク・シンガーのCatie Cutisのレコーディングに 参加していた。プロデューサーは、Roy Bittenで、80年代にPeter Gabriel のバックでしばらくピアノを弾いて いた。彼とはその後一緒に仕事をしたことはなかった。僕とCatieだけで基本的なところをレコーディングしてた のだけれど、すごくうまくいった。夏にはCDが出ると思う。

最初の2、3日は朝 Newbury通りをいいカフェを探してぶらついていた(ここにはたくさんあって、Starbucks は4軒も!)けど、結局 Caffe Royaleという店に落ち着いた。ここにはうまいespressoがあって、読み書きに とても具合がいい。

Sound Techniques スタジオにはいくつか部屋があって、週半ばに隣りのスタジオBから聞き慣れた曲が 聞こえてきた。それは、Peter GabrielのSledgehammerを、ボーカル・グループがアカペラでドラムや僕の ベースラインを再現しているものだった。彼らはTufts カレッジの、Tufts Beelzebubs ("The Bubs") というグループで、Web siteも持っていた!彼らが言うには、CDを自主制作していて、すぐにでも出したいということだった。

仔犬のSherlock をBostonに連れていくのは、スタジオ では問題ないとしても、ホテルの部屋では外に出たがって仕方ないのでちょっと考えてしまった。それで 僕のガールフレンドの Andiが一週間 New Yorkへ連れていくことになった。このページを彼の写真だらけに しないためには、彼のページを作るときがきたようだ!

今月の後半に作曲のためにCrimsonのメンバーと会うのを楽しみにしている。今年の残りはプランを検討して、 次回のアルバムに向かって進めればと思う。


May 2, 1997 - Nashville

Adrian and Ava Belew show us the studioKing Crimsonが次のアルバムの曲つくりのためにここに集まった。 今までのところうまくいっているし、いつも興味深いのだけれど、 皆と一緒に新しい方向を探すことは常にリラックスしてやれる課題ではないし、時々はストレスが大きくなることもある。

Robert(Fripp)はいくつかの素材を書いてきていて、彼とAdrian(Belew)とTrey(Gunn)はいくつか新しい音楽的な相互反応の方式を編み出してきている。 僕たちは全てをテープに録って、時々はドラマーの実験的なクロスリズムと’前三人’のロバート、エイド、トレイの線型のアイデアを分割したものを混ぜたりしている。僕はと言えば、ロー・エンドの雑音を自由に出している。

僕たちは大きなリハーサル施設で仕事をしているんだけれど、他の部屋からは 全部カントリー・ミュージックが聞こえてくる。僕たちのポリリズムの脱構築音楽 (polyrythmic deconstruction)の試みを聞いたら彼らがどう考えるか不思議な気もしたけれど、幸い、皆自分達のことだけで一生懸命でよかった!

僕は自転車を借りて、風が吹く悪天候のとき以外は朝乗り回すつもり。リハーサルのないときのためには、コーヒーのおいしい店(the Owl's Nest)や大きな本屋(Elder's Book Shop)を見つけてある。ここ何年も、Crimsonのツアーや、レコーディング、旅した距離、日数、ホテル情報--昨年からはホテルの電話の差込み口にコンピューターが繋がるかどうか、という欄と、うまいエスプレッソが見つかるかどうかという欄を追加した。きっといつか世界中の"Crimson cafe's"リストを公開するだろう。 いずれにしても、旅行用"Cafe Crim"を持ってこなかったので、ちゃんとしたエスプレッソがここで飲めるのは嬉しいかぎりだ。

今のプランとしては、曲を書いて、秋にはレコーディングして、春まではツアーは無い予定。これがどれくらいこの通り保つか見ものだね!


May 5, 1997 - Nashville - Update

The band - out for a drink at Loco Lupe'sリハーサルはうまくいっている。日曜に、バンドは午前中休みをとってAl Kooperの 家のヤード・セールに行ってきた。いくつかミキサーを買った。ギターは買わなかったけど。それから僕たちはAdrianの家とスタジオに行って、彼の今度出るCDと 彼のかわいい赤ん坊を見てきた。オフの仕上げは "Loco Lupe's" へ。 Robertはこれまでに見たこともない大きなマルガリータを飲んだ。 新しい曲がどれくらい使えるかはまだテープを聞いていないのでわからないけど、なかなか生産的な一週間だったと思う。でも、大体においてツアーの方が好きだね。


May 15, 1997- Boston - Update

printer.jpg今週前半はボストンに行き、今度出る"Caves of the Iron Mountain."のCDパッケージを作っているところを見てきた。巨大な機械がすごい仕事をしていてびっくり。旅行者みたいに写真を撮りまくった!カバーはすごく上出来だけど、パッケージにするためにはまだ他のパーツも印刷されなくてはならない。CD制作で一番楽なパートが音楽だというのは面白いことだ。


June 8, 1997 - Woodstock

このところ、Cave アルバム(とビデオ)の仕事に没頭していてこのページを アップデートできなかったのだけど、これは本当にうんざりするような仕事だ。 (中に入れる小冊子が僕のミスで違う色に仕上がってきて、望んだ色と大きく 違ってはいないのだけれど、結局それは僕のガレージにある。pantoneの72じゃなくて167の正しい色の方は出来上がってきている。それにしても、誰が一万部の 使い物にならない小冊子を見たいだろう。燃やすにはコーティングがしてあるし、 トイレットペーパーにするには堅すぎる

先週Paula Coleのニューヨークでのショーに呼ばれて行ってきた。素晴らしかった。Crimsonは10月をリハーサルと作曲の予定にしている。Bozzio Stevens Levin トリオは9月に日本での小さなツアーを検討中(Black Light SyndromeというCDが発売中(*)下を見てね)。Peter Gabrielは新しいアルバムの仕上げの続行中。僕はCave CDのプロモーションをこの夏に考えていたけど、Jerry(Marotta)が 夏の間中Indigo Girlsとの仕事でアウト。そして今、小冊子の色間違いで身動きが とれず、発売(**)までにパッケージがちゃんと仕上がるように奮闘してるというわけ。 もう一度、ベースプレイヤーでいることの方がレコード会社をやってるよりはずっと楽しいことを学んだよ!

