ツァーダイアリー

TLB ヨーロッパツァー '05年10月
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六日目: Oct. 10 - ローマでプレス取材の日

     昨日こちらに直接Splitから移動しましたが、本当にラクチンでした。(予定していた別の経路は、4時間ドライブしてザグレブへ、次にミラノに飛行機で移動、2時間の乗り継ぎ待ちのあと、ローマへというもので、これだと今日の午後にこちらに着くことになります。フライトを変更したおかげで、元々到着するはずの時間までに、二つばかりインタビューを受けて、さらに午後6時のラジオ出演にも十分間に合わせることができます。)



ここでの公演に備えて、イタリア語を懸命に勉強中です。 1990年にClaudio Baglioniとツァーをしたときにかなり覚えたのですが、使わないと忘れてしまいます(そのとき動詞の時制がどうしても分かりませんでした) まぁともかく、公演ではイタリア語で話そうと思っていますし、L'abito della Sposaという曲はイタリア語で歌うつもりです。(合衆国の中ではこれまでも時々歌ったことはあるんですが、ほら、間違えたって誰も分からないでしょう!ここではそういうわけにはいかないからね)

Jerry (Marotta)とサウンドエンジニアのRobert Frazzaが今ナポリでゆっくりしていると聞きました。彼らは昨日イタリア入りして、Jerryト一緒に公演の前座を務めることになっているスティック演奏者のTom Greisgraberと打ち合わせしています。
今日到着することになっているのは、Larry (Fast)とJesse (Gress)で…残りはただ一人僕の兄のPeteで、明日の予定です(徹夜で飛んできて着くやいなや公演で演奏しようという、ただ一人勇敢な男。ステージにいるときに時差ボケがトラックみたいに襲うことになるよ)

7pm
オーケイ、今ちょうど最後のインタビューが終わったところです(最後のはずだよな!) インタビューは楽しかったです。二つは電話インタビューで、それから"RAI"複合施設へ向かいました。ここにはラジオ局とテレビ局が入っています。 僕は、地元でより、ここイタリアでのほうが有名なので、ちょっと意識を変えなきゃなりません。(あっちじゃラジオのインタビューぐらいが関の山で、全国放送のテレビなんか絶対出演できませんから。)国営ラジオとテレビのRaiニュースで取り上げてもらって…とてもラッキーでした。
変な想像ですが、自宅の近くのピザ屋で、イタリア人の労働者がいつもRai Due(イタリア国営放送第2チャンネル)をテレビで観ています。ニューヨーク州のキングストンでどうやってこのチャンネルを見ているのかはともかく、いつもナスのパルミジャーノ焼きを食べる地元の男が、ペイトリオッツの帽子をかぶったままで、イタリアのテレビに写っているのを見たらどう思うだろう!

  

     

これからナポリへ車で向かい、2,3の電話インタビューを車中で受けます。 すごい交通量…オーケイ、今日の用事はこれまで。(それからナポリではおいしいピザを食べるつもり)



七日目: Oct. 11 - ナポリ公演

今日のお話をするところですが…昨晩のことについて。 予定より遅く、ほとんど真夜中に着きました。ガレージはもう閉まっていて、ナポリの通りに新品のきれいなヴァンを置き去りにはできません。それで、ホテルの許しを得て、プロモーター兼ツァーマネージャー兼ヴァンの運転手(!)のMarcoがホテルの真正面の、植物でいっぱいの、ロビーから見通せる場所に停めました。
朝遅くに降りて行ってMarcoがヴァンを救出しているところを見に行くと、2台の車と6台のバイクと2つの屋台に取り囲まれてしまっていました。
  

頑張っている彼を置きざりにして、あたりをちょっと散歩しに出ました。街中は相変わらずのにぎわいでした:沢山のスクーター、呼び込みの屋台、それに沢山の人たち。 Peter Gabrielとナポリに来た時に行ったことのあるインターネットカフェを見つけて、アップロードとメールチェックができました。 そうこうしている間にサウンドチェックの時間になりました。

  

昨夜と今朝ふたたびバンドのメンバーの殆どと会いました。でもPeteは午後に空港から直接やってきました。沢山のイタリア人が彼のことを"Lui sembra Peter Gabriel." (Peter Gabriel みたいだ)と言いました。白いヒゲで、僕が一緒に働いていたPeterと生き写しです。これはステージで面白いことになりそうです。

サウンドチェックのあいだに一つ二つやらなくちゃならないことがあります(このうち一つについてはすごく心配していました。それは、借りた機材やなにかの全てです。望み通りのアンプ、ドラム、それにパワーが得られるとは思えませんし、最初の公演の前に調整しなくてはならないのです) それから、一つ出演しなくてはならないことが決まっていて、サウンドチェックの真っ最中に書店に行きました。John Lennonについての新刊がちょうど出たところで、その記者会見にちょっと参加することは良いアイディアだと思えました。 (記者会見の背景にある写真について。これは何度も見たことのある写真です。Double Fantasyのセッションのただ一枚のバンドの写真です)

サウンドチェックに戻り、沢山の解決すべき問題があって、全てが済むまでずっと”ドアを閉めて”おかなくちゃなりませんでした。

     

  

公演はとても特別な出来でした。これまで自分のバンドでイタリアへ来たいと思っていましたから。夢が実現しました。
公演のあと、沢山の人たちがバックステージにやってきて、すごく楽しかったです。Jerryは勇敢にもCDにサインをしにロビーへ出て行きました。僕は、1992年にClaudio Baglioniとツァーをしたときに一緒だった偉大なバイオリニストのLino Cannavacciuoloと会いました。

そしてもちろん、遅いディナーでこの夜を祝いました。このときは男達も食べ物の写真を撮ることを止めて、食べました!   

オーケイ、僕たちはくたびれてました、でも、とても満たされて、ハッピーでした。ツァーは続きます!

    



  

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2005年10月13日木曜日19:20:49付けで翻訳修正。マエストロ深谷、多謝多謝。