Taosドラムスにいる僕の友達が、Papa Bearのマークに似せたペインティングをした特製ドラムを作ってくれた。素敵だ。


July 1, 1997 - Woodstock

イェイ!Cave CDとビデオが遂に完成した。ブックレットの色はちゃんと直ったし、パッケージは正しく印刷されてきちんと収まっているし、CDのアートワークはシルクスクリーンで綺麗に仕上がっている。ビデオのパッケージも正しく印刷できたし、 タイトルも出来上がって張り付けた。ポスターも印刷できて、全部送られてきたし (Markertekにいる僕の友達がいくらか手伝ってくれた。僕は彼の仕切棚を借りてる)アシスタントのLaurieはオーダーの受け付け準備が完了している。いやー、時間がかかちゃった!

Bozzio / Stevens / Levinトリオは9月に日本で公演する。ツアーの日程にはまだ決定していない部分があるし、この後でアメリカの日程も追加されてるけど、これはまだ予定。Black Light SyndromeのCDはまだ日本ではCDショップに売っていないと思う。ここにレコード会社へのリンクを張っておきます。彼らは多分知っているでしょう。でも、日程が分かったらここにアップデートしますね。

Crimsonのスケジュールは秋の終わりごろまで作曲とリハーサルをすることになっている。ロンドンでDGMレコードの主催でこの秋のリリースに向けての催しがある(9月13日)。僕もそのときはCaveCDをDGMからヨーロッパ向けに発売することになっているので行くつもり。Bill BrufordはRalph Towner、 Eddie Gomezが参加するアルバムのプレスリリースをそこでするだろう。他のリリースに関してはまだ知らないけれど、分かったらここに書きます。


Update - July 10

2、3日ニューヨークにいて、Eddie Jobsonと今度出すU.K.の仕事をしてきた。(既に前にJohn Wettonがバンドで歌っていて、ベースも弾いているんだけれど、 彼らは僕にStickとアップライトをひいてくれといった)素材はまだ完成には遠いけれど、なかなかいい出来だった。これまでブルガリアの聖歌隊と一緒にプレイしたことなんかなかった!面白かったのは西20丁目にあるBack Pocket Studioで、これまでスタジオの中で見たなかでは一番いいRancillioのレストランタイプが置いてあった。長い二日間中僕は数え切れないほどのコーヒーを、僕自身のためと、パリから来たフランス人のアシスタントエンジニアのTristanのためにいれてた。偉大なエスプレッソに感謝!


Update - July 21

しばらくシアトルにいて、ピアニストのDavid Lanzとレコーディングしている。ここのスタジオはとても変わってて、 郊外のちょっと田舎の方にあって、岩の中に組み込まれたようになっていて、外からはガレージのように見える。でも、中はゆったりとしている。オーナーの名前をとってBob Lang Studiosという。 Seattleでは、コーヒーは手近なところにあって(一番近いのは近所にある地元の郵便局)おいしい。でも、僕にとっていちばん素晴らしかったことと言えば、Davidが教えてくれた"Espresso Vivace"で、ここはこれまで僕が聞いたなかで一番まじめにコーヒーと取り組んでいるところだ。オーナーのDavid Schomerに会って、彼プロフェッショナルナのエスプレッソ・メーキングの本とビデオを買った。(一部を抜粋して"coffee corner" にのせました)うちに帰って仕入れたテクニックを試してみるのが待ちきれない。つぎのクリムゾンのツアーで、メンバーはこれの恩恵に大いにあずかれることになるだろうね。


Aug 13, 1997

しばらくアップデートしなくてごめんなさい。キャンプしにいってました(今時ときた日にはキャンプ地にまでピザのデリバリーしてくれるって知ってた?)。今僕は日本でのBozzio/Stevens/Levinツアーに向けて調子を上げてきているところ。 僕たちは大阪と福岡のBlue Noteクラブと名古屋のBottom Lineクラブでプレイします。できたら日本からオンラインでデジタルカメラで撮った映像をここに載せたいと思ってます。Caves CDは9月には日本でも発売になるので、少し宣伝もしたいと思っています。日本のあとは、ロンドンでDGM(Discipline Global Mobile record co.)でのCave CDのプロモーションイベントに出ます。9月13日は演奏し、インタビューに応えるといった形になると思う。そして、グループで演奏するよりもむしろソロでエレクトリックアップライトを演奏したいと思っています。これまでにやったことがないのでいいチャレンジになると思う。誰が演奏するのかわかって公になったならここにまたお知らせします。


Update - Aug 20

やれやれ、日本公演は中止になってしまった。既にチケットを購入して下さった読者の方には深くおわびいたします。今年遅くにはB.L.S.の公演が合衆国でできればと思っていますが今回のようなことがまたおきませんように!


Sept. 13, 1997 - LONDON

ロンドンのインターネットカフェから書いている。今ちょうどインターコンチネンタルホテルであったDGMのプレイバックイベントが終わったところ。 大成功だったと思う。僕のCDのリリースの準備が整ったと聞いたとき(From the Caves of the Iron Mountain)僕がニューヨークを発つ前だった、でも向こうではカバーは予定通りに印刷が終わってなかった。それで2、3百枚手持ちのCDから外して、それを持っていくことが出来たんだ!これを自分でやって、ロンドンに着いたときもそれを自分でCDに入れたんだ。良いニュース、本当に凄いニュースは、CDのメーキングビデオをCDに入れることができるということで(ここでは"Tales from the Widow Jane Mine"として別売されている)"エンハンスCD"になったので、殆どのコンピューターで20分ほどのCaveプロジェクトのビデオを見ることができる。全てのヨーロッパ発売のCDがこの形式になる。悪いニュースは、挿入されるブックレットが前にこっちであった色の間違いと同じ色だったこと! もし聞いてくれたら僕の手元にある10,000枚をあげられたのに。なお良いのは正しい色で印刷しなおしてくれたらいいのに。

さておき、イベントでは: 最初にミュージシャンたちがインタビューを受けている間、一般客は正午にインターコンチネンタルホテルの大広間に集まってきた。部屋にはコーヒーとクッキーと、沢山のDGMの商品が買え、ニュー・リリースの作品も買える。2台のコンピューターがセットされていて、あたらしくなったDiscipline ウェブサイトを見ることができ、僕のエンハンスドCDも動いていた。Tony Geballeがメインルームでソロギターを演奏して、人々が集まっていた。

全員が着席すると(多分600人くらいいたと思う)Tonyの新しいCDから2曲がかけられた。それから紹介なしに僕がステージに現れ、約10分ほど伴奏なしでベースを演奏し(何を演奏したかって?その時の即興だよ)"Caves" について少し話しをして、それからまた2曲ほどCDが演奏された。(ロンドンのBass Centerは親切にもNSアップライトを僕のために探しまわって、結局調達してくれた。プラハから!このイベントのためだけに、時間内に運んでくれたんだ) 次はBill Bruffordの番で、彼は沢山のことについてウイットに富んだトークをした。彼の新作についても。(もうしわけないけど、CDのタイトルがわからない。DGMのサイトで調べれば分かるはず) Billの後で、John Wettonが新しいCDの一曲をソロで歌った。 それからRobert FrippがKing Crimsonの初期のライブパフォーマンスのラインナップのリリースについて話した。彼はまたリスナーのために今後のCrimsonの計画のヒントを与えた。Crimsonメンバーによるより小さな組み合わせでのツァーについても含まれていて、その最初になるタイトルはProjekt Oneといい、12月のはじめにロンドンのクラブで4回公演する計画だと話した(その組み合わせは、Robert、Trey、Bill、そして僕)その他の計画があることについても。

前にお知らせしたライブレコーディングの曲が演奏され、お客さんたちはナッシュビルでやった現在のCrimsonメンバーによる最後のリハーサルでのリハーサル・トラックに興奮していた。彼らは最初の部屋に戻り、テーブルに全てのミュージシャンたちがついて、どんなものにでもサインするということになっていた。この催しは1時間ほど続き、皆がこのイベントに満足してもらえたらよかったと思った。

2,3週の間、"Dream Theater," のグループからMike PortnoyとJohn Petrucciの二人とスタジオ入りする。僕たちは、すばらしいキーボード奏者、Jordan Rudesと合流して、やりがいがあったと思える結果を得たいと思っている。秋の他の計画では、11月にニューヨークでベース・クリニックがある(こういうのは僕の柄じゃないけれど、ちょっと面白そう)それから11月8日にはモントリオール・ドラム・フェスタがあって、ラインナップは"Caves" no Jerry Marotta、Steve Gorn、そして僕。

 


Update - Sept. 16

地元のNPR(National Public Radio)ステーションでインタビューを受けた:AlbanyのWAMCだ。僕は"Caves"について話して、そこから何曲かを演奏しなくちゃならなかった。それからCDから何曲かかけた。それからリスナーからの素敵な電話も受け、多くがベースプレイヤーからだった。一番銘記すべき出来事は、インタビュアーがうかつにもプロジェクトの名前を"music from an abandoned mind somewhere in the Catskill Mountains." (Catskill山のどこかに捨てられた心についての音楽)といい間違えたことで、それは僕のことだ!


Update - September 29

さて、"Millenium Project"と仮題されているプロジェクトのリズムトラックは終了。このプロジェクトはDream TheaterからMike Portnoy、John Petrucci、Dixie DregsのJohdan Rudes、そして僕だけど、ついていこうとしてるぜ!(坊や、こいつらの演奏は早い!)うまくいけば今年の末にCDのリリース準備が整えたい(Magna Cartaレコードから出るのだけれど、準備ができたらここにもリンクを張ります)僕たちはいくつかのリフがあまりに早いので、僕のベースパートを一小節ごとにパンチ・インしなくちゃならないという楽しい時間を過ごした(恥ずかしくない!)

技術的にはもっと簡単だけど、楽しめたのは、Jonell Mosserの次のCDで、John Hallがプロデュースしているものだった。彼女はナッシュビル郊外に住む素晴らしい歌手で、いつリリースされるのかは例によって知らない。けど分かったらお知らせします。
地元のNPRステーション、WAMCでのインタビューについていくつか素敵なフィードバックを貰えた。とくにインタビュアーがCaveプロジェクトのことを"music from an abandoned mind.."と呼んだことについて。


Oct 12, 1997 - Greetings from Vancouver

ここにはSealの素晴らしいアルバムの仕事をしに来ている。 他のミュージシャンは、ドラムのVinnie Calliuta、ギターのHeitor PereiraとMichael Landau、キーボードのDavid Sancious。楽しくないわけがない。 Sealの作曲とギターはスーパー。(おまけにスタジオには凄いSimonelliのエスプレッソマシンまであって、おまけのおまけにアシスタントエンジニアのPaulは以前スターバックスのカプチーノ作りをしていたときては、ポイントが上がりっぱなし)今週のベスト部門は、プロデューサーのStu Levineが僕のベースパートについて"もっと低音でやってくれ(Keep It Downstair) "と指示したこと(仮にこれ以上下がらないとしても)。 彼をこれからK.I.D. Levineと呼ぶことにする。 パワーブックがトラブって(いつものこと)朝の時間帯はモデムポートをなんとかしてネットに繋がるようにしようとした。もちろん成功して、少なくとも現在はこうやって更新ができている。でも、もうモデムとパワーブックはそろそろ寿命がきている感じ(我々もね!)


Oct 17, 1997 - Vancouver

A couple of bald guys Sealのアルバムの仕事は楽しく続き、エクセレントなミュージシャンたちと、エクセレントな音楽を作っている。今日は珍しくオフの日で、街の中をブラブラしていた。 インターネットカフェと健康食品と妥当なエスプレッソがあるの場所はホテルの近所に見つけてあった(いつものせっぱつまった状況と違い、今回はスタジオに素晴らしいコーヒーメーカーはある)

今度のニューヨークでのベースクリニックの構成についてちょっと考えているところ。いつもならこの手の仕事は断ることにしてる、というのは、他のプレイヤーが知りたがっているようなことを適切に伝えるのが、この場合に良い仕事をしたといえるんだろうと思うからだけど、僕はそんなこと考えたことも無い。それで僕自身の演奏を分析しようとしたけれど、結局これは今日僕が一番やりたいことじゃないと言えるだけ。多分フットボールゲームを見て休憩して過ごすことになるだろう。

このページに新しくリンクを追加したのは古い友人のSteve Gaddのサイト。同じくTaos Drumと僕の兄のCramsについてのページにも追加。Cramsは、ずっと以前に僕らがやっていた馬鹿なバンドで、偶然Steve Gaddも参加していた。知らない人は、ミュージシャンたちと話していた使わなかったバンド名についてのページを参照。これは必要なときにいかに正しいバンド名が見つからないかを知れて楽しいもの。

僕はこれまで何人が訪れたかが分かるカウンターというのが好きじゃなかった。でも、とんでもなく離れたところから僕のページを見に来てくれているのを知って嬉しくなった。ここ30日の訪問者数リストです。(これらの場所から見に来てくれている方、大歓迎します)277 Croatia, 152 Estonia, 95 S. Korea, 70 Turkey, 49 Slovak Republic, 52 Macedonia, 19 Slovenia, 17 Quatar, 15 Boznia-Herzegovina, 14 Ukraine, 12 Peru.


Nov 24, 1997 - Woodstock

暖かい七面鳥でお腹がいっぱいになって、頭は来週からのロンドンのことでいっぱい。きっと興味深い一週間になるだろう―Crimsonのメンバーと小さな会場で全く即興で演奏をやることになっている。ロンドンのジャズカフェで12月1日から4日まで。日曜は”リハーサル”ってことになっているけれど、僕たちは一緒にプレイすることはしないで、機器がきちんと動くかどうかを確認するにとどまると思う。完全に即興でぶっつけ本番の演奏をするために。びっくりするような出来になるのがとても楽しみ!(ラインナップは、Fripp,Bfuford,Gunn,そしてLevin)

Painting of Sherlock by Tony Levin この2週間、次にPapabearがリリースする予定の "Bruford Levin Upper Extremities"のカバーの絵を描いていた。出来栄えは...まだまだと言わざるをえない。でも、その代わり、うちの犬のSherlockの絵は描けた。

ロンドンでのギグの写真を撮ってここに載せるように頑張るつもりだけど、たった今僕の古いくせもののパワーブックが新しいデジタルカメラで撮ったフロッピーを読んでくれないことがわかって、またまたこいつはおどかしてくれた。どこかインターネットカフェでやれそうなコンピューターを見つけられたらと思う。


Dec. 1, 1997 - London

我々の"リハーサル" はうまくいった - 勿論、僕達はお互いに合せて演奏することもなかったし、セッティングだけだったので くたびれることもなかった。

Coffee Break Photo

リハーサルスタジオの "the Premesis" は素敵でファンキーな内装にしてあり、焦げ臭いコーヒーを出す。コーヒーを前にした4人のクラシックな写真(デジタルじゃない写真)を撮った。そして今夜は最初のギグ。楽しみだったのは、ここで何が起こるかわからないってこと。最大の驚きは、ロバートがMIDIギターを使ってレットレスベースの音でソロを取ったことと、ビルがキシロフォンを使って僕らをパレードランドの世界へ連れていったこと。

聴衆には大きな挑戦となったこの全て即興での演奏だけど、彼等には受け入れられたようだ。少なくともだれもアンコールをしなかった。詳細はまた明日。


Update Dec. 4th: London - 真夜中過ぎ

4回の公演が今終わった。すごくうまくいった。 特に最後のセットが気に入って、僕たちは何らかの良いエネルギーが得られたと思う。 今夜の最初の公演の前に面白いイベントがあって、Robert Frippがステージに歩み出て、マイクのところまで行った。ものすごく珍しい出来事。(しまった、ステージにカメラを持ってきてなかった)記憶を辿ってそのときの言葉を復唱すると、彼はこんな風に言った:"私がオーディエンスにKing Crimsonとしての文脈で話しかけるのは30年と半年ぶりのことだ。しかし今夜は私の足はステージを鞭縄のように横切らせ、皆さんに何事かを話そうとしている。諸君が聞こうとしているのは、King CrimsonのProjeKct Oneであり、すでにProjeKct Twoというものも..."(この時点でオーディエンスからカメラのフラッシュが炊かれ、Robertはセンテンスの途中で言葉を停めた。彼は数秒考えたのち、顔をしかめて、ステージを横切って彼のシートに戻り、そうして僕たちは演奏を始めた。彼がセンテンスを話し終わるには、また30年と半年を要するのだろうか?僕は知らない。


Jan 10, 1998 - Woodstock

僕にしちゃ珍しく最近演奏から遠ざかっていて、機材を新しくしたりPat Mastelottoとクリムゾンの為の曲を試作したりで忙しい。中でも一番手が掛かるのは発売間近の「Bruford Levin Upper Extremities」のパッケージの印刷を監督する事だ。こういうことを思った通りの結果にするためには、ホントに嫌になるぐらい気を使わなきゃならない。自分でこれをやるようになってからレコード会社の美術部門の人を尊敬するようになったよ。僕のPapa Bearのパッケージに関して言えば、CD、ケース、ブックレットの3つはそれぞれ違う会社で作っているんだ。(最終的にはメイン州の、CDをプリントしてる場所で一つのパッケージに仕上げる。)僕がアルバム用の最終的なアートをディスクで送ると、それぞれの会社が「マッチプリント」(校正用の色刷り見本)を送り返してくるので、それでまず出来をチェックするんだ。(一回目は必ずと言っていいほど何かミスがある。)で、そっからそれを何度もやりとりして、OKってことになると印刷の予定が決まるんだけど、こっちはそれからボストン界隈の印刷所を幾つも回って、最終の印刷物がマッチプリント通りにちゃんと刷れてるかどうか、もう一回確認しなくちゃならない。(これがCDの盤自体のアートの場合また行程が違っていて、シルクスクリーンだから、完全に見本通りになるっていうのはまあ不可能だ!)最終的なアルバムのアートとミュージシャンが初めに考えてたものとが、大抵の場合ぜんぜん違った物になるっていうのも無理は無いと思うよ。僕みたいに自分でアート関係をやってみて、全行程、常に印刷屋の後ろで眼を光らせていても、それでもちょっと瞬きしてる間におかしくなっちゃう事だってあるんだから。(ちょっと偏執っぽい?言えてるね!)

別の話題に移ろう。僕の撮った写真の展覧会が1月30日から3月1日までスイスで開かれます。スイスのSierreっていう街の「Maison de Courten」っていうのが会場です。(興味のある方の為に:Sierreはローザンヌから東へ110km、ジュネーブからは約180kmでチューリッヒからは南に250kmのところにあります。現地の電話番号は(0)27-456-2688か(0)27-452-0231。地元の名物料理はラクレットとフォンデューだけど、ここのCapriっていうピザ屋はスイスで一番らしいよ。)

今年はロスのNAMMのショーは欠席します。(ホッ!)自分がそうしたい、っていうこともあるし、上に書いたアルバムのアートのことに掛からなきゃならないしね。4月に「Bruford Levin Upper Extremities」が発売されたらツアーにも出ます。でも日本以外の地域については、何処へ行くかは未定です。分かり次第お知らせします。


Feb 14, 1998 - Woodstock

The 'Toast Bass'

依頼してから随分長くかかってしまったけれど、僕のMusic Man bassesにいる友人が数年前の火事で焼け残ったカスタムベースを修理してくれた。白だった色ががアンバーに変わり、ボディの一部はチャコールになっていて、本当に綺麗になった! 僕はこれの名前を”トーストベース”か、”炭ベース”に変えようと思う。ともあれ、ぼくはこれがちゃんと直ってくるかどうかヒヤヒヤしてたので、MusicManには感謝したい。ベーシストの皆さんはMusicManにこの新色を注文しないようにね!

Poster for the upcoming exhibition in Switzerland

話題をかえて、僕の写真展がスイスで1月30日から3月1日まで開かれます。場所は、スイスのSIERREにある、"Maison de Courten"というところです。(興味のある人に、Sieereはローザンヌから東へ110km、ジュネーブから180km、チューリッヒからは南に250km離れたところです。電話番号は、(0)27 456.26.88 か (0)27 452.02.31、地元の食べ物でおいしいのは"raclette" と "fondue" だけど、スイスのピザ屋で最高なのはCAPRIだそうです。

Face-painted photo of Tony.

この僕の古い写真は英国のロックフェスティバルでP. Gabrielとの公演の前に撮ったもので、顔のペインターが見たら挑戦したくなりそうなものだね!

コーヒーについては、素晴らしい発見をした。僕が家でいれている(ロードのときにはCrimson Espresso Valetで)のはウッドストックのマーケットで売られている強い有機栽培の豆。最近すごくびっくりしたのは、これがごく近所でローストされているのが分かったこと。道理でフレッシュだと感じても不思議はなかったわけだ。 もちろん僕はそこを訪れて、Emma at Catskill Mtn Coffeeが沢山のブレンドを揃えている(エスプレッソブレンドは2つ)(僕の好みはシンプルに"Peruvian",と呼ばれている)のが分かった。有機栽培の豆だけを使って、少しずつ頻繁に焙煎して、通信販売で売っている。まったく合理的だ!(1ポンドあたり$7.50、"Wholesale Club"だと5ポンド以上で1ポンドあたり$5.80) そこ(Catskill Mtn Coffee)の連絡先は、RedEmma@aol.comか、電話888 SAY-JAVA。(僕はこの文字ナンバーというのが嫌いなんだ。そうじゃない?つまり888 729-5282)

ニューヨーク市内のおいしいコーヒー情報を下さってありがとう。チェックしてみたいと思います!

このところウッドストックでEllis Paulの次のCDの仕事と、地元の歌手のBar ScottとギタリストのMatt Hendersonのプロジェクトが進行中。もうすぐ日本に発って、今度出る Bruford Levin Upper Extremitiesのプロモートをする。僕は忙しいDavid Torn、Chris Botti、そしてBill Brufordを揃えた。日本でのツァーは4月で、それから合衆国内でできるだけ沢山のクラブでの日程を詰め込む(Bill Brufordがヨーロッパに帰らなくてはいけない時まで) 現在のところ、ワシントン、フィラデルフィア、ニューヨークシティ、そしてボストンがターゲット。もちろん、日程が決まったらここに書きます。


Mar 3, 1998 - Los Angeles

日本からの帰途、幾つかのセッションに参加のため西海岸に立ち寄っています。友人のKaiにあって最新のグラフィック・ソフトを見せてもらったり、サンタモニカでDavid Tornのコンサートを見ようと思ってたんだけど、ああ!仕事で全然時間が取れない・・・でもここは天気は最高です。(よく聞く雨のニュースは何だったんだろう)

B.L.U.Eのツアー日程が少しだけ変更されました。今の時点での(これが最終決定だと思いたいけど)予定は4月13日がニュー・ヘイブンのToad's Place(OK!僕の好きなクラブの一つだ!)、4月14日にフィラデルフィアのT.L.A、4月15日がワシントンのBirchimere、4月17日がバルティモアのOrionで2回、4月18日がニューヨーク・シティーのKnitting Factoryで2回、4月19日がボストン(ケンブリッジ)のHouse of Bluesとなっています。
(House of Bluesでの最終日はインターネットでライブ放送がある予定。)

それから、このU.S. ツアーの少し前にAmerica OnLineでライブ・チャットをやる可能性もある。(タイプのスピード、上げなくっちゃね。)

バンドのラインナップは今回のCDと同じです。David Tornがギター、Chris Bottiがトランペット、そしてもちろんBrufordと僕がドラムとベース。日本でのツアーに関してはダブル・コンサートっていう凄い話になっています。クリムゾンの派生型である、Belew、Fripp、GunnのProjekct Twoと一緒にコンサートをするんだ。いや〜、コンサートの最後にクリムゾン全員のジャムになるってことは無いけどね。
(どっちにしてもPat Mastelottoが欠けてるからね。)でも日本のクリムゾンファンには不思議な体験になるだろうね。クリムゾンのメンバーが殆ど揃ってるのに、クリムゾンの音楽はやらないんだから。

Papa Bear Recordに関して言うと、いま新しいCDの出荷目前まで来ています。
B.L.U.Eの録音中に僕が感じた楽しさを、世界中の人々も同じように感じてくれる時が待ち切れません。


Mar 27, 1998 - New York

合衆国でのBruford Levin Upper Extremitiesのツアーのためのブッキングの仕事がまだ少々残っているので、それをやっています。ご存じの通り、これまではギグやツアーのブッキングを一度だってやったことがなかったんです。いつも誰かがやってくれた事務の上で公演をやってました。この仕事は本当に大変!僕はベースを持って演奏するのが待ちきれないよ(実を言えば、練習はずっと続けてましたけど。今度の内容は簡単じゃないから)

先週も書いたように、新しいCDのサウンドと全体の仕上がりにワクワクしてます。オンラインでの注文ページとファックス用フォームも作りました。以前からやっているように、僕の小さなレコード会社はレコード店には商品を卸さず、オンラインや電話、手紙での通信販売だけでやっています。でも、今回のツアーで回る地域ではレコード屋さんの店先を借りてBrufordと僕が直接販売をします。詳しくは下を読んでね。

今、新しいB.L.U.E.CDをご希望の方にお知らせがあります。合衆国とカナダではこちらで受付けできますが、ヨーロッパにお住まいの方は、6月に発売となっていますので、こちらではお受けすることができません。私達の希望としては、ご近所のお店で夏になったらお買い求め頂きたいのです。 同様に、日本では既にPony Canyonから発売になっていますので、そちらをお買い求め下さい。BLUE tour info

これまでいくつかインタビューを受けてますが、MTVニュースで僕たちのCDとツアーについてのスポットが流れているのを見て驚きました。問題は、その内容が今度のCDの中のCracking the Midnight Glassという曲がLed Zeppelinの曲に似ているということなんです。事実、ベースのリフ(アップライトを使って弓で弾いた)がKashmirに似ています。でも驚いたことに、誰も気がつかなかったんだ!僕はLed Zeppelinの曲を知らなかった。でもまぁMTVが全部のツアー日程を流してからも、僕には苦情は届いていません。

来週はリハーサルをやってから日本に出発します。日本では大きな記者会見と4回公演があります。それから合衆国に戻って4月13日、ニューヘブンからツアーが始まります。 ツアー日程のページを作りました。ここにはツアーの公演地のいいコーヒー店の情報も書いてあります。教えて下さった方に感謝します。

The 'Toast Bass'

僕は、トーストベース(右の写真)を全部の公演に持っていくつもりです。夜な夜なのファンクフィンガーの打撃でバラバラにならないように願ってます。焼けて一部中まで炭になっちゃってるので。

さぁ、いよいよこれからこのページも本来のROADレターになります。写真も載せますね。


Apr 5, 1998 - Tokyo

2日前にBill Brufordと一緒にこちらへ到着しました。David TornとChris Bottiは今日着く予定で、明日は火曜日に名古屋で行われる最初の公演に向けて発ちます。 公演を行うのがとても楽しみです。ニューヨークでのリハーサルはとても楽しくやれました。"B.L.U.E." CDからのライブバージョンはCDに関連はしているけれど、もっと長くしたものになりそうです。David Tornのアルバムの"Cloud About Mercury" の曲も演奏します。。勿論即興演奏もします。

Do we see a Papabear shirt in the audience?

昨日は記者会見がありました。Robert Fripp、Adrian Belew、そしてTrey GunnもDGMレコードから出ている"Projeckt Two" のプロモートの為に出席していました。彼らとBruford Levin Upper Extremitiesグループは日本だけ一緒に公演を行います。きっととても興味深いものになるでしょう。"記者"会見なのに、このときは一般にも公開されていて、たくさん人が入っていました。(僕はPapaBearTシャツとFunk Fingersのウエーブを見たような気がするのだけれど、あれは僕の想像の産物だろう!)(訳注:この記者会見のレポートはこちらにあります。

Bill Bruford speaks to the audience 僕たちは、それぞれのこれまでに出したCDについて話をして、その中から曲が流されました。80年代のKing Crimsonのメンバーが揃っていたので、今度リリースされる1984年のバンド解散(10年間の長い休息と言った方がいいかもしれませんね)の直前に録音された"Absent Lovers" についても話をしました。 (このCDは今年の夏にDGMから発売されると思います)

いつものことながら、日本に着いて最初の数日は2、3時間しか  眠れません。そこで夜中じゅうモデムの設定で時間つぶしをしています。  (いかにも夜中にもってこいの行為!)どうしてもこの日はうまく動かないので、Trey Gunnのアカウントとコンピュータを使ってこのページのアップデートをしました。 Bill & Tony in rehearsal 今日僕たちは2カ所で"instores," をやります。と言っても、ミュージシャンが店の中にしつらえたテーブルの前にいて、お客さんのためにこれまでに出したCDにサインをするというものです。これはinstoreというにはちょっと変ですが、セールスの為にはいいですね。僕はここではもうちょっといろんな人と話をする時間をとりたいと思ってますが、いかんせん、東京はあまりに人が多すぎますね。 合衆国のツアーではBill Brufordと僕はそれぞれの公演地でのサウンドチェックの前にいくつかinstoresをやります。場所は下に書いてあります。Papa Bear Recordsではウエブのサイトと、800番電話でB.L.U.E CDの販売を行っています。(gigでも勿論売ります)(訳注:800番で始まる電話番号は日本の0120のような無料電話番号で、米国内からしかかけられません。また、このinstoreのレポートはこちらにあります。

東京には色々な場所にStarbucksがあるようで、これでまともなespressoが手近に飲めるようになりました。今回はここ数年で一番円が安いときにあたったので、アメリカ国内とほぼ同じ値段でコーヒーが飲めるのが素晴らしい。数年前には一杯が10ドルもしたことがありました。
Blue Tour Diary

May 11,1998 - NYC

ヨーロッパを廻って、向こうで6月に発売されるB.L.U.E.のプロモーションのためのインタビューをこなして戻ったところです。イギリスではDGM、その他の国ではまた別の販売元があって、それぞれがプレスへの発表の準備をしてくれました。旅行中、僕の日記に書き込まれた沢山のことの中から抜粋してみました:

5月4日 月曜日 ミュンヘン

今週は完全なロードの週になった。始まりは昨日で、貯まっていたマイレッジの特典を使ってデルタ航空機でニューヨークからミラノへ。家畜輸送車みたいなすし詰めの席から、なんとか非常口の横の席へ変更できた(この会社はいつも出発1時間前まで非常口の席を空席にしてとってある)ので、それほど窮屈な思いをせずにすんだ。午後6時15分に出発してミラノのマルペンサ空港に午前8時到着。 VIRUS der Laden セントラーレ駅までバスで行って直ぐに別のバスに乗り換えてリナーテ空港(欧州圏内ローカルの空港)へ。そこで何時間かつぶして、1時15分のフライトでミュンヘンへ。2時30分に到着。空港でドイツのDGM代表であるBernie Jugelが迎えてくれた。電車で市街へ向かうが、途中の車内でBernieが持参のテープレコーダを使って僕にインタビューする・・・Whew! インタビューの空き時間に僕の写真の展覧会に使えそうな場所を訪問。名前はVirus - der Laden(コンピューターショップには向かない名前だ)といって、デリと画廊の組み合わせ、といった感じの場所。店の名は「ウィルスの店」って意味だが、どういう訳か食べ物を売っている。レストランの開業許可は無いらしくテーブルや椅子を置くわけにはいかないらしいが、まったく椅子そっくりの「美術品」がおいてあって、さらに一つ巨大なサイズの奴が横倒しにしてあるので、意外なことにテーブルの代わりになったりする。

5月5日 火曜日 マドリード

ミュンヘンでさらにいくつかのインタビューを受けてから、午後5時30分の列車で空港へ戻り、ルフトハンザ航空でマドリードに午後10時30分到着、空港でBill Brufordと合流。Billは僕と一緒にスペイン、フランスでインタビューを受けるためにロンドンからついたところ。Sonifolk Spain社から僕らのために派遣されたFernand君は、ホテルでトラブルがあったらしく予定の宿を変更して、街の中心にあるスペイン広場のそばに部屋を取ってくれた。真夜中過ぎ、少し飲んで、スケジュールの打ち合わせも終わってから、ちょっと食べる物を探しに出る。スペインでは夜遅くには豚しか食べないんだろうか。開いている所といえば「ポークの博物館」とか「ポーク・ワールド」とかいう名前の場所ばかり。どちらもテイクアウトのハムサンドやまるごとのハムしかおいていない。ベジタリアンの店なんか全く見あたらないので、あきらめて今日はもうやすむことにする。

5月6日 水曜日 マドリード

Bruford's Madrid interviews

今日はインタビューが9回。場所は殆どホテルで。Fernandoが昼食に感じの良い(ハム以外の食べ物も置いてあるような)所へ連れていってくれる。 僕はガリシア産のHakeを食べた!(訳注:Hakeは中世英語で、メルルーサなどの鱈の仲間のこと)メニューからの抜粋:魚介類のセクションに「雁フジツボ」(訳注:昔、雁はフジツボから成長すると考えられたいた)肉類のセクションに「Sir Loin」(訳注:Sirloinステーキの誤り。このままでは腰肉卿になってしまう)なんてのがある。二人で受けるインタビューは一人でやるときよりもずっと楽しい・・・Billの受け応えが聞けるから・・・それをメモに取るときもある。例えば:「最近アルバム作成に必要な日数は、まず電話だけで15ヶ月、レコーディングに5日間、それからまた発売までに15ヶ月かかる。(報酬を受け取るのはそれから1年後だ)」King Crimsonでドラムをやる、というのはどういうことかと尋ねられ、Billは釘の並んだベッドで眠ることに例えた。そして笑いながらインタビュアーに背中の傷をみてみろと言う。「デジタルの世界でも長らく過ごしてきたが、自分はアナログの世界の方が良い。そこには作品の本当の作者というものが残るからだ。プレーヤーが何時、どんな風にその音を彼の楽器で奏でたのか、それを克明に聞き取りたいのだ。」

国営ラジオに車で向かうが、守衛に止められる。何年か前、Crimsonとしてここへやってきたときと全く同じだ。ここのラジオ番組「Discopolis」はスペインや幾つかの南米諸国でのワールド・ミュージックの強力な支援者だ。

5月7日 木曜日 パリ

Blvd de Bonne Nouvelle沿いのカフェで日記を付けている。これこれ、これこそヨーロッパの過ごし方というもんだ。今朝フランスへ飛び、ホテルで4つか5つだけインタビューをこなして、あとは素敵なパリのエスプレッソ(イタリア以外で大体ちゃんとしたのが出てくるのはここだけだ)と、のんびりした午後を楽しむ時間がある。残念ながら友達のManu Katcheはいま他出中。インタビューのあと、Billはイギリスへ帰っていき、僕は自由にディナーと映画を楽しめる。インタビューの幾つかはすごく知的だった・・・Best Magazin誌のHarve Picardとの会話で、B.L.U.E.の中の曲「Cerulean Sea」(訳注:空色の海の意)のceruleanという語はイタリアとギリシャの中間にあるCaerula Seaからきた言葉だということを知った。(Harveは以前ラテン語の教師だった!)そして、その海自体が・・・ここでHarveは読解不可能な文字を書いた・・・「女神アテネの瞳」という特別な青色を意味する言葉から名付けられたということだ。僕にも読める文字でもう一度書いてくれと頼むと、彼は「Glaucopis」と書いてくれた。Harveは僕がCDのジャケットを描いたのも、曲のタイトルも、実在のその海を考えてしたことだと思っていたらしい。情けないけれど僕は自分の完全な無知を彼に告白した・・・僕は単にCeruleanという名の青が好きだっただけだ。ここフランスではBass Magazine誌とGuitar & Bass Magazine誌の為の写真も撮った。インタビュアー達には以前から何度も会っているから、古い仲間の集まりみたいな雰囲気だ。ショックだったのは、去年の「From the Cave」の発表を、マスコミも(そしてここのDGMの販売元も)全く知らされていない、ということだ。ここに発送されたのかどうか、チェックしてみなければならない。嗚呼、レコード業界よ!

5月8日 金曜日 ミラノへの飛行機

今週のテーマは、どれだけの時間を空港で過ごすのか、ということだった。月曜の朝、ミラノのマルペンサ空港に8時に着き、リナーテ空港から発ったのが午後1時30分だから、リナーテでは3時間半も暇な時間があった。火曜にミュンヘンから発つときはもっと普通だったけれど、それでも列車が能率良すぎて1時間半空港で待つはめになった。マドリードでは僕とBillが空港へのラッシュを気にして、すごく早い時間にホテルをチェックアウトしたけれど、どうやらスペインでは朝7時に通勤する人は居ないようで、予想したよりもずっと短い時間か掛からず、空港に着いたのは7時15分。またもや3時間待つことになった。パリでも同じ事・・・ここのラッシュもひどいもんだけど、たまたま祝日にあたって、しかもタクシーが早めにホテルに迎えにきたもんで、空港で3時間つぶすことになった。合計で今まで11時間を空港でぶらぶら過ごしている。

<5月10日 日曜日 リミーニ>

Heads Up!! ミラノでのインタビューは快調だった・・・こんどもとても知的な評論家達に囲まれて、僕の知識の広がる一日になった。その後、土曜にはインターシティー列車でリミーニで開催された音楽業界ショー(イタリア版のNAMMのようなもの)へ出かけた。そこでアンプの会社Trace Elliotやそのイタリアでの販売元Araminiの友人達に呼びかけられ、幾つかサインをして、それから一緒に夕食にいった。ここはすごく暑くて、朝からビーチに行けそうな陽気なのに、そんな格好をしてこなかった!とにかく、また電車でミラノまで戻る。今週いっぱい動き廻って、ちょっとふらふらする。

日曜の夕方 ミラノ

ドゥオーモ(訳注:ミラノの大聖堂)とアーケードのそばのカフェで座って・・・この辺りが露店や騒々しい店で、こんなにごみごみしてしまったのはちょっと淋しい・・・とくにこの美しいアーケード。普通のカフェがバーやアイスクリームショップに替わってしまい、中央の交差点ではマクドナルドがのさばっている。その隣はメディア・ストアになって、店の外までディスコサウンドをがなり立てている。それでもこのドゥオモの一角は世界中で一番好きな場所の一つだ。僕は近くに静かな場所を見つけて、インタビューを受ける立場としてのミュージシャンについてのエッセイを書いている。もしかしたらこれも、遥か昔から書き続けていつまでも完成しない例のベース教則本(!)の一部となるかもしれない。


June 16, 1998 - NYC.

いや〜、ロードダイアリーの更新が随分放ったらかしになってしまいました。 理由は簡単で、5月の末に結婚したんです!
それで、ウッドストックで簡単な式を挙げたあと、僕の素敵な花嫁アンディを連れて、 イタリアで2、3週間ばかり、旅行と食事と写真と日記と最高のエスプレッソを楽し んだ、 っていうわけです。仕事抜きの旅行って言うのはいままで考えたこともなかったこと だけど、 確かになかなかいいもんだね!イタリアでは当然何の仕事もしなかったけれど、 Vasco Rossiの新しいCDがどこへ行っても聞こえて来るんだ・・・ 2、3ヶ月前に僕も録音に参加したこの「Canzoni per me」っていうアルバムは どうもイタリアでNo.1になってるみたい。
シングルの「lo no...」にはStickのベースパートがあって、タスカニーの素晴らしい 田舎道を運転中にこの曲がラジオから流れてくると思わず笑ってしまいました。 たぶん僕がStickを弾いたアルバムでNo.1になったのって、これが初めてじゃ ないかな。


旅行から戻ったばかりで、音楽やツアーのニュースは別にありません。 近々リリースされる(訳注:欧米では6月発売)予定の「Absent Lovers」に合わせて CDサイン会を幾つかやります。このCDには新曲は入ってなくて、クリムゾンの8 0年代の ラインナップの最後のツアー、解散直前の頃 (と言うよりは、90年代半ばに再結成するまでの活動休止の前)のライブテープが 元になっています。
僕はこのテープは聴いてないんだけど、すごく良いってことです (と、相当のミックスを担当したBill Brufordが言ってました。) とにかく、サイン会はボストンのタワー・レコードが6月27日、モントリオールが 7月11日、 それとケベックでも7月10日にやるかもしれません。天気の具合が良ければモント リオールまでは 僕のハーレーで行くかも。このサイン会の日程は「ProjeKt Two」のツアーに合わせ てあって、 Robert FrippとAdrian Belewはそれぞれ現場に先着している予定です。
でも、メンバー4人を揃えるためにBillが来るのかどうかは自信がありません。

追伸 - 新しいグラフィックが何も無いので、80年代クリムゾンの写真を一つお見 せします。
これは現在コネチカット州ダンベリーで開催中の僕の写真展からの一枚で、 1983年、ニューヨーク・シティでの楽屋の様子です。


TONY LEVIN:  Road Photos Exhibition At Connecticut Photographics / Danbury, CT

June 27, 1998 - Boston

ボストンのタワーレコードでのインストアはとてもうまくいきました。 出席したのは、Project Twoとしてツァーを行ったロバート・フリップとエイドリアン・ブリュー、そしてトレイ・ガンの三人と僕。
ビル・ブルッフォードは英国から来られなかったんだけど、このインストアは主に 新しくリリースされたAbsent Loversのためのもので、これにはビルが入っているのにトレイは参加していません。
いかにもクリムゾンらしい混乱がありました!
他のクリムゾンのメンバーと会うことはとても嬉しいんだけれど、それはまたすこしばかり妙な感じもするものなんだ。と、いうのは、彼ら三人は一緒に旅行してて、僕はこの日だけ一緒になったんです。で、僕たちは将来のクリムゾンの計画について少し討論して、それから.....彼らの話していることはゴチャゴチャしてて、どれがまともな話なのか僕にははっきりしないんだけど、でも、クリムゾンの過去の作品はリリースされるだろうけど、悲しいかな、新しい"キング・クリムゾンとしての作品"は今年はリリースされないことだけはわかりました。
何人かのここを読んでおられる方からの祝福をいただき、うれしかった - ほんの何人かからはボストンにハーレーで来たのかと尋ねられました(そうじゃなかった!) 。もし7月にお天気がよかったらモントリオールには是非ハーレーに乗って行きたいと思っています。
もうひとつの妙な体験といえば、新しいCDにサインをしているときに、このCDを見るのは初めてだったので、ほんのちょっと時間が空いたときにブックレットを引っぱり出してアートワークを覗いたらば80年代に僕が撮ったバンドの写真がいくつか使われてました。もちろんサインが終わってからもお店からタダでCDをもらえなかったので、帰り道にもCDは僕の手元にはありませんでした!(そう、買うことはできるんだけどね......)

ダイアリー・アーカイブは続く .......


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